Friday, December 31, 2021

アメリカ駐在:自家用車の変遷

アメリカに15年以上住んでいますと、いろんな場所を訪れました。そして、さまざまな車に乗ってきました。所有した各々の車には過去の思い出がたくさん詰まっています。

これだけアメリカに住んでいますと、新車を買うという発想を捨てています。なぜなら車は新車購入から3年目から5年目が最も価格が下がるからです。多くの駐在員の方は、流石に奥様用の2台目は、「もし運転中に故障したら」と万一のことを考えて新車を購入しています。なお、会社がリース代を負担する駐在の方々は常に新車に乗っており、羨ましい限りです。

過去に私が所有した車は以下の通りです。

大学院時代(カリフォルニア州ロサンゼルス:1989年7月〜、インディアナ州ブルーミントン:1990年9月〜1991年7月)だけは、Pontiac Grand AMのマニュアル式2ドアを新車で買いました。このマニュアル式の車で制覇した州は、アラスカ州やフロリダ州、サウスダコダ州を含め40州近くです。その後、50州を制覇した時は28歳でした。

駐在1年目(バージニア州ロズリン:1991年7月〜)は1975年のPorsche 914、2年目(ワシントンDC:1992年7月〜1993年7月)から2台目となる1988年のSAAB 900 Turboも購入し、この2台を気分次第で乗り回していました。Porsche 914は天井を取り外しできる2人乗りオープンカーです。SAAB 900 Turboはその名の通りターボ機能が付いており、非常に加速がよかったです。

2回目の駐在時代(カリフォルニア州ロサンゼルス:2002年7月−2005年3月)は、1988年のBMW 325i convertible、妻用に1998年の Honda CRVを購入。BMWは14年落ちのかなり古い車ですが、4人乗りのオープンカーでした。この時から、いつかはトップ(天井)がハードで自動開閉できる4人乗りオープンカーに乗ることを夢見るようになりました。

3回目の駐在時代(ニューヨーク州マンハッタン:2007年7月史〜2011年1月)は、14年ものの1993年のToyota Camryでした。6気筒で排気量は3L、185馬力ありましたので、10歳以下の娘2人を含む家族4人でのドライブには十分の排気量と馬力です。購入時に既に14万マイル走っていたので23万キロ弱も走っている車を購入したということです。日本では考えられない走行距離だと思います。

4回目の駐在時代(ニューヨーク州ウェストチェスター郡ライ:2016年6月〜2020年7月)は、2013年のToyota Sienna SEと2003年のVolkswagen Jetta を購入しました。当初は、子供の送り迎えのことを考えてSiennaは妻用、Jettaは私用と考えていましたが、どうやら妻にはSiennaは大きすぎ、普段の買い物はJettaを乗り回していました。しかし、Jettaは2003年製造の車で、13年ものの車で走行距離も12万マイル(20万キロ弱)。あまりにも妻がかわいそうに思い、2018年に8年落ちの2010年のHonda Civicのセダンに買い替えました。このCivicは相当乗り心地が良く小回りも効くので妻は愛用していました。途中から16歳で運転免許を取った長女もたまに運転していました。

Sienneは6気筒で排気量は3.5L、266馬力もあり、高校生と中学生の娘2人を含む家族4人での長距離旅行は全く問題ありませんでした。

5回目の駐在(メリーランド州ベセスダ:2020年7月〜)では、2020年7月、ニューヨーク州ウェストチェスター郡ライから家族でSiennaとCivicを運転して引っ越しました。次女は2020年8月中旬から暖かい州にあるボーディングスクールに引っ越し、長女は同年9月上旬にボストン近郊の大学に引っ越したので、Siennaのような8人乗りバンは不要になりました。2020年9月、Siennaを売り2010年製造のLexus RX350を購入。Lexus RX350 は6気筒、排気量は3.5LとSiennaと変わりませんが、Siennaよりも軽く275馬力もあります。10年落ちのこの車も走行距離は12万マイルちょっとということは20万キロも走った車を買ったわけです。

10月上旬に妻が帰国したため、とうとう私の1人暮らしが始まりました。そこで、かねてからの夢であったトップがハードで自動開閉式の4人乗りオープンカーを探し求め、10月下旬、Civicを売り、2010年製造のLexus IS250Cを購入しました。2ドア6気筒で排気量は2.5Lで204馬力です。走行距離はLexus RX350と同様12万マイルちょっと(20万キロ)。私にとっては10年ものですが、まさに夢の車です。今では冬でもオープンカーにして走っています。

以上のように我が家の車は、自分用でも妻用でも10年落ちで走行距離12万マイル(20万キロ弱)の中古車購入は当たり前です。他の日本人の駐在員の方からすると、そんなに古くてマイルも走った中古車を買うなんて、ちょっと信じられないのではないかと思います。でも我が家は平気で、これまで故障等で困ったことは一度もありません。そしてアメリカでもこれまで無事故無違反です。

