Friday, December 31, 2021

人生はタイミングがすべて(その3:妻はもうすぐ大学院生)

人生は、タイミングがすべて。

東京にいた頃の2015年当時、将来家族でアメリカに戻ったら、いつまでアメリカで生活ができるかわからないため、仮に次女が高校の途中で転校となると、次女の学校生活や大学受験に大きな負担になると考え、妻はその年(2015年)の秋から「移民多様化ビザ抽選プログラム」への申請を始めました。

その後、毎年申請しているうちに、当選は全く期待しなくなり、2016年7月に家族でニューヨーク州ライ市に引っ越しました。その後も、妻は、あまり期待することなく申請だけは続けていました。

そこうしているうちに、2020年となりました。その年の我が家の大きな出来事は、次の通りです。
①2月5日、長女、9月から通うアメリカの大学が決まる。(大学合格!)
②4月、次女は、とある暖かい州の州都にあるボーディングスクールに8月からハイスクール2年生(G10)として転入することが決まる。(ボーディングスクール合格!)
③5月下旬、長女はライ・ハイスクールを卒業。
④7月、家族でメリーランド州ベセスダ市に引っ越し。
⑤8月、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」に6月6日に当選していたことが判明。
⑥8月中旬、次女がボーディングスクールの寮に引っ越し。
⑦9月上旬、長女が大学の寮に引っ越し。
⑧10月11日、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」の今後の手続きのために帰国。
⑨10月27日、妻が「移民ビザ申請書(DS260)」をケンタッキー領事センター(KCC)に提出。

このように、2020年は、家族のメンバー全員にとって非常に大きな出来事が起こった年でした。

2020年10月11日から、メリーランド州ベセスダの自宅で1人で生活することになった自分は、ふと、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」に申請し始めた昔の理由を思い返しました。それは、私の転勤如何にかかわらず、次女がアメリカで卒業まで同じ高校に通うために、妻が永住権を取ることでした。しかし、次女は、既にボーディングスクールに転入してしまったので、卒業までその心配は無くなりました。要するに、妻の永住権を取得する当初の理由が消滅していたのです。

でも、話はここで終わりません。
妻は、将来アメリカで働くために、アメリカの大学院進学を検討していました。全米の大学院を色々と調べて、中西部の大きな都市のある大学院で学ぶことに決めました。2019年秋にアプリケーションを出しましたが、2020年7月に当該大学院から、「コロナ禍のため2020年8月からは受け入れることはできない」と、少し思わせぶりな回答がありました。その後、大学院とやりとりを続けたところ、2021年4月1日に合格通知が来ました。そうなんです。妻はアメリカの大学院に合格したのです。他方、コロナ禍は継続していたため、2021年6月、大学院入学を1年間延期しました。したがって、妻は、2022年8月から大学院生となります。

来年の夏には私は転勤で帰国する可能性が高いのですが、仮にそうなっても、妻は、今や永住者としてアメリカに入国したため、アメリカに住み続けることができます。今年の8月から大学院生になる永住者の妻には、思う存分勉強し、調査・研究生活を楽しんで貰いたいと思います。

長女や次女は、今後、夏休みやクリスマス休暇では、帰国して日本で父親と過ごしても良いですし、大学院生の母親のもとに帰っても良く、選択肢ができました。

人生は、本当にタイミングです。

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