Friday, December 31, 2021

妻、アメリカの永住権取得!(その2:永住権を取得しようと思った理由)

妻は、 2021年11月23日に渡米し、同日にハワイ州ホノルルに永住者として無事入国できました。これで我が家は、私が生粋の日本人、妻はアメリカの永住者、長女・次女は日米の二重国籍保持者ということになりました。

今回は、妻が永住権を取得しようと思った経緯をしたためます。移民ビザ取得の詳細な流れについては次回に報告します。


娘2人はカリフォルニア州ロサンゼルス市で生まれ、3年近くロサンゼルスで過ごした後、ある途上国で2年ちょっと過ごしました。2007年7月にまたアメリカに引っ越し、ニューヨーク州ニューヨークのマンハッタンに住みました。長女はバッテリーパークの公立小学校を小学3年の途中まで、次女は小学1年の途中まで過ごし、2010年12月に帰国。長女は8歳、次女は6歳でしたが、この帰国で娘2人は生まれて初めて日本で生活することになりました。日本では、調布市野水にあるアメリカン・スクールに5年半通いました。


その後、2016年7月にまたアメリカに引っ越し。今度は、ニューヨーク州ウェストチェスター郡ライに居を構え、まる4年間過ごしました。長女はライ高校に1年から卒業まで通いました。次女はライ中学に1年から通い卒業した後、長女と同じライ高校に1年間通いました。2020年7月にはメリーランド州ベセスダ市に引っ越し、今に至ります。現在、長女は東海岸の大学の2年生、次女は暖かい州にある寮付きの私立高校の11年生です。


2010年12月にニューヨーク市から帰国する際に、夫婦で種々話し合い、娘たちをアメリカ人として育てることに決めました。2011年1月から娘たちは東京のアメリカン・スクールに編入したのは、この決断があったからです。


2010年12月から日本で生活している間、いつかまたアメリカに戻ることを考えていました。長女は2016年9月に高校入学・2020年6月に卒業、次女は2019年9月に高校入学・2023年6月に卒業することは分かっていましたが、私の仕事との関係で、いつアメリカに行けるのか、行けたとしてもいつまでアメリカに住めるのかは、全くわからない状況でした。特に、次女がアメリカの高校を卒業するまで私たち家族がアメリカに住み続けられるという見通しは全くありませんでした。


このように将来が見通せない中で、たとえアメリカに再び引っ越せたとしても、特に次女が高校の途中で私が転勤することになり家族でアメリカを離れることになると、アメリカでさえ地域や学校により教科の種類や進め方が異なるため、アメリカの大学入学の観点からは、次女にとり大きな負担となることは目に見えていました。


そこで思いついたのが、妻の永住権取得です。妻が永住権を取得すれば、私が次にアメリカに転勤した後、いつアメリカから離れてたとしても、妻がアメリカに残って娘たちの面倒を見ることが出来るのではないか、ということです。


永住権を取るためには、私の仕事を通して取るオプションもありましたが、永住権は取得すると基本的にアメリカに住み続ける必要があるため、そのオプションは現実的ではありませんでした。そこで妻は、2015年秋から毎年、「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)」に応募し始めました。


しかし、「移民多様化ビザ抽選プログラム」の最大の問題は、①このプログラムの抽選で当選することは本当に「運」のみであることと、②当選したとしても、当選者全員が必ず永住権(移民ビザ)を取得できるわけではない、ということです。


しかし、それ以外のオプションはありませんでしたし、当時は日本に住んでおり、将来の見通しを立てることはできなかったので、とりあえず、妻は、2015年秋から毎年「移民多様化ビザ抽選プログラム」に応募しました。初回の応募は、かなり気合を入れました。


以上が、妻が永住権を取得しようと思った理由です。


なお、この「移民多様化ビザ抽選プログラム」は、基本的に「運まかせ」のプログラムであるため、毎年申請するうちに、このプログラムへの期待は薄れ、当選の合否を確認することすら忘れた年もありました。

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