過去に乗った車、今乗っている車には、人生の思い出が一杯詰まっていますので、いつも大事に乗っています。

16歳の長女のTOEFL iBTのスコア

娘は2人ともアメリカ人なので、TOEFLとは縁がないと思っていました。しかし、ニューヨーク州ライに住んでいた当時16歳の長女がなぜか関心を持ったため、遊び半分で受験することになりました。遊び半分と言っても受験料を払うのは親ですが、親も気持ち半分はネイティブの長女がどのくらいの点が取れるのか興味があったので、長女が受験することを簡単に了解してしまいました。

2019年8月にNY州Purchaseで受験したことを覚えています。

2020年7月にメリーランド州モントゴメリー郡ベセスダに引っ越しましたが、最近、家の掃除をしてると、長女のTOEFL iBTのスコア用紙を発見しました。

長女のスコアは111点。内訳は次の通りです。

Reading:27点

Listening:29点

Speaking:29点

Writing:26点

満点は120点で、4種目の試験の満点はそれぞれ30点です。

ネイティブの長女は、母国語の試験で満点を取れなかったことに少しショックを受け、不機嫌になったことを記憶しています。

親としては、試験対策を一切しなかった16歳が初めてのTOEFL試験で111点を取ったのですから、まあしょうがないねと、長女を慰めました。

いかなる試験も、舐めてかからず、周到な準備をして臨むべきですね。

人生はタイミングがすべて(その3:妻はもうすぐ大学院生)

人生は、タイミングがすべて。

東京にいた頃の2015年当時、将来家族でアメリカに戻ったら、いつまでアメリカで生活ができるかわからないため、仮に次女が高校の途中で転校となると、次女の学校生活や大学受験に大きな負担になると考え、妻はその年(2015年)の秋から「移民多様化ビザ抽選プログラム」への申請を始めました。

その後、毎年申請しているうちに、当選は全く期待しなくなり、2016年7月に家族でニューヨーク州ライ市に引っ越しました。その後も、妻は、あまり期待することなく申請だけは続けていました。

そこうしているうちに、2020年となりました。その年の我が家の大きな出来事は、次の通りです。
①2月5日、長女、9月から通うアメリカの大学が決まる。(大学合格!)
②4月、次女は、とある暖かい州の州都にあるボーディングスクールに8月からハイスクール2年生(G10)として転入することが決まる。(ボーディングスクール合格!)
③5月下旬、長女はライ・ハイスクールを卒業。
④7月、家族でメリーランド州ベセスダ市に引っ越し。
⑤8月、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」に6月6日に当選していたことが判明。
⑥8月中旬、次女がボーディングスクールの寮に引っ越し。
⑦9月上旬、長女が大学の寮に引っ越し。
⑧10月11日、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」の今後の手続きのために帰国。
⑨10月27日、妻が「移民ビザ申請書(DS260)」をケンタッキー領事センター(KCC)に提出。

このように、2020年は、家族のメンバー全員にとって非常に大きな出来事が起こった年でした。

2020年10月11日から、メリーランド州ベセスダの自宅で1人で生活することになった自分は、ふと、妻が「移民多様化ビザ抽選プログラム」に申請し始めた昔の理由を思い返しました。それは、私の転勤如何にかかわらず、次女がアメリカで卒業まで同じ高校に通うために、妻が永住権を取ることでした。しかし、次女は、既にボーディングスクールに転入してしまったので、卒業までその心配は無くなりました。要するに、妻の永住権を取得する当初の理由が消滅していたのです。

でも、話はここで終わりません。
妻は、将来アメリカで働くために、アメリカの大学院進学を検討していました。全米の大学院を色々と調べて、中西部の大きな都市のある大学院で学ぶことに決めました。2019年秋にアプリケーションを出しましたが、2020年7月に当該大学院から、「コロナ禍のため2020年8月からは受け入れることはできない」と、少し思わせぶりな回答がありました。その後、大学院とやりとりを続けたところ、2021年4月1日に合格通知が来ました。そうなんです。妻はアメリカの大学院に合格したのです。他方、コロナ禍は継続していたため、2021年6月、大学院入学を1年間延期しました。したがって、妻は、2022年8月から大学院生となります。

来年の夏には私は転勤で帰国する可能性が高いのですが、仮にそうなっても、妻は、今や永住者としてアメリカに入国したため、アメリカに住み続けることができます。今年の8月から大学院生になる永住者の妻には、思う存分勉強し、調査・研究生活を楽しんで貰いたいと思います。

長女や次女は、今後、夏休みやクリスマス休暇では、帰国して日本で父親と過ごしても良いですし、大学院生の母親のもとに帰っても良く、選択肢ができました。

人生は、本当にタイミングです。

人生はタイミングがすべて(その2:「地獄の苦しみ」は2年間から1年間へ短縮!?)

長女と次女は2歳差です。したがって、本来であれば学年は「2学年差」のはずですが、ある時から「3学年差」となってしまいました。「3学年差」になった時は次女に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、その後、この「3学年差」が大事になってくることは、当初は夢にも思いませんでした。

2010年12月暮れに1回目のニューヨークでの生活を終え帰国する時点で、マンハッタンの公立学校で長女は小学3年生、次女は小学1年生でした。帰国後、アメリカンスクールに転入する際、「学年を決める生年月日の基準」が、マンハッタンの公立学校と違っていたため、長女はそのまま小学3年生として転入しましたが、次女は残念ながらキンダーガーデンへの転入となっていました。


次女は、ニューヨークで小学1年生を1セメスター経験していたのに、帰国したら幼稚園生に戻るなんて、少し屈辱的だったかもしれません。親としては、かわいそうで仕方がありませんでした。


ということで、2011年1月、アメリカンスクールに転入した長女と次女の「学年の差」が「2年」から「3年」に開いてしまいました。


このことは、実は将来、親にとり、とても重要になるのでした。


現在大学2年生の長女は、次女が大学に入学する時は大学4年生になります。即ち「2023年9月から2024年5月まで」の期間が「長女も次女も大学生」の期間となります。この年の授業料と寮費は2人分で1600万円を超えると思います。返済不要な奨学金が得られ、学費ローンを借りても、親の負担は2人分で1000万円を超えるものと覚悟しています。


翌2024年9月に次女は大学2年生となりますが、長女は卒業しているため、大学の授業料・寮費は一人分で済むことになります。


これは、2011年1月にアメリカンスクールに転入する時に長女と次女の「学年の差」が「3年」になったおかげです。あの時、次女がアメリカンスクールの小学1年生に転入していれば、「長女と次女が同時に大学生の期間」が「2年間」となり、2022年と2023年は、親として大学の授業料を2人分払わざるを得ない「地獄の2年間」となっていたことでしょう。


もちろん、親が負担する子供の教育費の全体額は変わりませんが、やはり、人生、タイミングはとても重要ですね。

人生はタイミングがすべて(その1)

 人生を改めて振り返ると、人生は「タイミング」であり、ある意味、「タイミングがすべて」であることを実感しています。

子供の教育においてもタイミングが重要です。


長女も次女もロサンゼルスで生まれ、2人ともアメリカ市民権を得ました。2人目を授かるタイミングか、アメリカを離れる私の転勤のタイミングがずれていれば、次女はロサンゼルスで生まれておらず、アメリカ市民権を得られなかったかもしれません。


次女はキンダーガーデン(幼稚園)の入学からエレメンタリースクール卒業まで同じ学校に通えました(東京のアメリカンスクール)。


長女も次女もミドルスクールを入学から卒業まで同じ学校に通えました(長女は東京のアメリカンスクール、次女はNY州ライ・ミドルスクール)。


長女はハイスクールを入学から卒業まで同じ学校に通えました(NY州ライ・ハイスクール)。


これらは、私の転勤のタイミングでたまたまそうなったわけですが、長女と次女が、節目節目で同じ学校に入学から卒業までずっと通えたことは、学業の観点、友達作りの観点、それらが及ぼす精神的な観点から、本当に良かったようです。


もう一つよかった点は、東京のアメリカンスクールは、キンダーガーデン(幼稚園)からハイスクールまで同じ敷地にあったことです。そのため長女と次女は5年半の間、一緒に通学できました。


また、NY州ウェストチェスター郡ライ市の公立学校である、ライ・ミドルスクールもライ・ハイスクールも同じ敷地にあったので、毎朝私が娘2人を車で学校まで送っていました。所要時間はたった5分ですが。なお、次女にとり、同じ敷地に姉(長女)がいたことは、心のどこかで安心できていたようです。


人生は本当にタイミングですね。

2021年の年末:一家団欒

2021年12月中旬から 久方ぶりに家族全員が集まりました。妻は1年2ヶ月ぶり、次女は4ヶ月ぶり、長女は3ヶ月ぶりの再会です。

昨年のクリスマスは、妻は1人で日本におり、私と娘2人でホノルルで休暇を取りました。今年は12月13日に次女が、12月21日に長女が遅まきながら大学の寮からメリーランド州のベセスダの自宅に帰省。それ以降、一家団欒が続いています。

来年1月2日には次女はボーディングスークルに戻るので、それまでの期間を大事にして、できるだけ家族でいろんなことをしています。

12月24日は、次女と2人でフリーア美術館の「北斎展」を鑑賞。

12月25日の朝は、クリスマスツリーの下に置かれた各人から各人宛てのプレゼントを開ける我が家伝統の儀式を行い、次女の手作りの夕食をみんなで堪能しました。

12月26日は、妻と長女と一緒にワーナーシアターでワシントン・バレエ団の「くるみ割り人形」を鑑賞。

12月28日は、妻と次女と一緒にボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学のキャンパスツアーに参加。非常に優秀な総合大学ですが、学部生は5500人しかいないリベラルアーツ並みの規模の大学です。次女は将来大学で環境科学の研究調査を行いたいそうで、この大学は研究調査が非常に強い大学であるので、魅力的に感じました。

その日の夜は、ベジタリアンの次女のことを考えて、ベセスダにある健康食が売りの「True Food Kitchen」レストランで家族全員で夕食を取りました。

12月29日は、長女と次女は、メリーランド州ロックビルにあるロックビル・タウンスクエアの小さな屋外アイススケート場でアイススケートをしました。私は運転手役でした。長女と次女はアイススケートも楽しンダようですが、どうやら滑りながらいろんなお話を姉妹でしたみたいです。

その後、3人でメリーランド州シルバースプリングに移動し、「Regal Majestic & IMAX」劇場で「スパイダーマン:ノーウェイ・ホーム(Spider-Man: No Way Home)」を鑑賞しました。歴代のスパイダーマンが登場するのですが、非常によくできた楽しい映画でした。

12月30日午前は、妻と一緒にバンク・オブ・アメリカに行き、妻だけの銀行口座を開き、デビットカードやクレジットカードも作りました。これは、来年8月からの妻の大学院進学に備えての準備です。

その日の午後は、長女と次女はCVSでHPVワクチンを接種。私はまた運転手役。その後、Safewayで私が帯状疱疹のワクチンを接種しました。

12月31日は、家族全員でスミソニアンのアメリカ美術館(American Art Museum)(この美術館の中にある国立肖像画ギャラリー(National Portrait Gallerry)も含む)、レンウィック・ギャラリー(Renwick Gallery)などを訪れました。移動の途中で、ラファイエット広場からペンシルベニア・アベニューを挟んだところにあるホワイトハウスを外から見学。家族で記念写真を撮りました。

このように、2021年の最後を喧嘩もせずに一家団欒で過ごすことができ、とても感謝しています。


*1枚目の写真は大統領執務室があるウエスト・ウイングの建物。

*2枚目の写真は、大統領夫妻が住んでいるレジデンス等があるホワイトハウス。大統領がよく記者会見をするイーストルームもこの中にある。3階は大統領のプライベートクウォーター。







妻、アメリカの永住権取得!(その13:「1年2ヶ月」もの「首が回らない」期間)

2020年10月11日に妻が帰国したことにより、我が家は、物理的に「一家離散」状態となりました。家族の居住地は、私はメリーランド州ベセスダ市、妻は東京、長女はマサチューセッツ州ボストン近郊、次女はある暖かい州の州都と、家族全員が異なる地域にバラバラで生活することになりました。

最も大変だったことは、「懐事情」です。私の生活費に、妻の東京での生活費加わりました。そもそも長女の学費・寮費(8万ドルちょっと)への親の出費は4万4千ドル、次女の寮付き私立高の学費・寮費(6万5千)への親の出費は2万4千ドルもあるので、まさに「首が回らない」状態となりました。


妻が2020年10月11日に帰国してから2021年9月29日に「移民ビザ」を取得するまでの期間は約「1年間」ですが、妻は、「移民ビザ」を取得した後、2021年11月23日まで日本に残りました。したがって、妻は、日本に「1年1ヶ月ちょっと」生活したことになります。妻はこの期間、本当に大変だったと思います。


更に妻は、2021年11月23日に日本を発ってハワイ州ホノルルに永住者として入国して以降、2021年12月12日までホノルルに滞在しました。妻は暖かいところで、ごく短い期間ですが、少しでもリハビリができたことを祈っています。


ということで、2020年10月11日から2021年12月12日までのこの「1年2ヶ月間」は、財政的にも相当辛い期間でした。しかし、妻はこれで永住者としてアメリカで生活することになりますので、アメリカでのこれからのことを考えると、夢は膨らみます。

妻、アメリカの永住権取得!(その12:「移民ビザ」でアメリカに入国した意味)

妻が苦労の末、「移民多様化ビザ抽選プログラム」に申請して取得した「移民ビザ(Immigrant Visa)」(2021年9月28日発行)のコピーを下に貼り付けます。


「移民ビザ」は米国に永久に居住する人のためのビザです。この「移民ビザ」で入国する際、入国が許可された時点で(妻の場合は2021年11月23日)、渡航者(妻)は「米国永住者の資格」を得たことになります。妻のパスポートの「移民ビザ」の下の方に「Upon Endorsement Serves as Temporary I-551 evidencing permanent residence for 1 year」と印字されていますが、これがその証拠です。この「1年間」の記載は、これは妻の「永住者の地位」が1年間しかないという意味ではありません。「永住カード(I-551)/(俗称)グリーンカード」が届く期間の猶予が1年間あるという意味です。したがって、既に入国した妻は、「永住者の地位」を取得したわけで、このパスポートの「移民ビザ」を見せれば、アメリカで働けることになります。


なお、妻の「移民ビザ」の有効期限は「2022年1月5日」までとなっていますが、これは、妻の「永住者の地位」が来年の1月5日まで、という意味ではありません。「移民ビザ」を取得したら、取得してから6ヶ月以内ではなく、日本で受けた健康診断受診日から6ヶ月以内(妻の場合、2021年1月5日が期限)にアメリカに渡航しなければ、それを過ぎて渡航しても、永住者としての入国は認められない、ということです。


「永住者カード(I-551)/(俗称)グリーンカード」は、入国後、120日以内(通常は2ヶ月以内)に米国の居住地宛に郵送されます。「永住者カード」は、米国における「合法的永住資格の証明」です。このカードは有効な「身分証明書」でもあり、米国に「居住」し「就労」することが可能であるという証明でもあります。


          

妻、アメリカの永住権取得!(その11:アメリカに永住者として入国!)

2021年9月29日、移民ビザが貼られた妻の日本のパスポートがアメリカ大使館から郵送されて来ました。

あとは、関係書類と移民ビザが貼られた日本のパスポートを携行してアメリカに無事入国できれば、アメリカの永住者となります。


妻は、入国するアメリカの都市をハワイ州ホノルルに決めました。なぜなら、「移民多様化ビザ抽選プログラム」を通して「移民ビザ」を入手した多くの日本人が、ホノルルから入国しているため、ホノルル国際空港の入国審査官は、妻のような立場の者の審査に慣れていると思ったからです。


2021年11月23日、妻は成田空港を飛び立ち、同日、ホノルル国際空港(ダニエル・K・イノウエ国際空港)に到着。


「移民多様化ビザ抽選プログラム」を通して取得した「移民ビザ」を携行した者がアメリカに初めて入国する場合、入国管理審査官により別室に連れていかれて、色々と尋問を受けることが多いと聞きましたが、さすがはホノルル国際空港。妻は別室に連れていかれることなく、通常の入国審査レーンの先の入国審査場所(入国審査官が入っているボックスの前)で、関係書類を入国審査官に渡し、入国審査官が所定の手続をとり、特に特別な質問もなく、パスポートに入国のスタンプを押され、入国できたそうです。


入国できたということは、妻はアメリカで永住者の地位を得たということであり、今後、アメリカで永住者として生きていくということになります。

妻、アメリカの永住権取得!(その10:アメリカ大使館での面接)

2021年9月27日(月)午前8時にアメリカ大使館で行われた妻の面接内容を記します。面接は、非常に和やかな雰囲気の中で進み、所要3分程度だったそうです。

1 これから答えることは真実であることを誓うか。

2 あなたは、若しくはあなたの夫は、ワシントンDCで働いているか。

3 今回永住権を申請するのは、あなただけか。

4 子供2人は米国市民権を有しているか。

5 アメリカ国内でワシントンDC以外にどの都市に住んだことがあるか。

6 アメリカに計何年住んでいたか。

7 アメリカで住んだ都市で、どの都市がよかった?


最後の質問に回答した後、妻は指紋を取られて面接が終了したとのこと。「移民多様化ビザ抽選プログラム」に当選後、アメリカ大使館での面接までこぎつけると、「移民ビザ」の取得はまず大丈夫だと言われています。

妻、アメリカの永住権取得!(その9:KCCレター(アメリカ大使館の面接日時の通知))

2021年9月25日(土)にKCCから妻宛てに届いた2021年9月24日付レターを下に貼り付けます。


このレターには、

①アメリカ大使館による妻の面接を2021年9月27日(月)午前8時に設定したこと、

②KCCは妻のケースの処理を完了したこと、

が記されています。


妻、アメリカの永住権取得!(その8:妻の「1年間」もの闘い)

「移民多様化ビザ抽選プログラム」に2019年10月14日に応募、2020年6月6日に当選した妻は、2020年10月11日に帰国、2020年10月27日に「移民ビザ申請書(DS260)」を「ケンタッキー領事センター(KCC)」に提出してから約「1年間」、妻の実家の近くで1人でアパート暮らしをしながら、KCCからの「アメリカ大使館の面接日時設定通知」をひたすら待つという生活を強いられました。

妻は、KCCからの連絡の見通しがないまま、2021年7月に移民ビザ取得のための健康診断をアメリカ大使館が指定する医療機関で受診しました。


その後、とうとうKCCから連絡が来なまま2021年8月に入りました。妻の当選の権利が失効する9月30日まであと1ヶ月半。妻も私もだんだん弱気になっていきました。


妻は、KCCに審査の検討状況を照会するメールを8月24日と9月21日の2度送りましたが、KCCからは「メールを受信しました」という「自動返信メール」が来るだけでなしのつぶてでした。


私もなんとかして力になりたいと思い、当選の権利失効まで2週間となった2021年9月16日にアメリカ大使館の知り合いに相談しました。アメリカ大使館としても、KCCからの連絡待ちで、KCCに正規のルートで照会することしかできないとの回答でした。まあ、KCCからすると、全世界のアメリカ大使館からの一つ一つの案件に関する照会にいちいち回答なんかできないのでしょう。力関係は、アメリカ大使館<KCC <国務省領事局といったところでしょうか。


当選の権利執行まであと1週間となった2021年9月22日、私はとあるアメリカ人の旧友に相談しました。旧友は、国務省の知り合いに照会はしてみるが、その知り合いは国務省領事局の人でもないし、期限まであと1週間しかないので、流石にこれはどうすることもできないであろうとの反応でした。


妻の当選の権利が失効まで1週間を切ったため、妻も私もほとんど諦めかけていた中、2021年9月24日(金)に東京のアメリカ大使館から妻に突然電話がありました。「提出すべき必要書類(出生証明書、健康診断書、警察証明、財政証明など)が準備できているかどうか」の確認と「まだKCCから審査完了の通知があったわけではないが、仮に通知がくれば、アメリカ大使館で面接をするので、都合の良い日時を教えてくれ」との連絡でした。妻は全ての書類を既に整えていたので、週明けとなる9月27日(月)の朝一の面接を希望すると回答しました。


この狐に包まれたような急転直下の展開に、妻も私も大歓喜するというよりも、まず、このうれしい現状を理解するのに少し時間がかかりました。


そして、9月25日(土)午前、KCCから、

①アメリカ大使館での面接を9月27日(月)午前8時に設定したこと

② KCCが妻のケースの処理を完了したこと

を通知するメールが妻に届きました。


9月27日(月)早朝、妻は満を持してアメリカ大使館に赴き、面接を受けました。面接はあっという間に終わったそうです。


妻としては、「2020年10月11日の帰国」から「2021年9月27日のアメリカ大使館での面接/9月28日の移民ビザ発給/9月29日の移民ビザが貼られたパスポートの入手」までの約「1年間」は、精神的に相当きつかったと思います。


①KCCが妻のDS260を審査するのか、②審査しても認可するのか、③認可したとしても、期限(2020年9月30日)内にアメリカ大使館による妻の面接を設定してくれるのか、④面接をしたとしても、妻は面接に受かるのか、という諸点全ての見通しがつかない状況の中、約1年間、東京で1人で待機したわけですから。


当選の権利が失効する「2021年9月30日」はあたかも死刑執行日のようで、2020年10月27日にDS260をKCCに提出後、年が明けても、2021年の春になっても、待てど暮らせど連絡がありませんでした。とうとう2021年8月に入ってもアメリカ大使館からの連絡がなかったので、流石に焦り始め、妻は心半分、諦めかけていたようです。毎日、時が経つにつれ、希望が徐々に失われていく感じだったと思います。


「移民多様化ビザプログラム」に全世界で1500万人が応募すると言われており、このプログラムを通じて国務省が発行する移民ビザは毎年5万5千。したがって、このプログラムを通して移民ビザを取得できる確率は0.36%ということになります。日本人に限れば、日本人申請者は毎年5万人前後。そのうち当選するのは550人前後。したがって、日本人だけで考えると確率は約1%とということになります。


2021年度移民多様化ビザ抽選プログラムの当選者に関しては、前年同様、新型コロナウィルス感染症のパンデミックの影響により、KCCのDS260の審査が遅々として進まず、また、全世界にあるアメリカ大使館が一時閉鎖され面接の設定が遅れたり、1週間の面接の回数がかなり制限されたりしたため、2021年9月30日の締め切りまでに「移民ビザ」を取得できたのは、全世界で1万5千人と言われています。これは応募者1500万人の「0.1%」です。したがって、妻は、この「0.1%」に入れた、ということになります。


なお、9月24日のアメリカ大使館からの電話は摩訶不思議でした。KCCからのDS260審査完了通知前のことでしたから。ともあれ、妻としては、晴れてアメリカ大使館で面接を受け、「移民ビザ」を取得できたのですから、「1年間」の辛い闘いは、報われたと思いたいです。

妻、アメリカの永住権取得!(その7:難関(ある途上国の警察証明の入手))

警察証明とは、過去に犯罪を犯したことがないという証明です。移民ビザ申請者は1年以上居住したすべての国から警察証明を入手する必要があります。

ただし、アメリカに住んだことがある人は、アメリカからの警察証明の提出は不要です。米国務省は、カリフォルニア州ロサンゼルス市、ニューヨーク州ニューヨーク市、ニューヨーク州ライ市に住んでいた時に妻が犯罪を犯さなかったことくらいのことは、独自に確認できるのだと思います。

過去に日本にしか住んだことのない方は、日本の警察からの警察証明の入手はあまり難しいことではありません。東京に居住する申請者は警視庁が申請を受け付けます。非常に不思議なことに日本の警察証明は封印されています。アメリカ大使館への提出以前に開封された場合、その証明は無効となります。警察証明は、開封せずに大使館での面接に持ち込むことになります。


KCCに封印された警察証明を事前に送付する必要がありますが、警察証明書の封筒の表裏をスキャニングしてデータ化して送付することになります。これでは、KCCは警察証明の封筒の表裏しか見ることができないので中身を確認することができません。したがって、このKCCへの警察証明のデータ送付は何のために行うのかは分かりませんが、皆やっていることなので妻も送付しました。アメリカ当局は、アメリカ大使館での面接の際に封印された警察証明が提出された後に、初めて警察証明の中身を確認することになります。


問題は、過去に2年間ちょっと家族で途上国に住んだことがあるため、当該途上国からの警察証明を入手する必要があったことです。当該途上国からどうやって妻の警察証明を入手するかが難問でした。当時当該途上国に住んでいた時の部下(現地の方)はまだ働いていたので、その方に連絡をとって見ました。その方は快く当該途上国の妻の警察証明入手を支援することを約束してくれました。


色々と調べた結果、過去に当該途上国に住んだことがある時代の当該途上国の警察証明を入手する手続きがわかりました。


即ち、今住んでいる国(アメリカ)の「当該途上国の大使館」に行って、警察証明を入手するための申請書を入手し、必要事項を記入し、指紋を採取して、「当該途上国の警察省」に申請する必要があることがわかりました。


早めに警察証明を入手した方が良いと考えた妻は、帰国する前の2020年8月下旬、ワシントンDCにある「当該途上国の大使館」に赴き、当該途上国の警察証明申請書を入手。当該途上国の外交官が見守る中、妻は申請書に両手10本の指の指紋を採りました。


警察証明申請書は揃いましたが、この申請書を「当該途上国警察省」にFEDEXで送付したとしても、当該途上国警察省の中で、うやむやにならないか心配でした。その懸念は、かつての部下に頼んだとしても同じことでした。


どうしたものかと種々調べた結果、当該途上国には、妻と同じようにアメリカの「移民多様化ビザ抽選プログラム」に当選し、自国(当該途上国)警察省から警察証明を入手したい国民がたくさんおり、そのような要請に応え支援するための業者が当該途上国に存在することがわかりました。簡単にいうと、当該途上国には、警察証明発行支援をビジネスとして行っている業者があるということです。


2020年9月に入り、当該途上国にその業者にコンタクトを取り、妻が当該途上国に住んでいた時の警察証明入手を依頼し、妻の指紋がついている警察証明申請書を業者に送付、料金を送金しました。


2020年10月、この業者は当該途上国の警察証明を入手し、その時点で帰国していた妻にFEDEXで送付してくれました。2020年10月28日、当該途上国の妻の警察証明が帰国した妻のアパートに届きました。

妻、アメリカの永住権取得!(その6:移民ビザ申請書(DS260)の提出)

「移民多様化ビザ抽選プログラム」に当選したら、次にすべきことは「移民ビザ申請書(DS260)」を「ケンタッキー領事センター(KCC)」にオンライン上で提出することです。

DS260のKCCへの提出は、「移民多様化ビザ抽選プログラム」に当選した後の作業で、最も重要な作業です。 なぜなら、KCCが提出されたDS260を審査し認可しなければ、移民ビザを取得するためのアメリカ大使館での面接にたどり着けないからです。


DS260は、このプログラムに応募した時よりも入力すべき情報量が圧倒的に多く、妻はかなり時間を取られたようです。例えば、過去に住んでいた住所を書く必要があり、正確性が求められます。DS260への入力について、過去の当選者はかなり苦労されたようで、彼らの様々なブログで写真付きで丁寧且つ詳細に説明されており、情報が溢れておりますので、そちらをご覧ください。


妻は2020年10月11日に帰国後、同年10月27日にDS260をKCCに提出しました。

DS260を提出すると、あとは結果を待つのみです。もちろん、将来、アメリカ大使館での面接の際には、出生証明証、警察証明(過去に犯罪を犯していないという証明)や健康診断書、銀行の残高証明などが必要となりますが、これらは、DS260への記入作業と比べると大した作業ではありません。

妻は、2020年10月11月の帰国以降、KCCから審査完了及びアメリカ大使館での面接日の連絡がきた2021年9月25日までの約「1年間」、ひたすら結果を待つという孤独な闘いを強いられました。

2020年のクリスマスと年末年始は、私と娘2人の家族3人は、ホノルルで過ごしました。妻は、DS260提出後でもあり、いつKCCから連絡が来てアメリカ大使館で面接があるかわからないので、日本から離れない方が良いであろうとの判断により、このホノルルでの家族休暇に参加できませんでした。

私と娘2人が帰国し日本で妻と一緒に休暇を過ごすアイデアもありましたが、新型コロナウイルス感染症の水際対策により、入国後2週間の自主隔離が求められていたため、休暇のための帰国を断念しました。妻には本当に申し訳なかったです。

妻、アメリカの永住権取得!(その5:「移民多様化ビザ抽選プログラム」に「当選」の意味)

「移民多様化ビザ抽選プログラム」は、まず、すべての応募(エントリー)は対象地域ごとに分けられ、それぞれ番号をつけられます。応募受付期間終了後、米国務省は各地域や国の割当て数に基づいて全ての「有効な応募」の中から「コンピューター」により「無作為」に「各対象地域ごと」に当選者を選びます。応募期間中に受理されたすべてのエントリーの各対象地域内での当選確率は平等です。

米国務省のコンピューター抽選により当選しても「移民ビザ」が自動的に発給されることを保証するものではありません。このプログラムに「当選した」ということは、「移民ビザ」の「申請資格を得た」ということにすぎません。


「移民多様化ビザ抽選プログラム」で発給される「移民ビザ」の数は 5万5千件ですが、必ずそれよりもかなり多くの応募者が当選します。これが、「当選しても必ずしも移民ビザを取得できるわけではない(=永住権が得られるわけではない)」理由です。


抽選で「移民ビザ」の発行数(5万5千件)より多くの当選者を出す理由は、当選者の中に、「移民ビザ」を取得する資格のない人や、「移民ビザ」申請手続きを行わない人がいることが予測されるためです。これは同時に、発給される「移民ビザ」の総数が当選者数に満たないことを意味します。


「移民ビザ」は、発給を受ける準備のできている申請者に対して毎月発行されますが、5万5千件全ての「移民ビザ」が発給された時点で、その年のプログラムは終了します。これは、当選の有効期限(移民ビザを取得できる最終日)である9月30日よりも前にプログラムが終了する可能性があるということです。プログラムが終了した時点で、当選者の「移民ビザ」を得る権利は、有効期限前であっても消滅します。

妻、アメリカの永住権取得!(その4:応募と当選)

「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program: 略称Diversity Visa Program/ DV Program)」への応募から移民ビザ取得の大まかな流れは前回お伝えしました。

このプロセスの中で重要な作業は、①応募と、②当選後のDS260(移民ビザ申請書)の提出です。その他に妻が苦労したことは、日米以外のある国に2年ちょっと住んでいたことがあり、その国からの犯罪証明を取り寄せることでした。


ここではまず、「応募」についてしたためます。


「移民多様化ビザ抽選プログラム」への「応募」は、国務省のサイトからオンラインで可能です。この応募自体に料金はかかりません。


この抽選プログラムへの「応募」は、指定された期間(通常は10月から11月の間)に応募する必要があります。ちなみに、2023年用移民多様化ビザ抽選プログラムの応募期間は2021年10月6日から11月9日まででした。


妻は、2015年から毎年応募しました。過去の応募日は、2015年11月3日(2017年度用)、2016年10月10日(2018年度用)、2017年11月12日(2019年度用)、2018年10月29日(2020年度用)、2019年10月14日(2021年度用)です。応募は、インターネットを通して www.dvlottery.state.gov のサイトから電子的に送信される必要があります。具体的には、Electronic Diversity Visa Entry Form (E-DV エントリーフォーム、DS-5501) を www.dvlottery.state.gov か らオンラインで送信します。


電子上で応募すると、応募者の名前と固有の確認番号(Case Number)が明記されている確認画面が表示されます。応募した翌年の5月より、www.dvlottery.state.gov のサイトに再度アクセスし、Entrant Status Check をクリックし、「Case Number」と個人情報(苗字と生年月日)を入力することにより、応募状況を確認することができます。Entrant Status Check は当選結果を知る唯一の方法であり、ビザ手続きのインストラクションや面接日時も Entrant Status Check 上で通知されます。抽選の結果はメールでは行われませんので、この確認作業が極めて重要です。妻の場合、応募したことをすっかり忘れていて、2020年8月頃に確認をしたら、6月6日に当選していることがわかり、びっくりしました。


E-DV エントリーフォームを完成するためには以下の情報が必要です。それほど難しくないので、代行業者を雇わなくてもご自身でできると思います。

なお、巷には経験者や代行業者が応募の仕方を写真付きで丁寧に説明しているサイトがありますので、そちらを参考にしてください。


1. 名前: 姓、名、ミドルネームの順。

2. 生年月日: 日、月、西暦年の順

3. 性別: 男性、または女性

4. 出生地

5. 出生国: 応募者が生まれた国。日本出生の場合は日本を選択。

6. DV プログラム対象国: 対象国とは、通常、応募者の出生国と同一。

7. 写真: 最近撮影された写真。応募者本人、配偶者、およびエントリーに記入した全ての子 どもの写真。

8. 現住所:  番地と町名(1 段)、 番地と町名(2 段)、 市町村 郡/州/都道府県 郵便番号、 国

9. 現在の居住国 

10. 郵送用の住所

11.電話番号 

12.E メールアドレス: 直接アクセス可能な E メールアドレス。ただし、このE メー ルアドレスに正式な当選通知は送られない。もし当選し Entrant Status Check ページより 当選通知に返答した場合は、後日 Entrant Status Check 上で移民ビザ面接に関する詳細を確認するように国務省から E メールで連絡がある。国務省は DV プログラムに当選した旨を E メールでは通知しない。

13.応募時点で取得している最終学歴: 

以下のいずれかを満たす必要がある。

  (a)高校卒業以上であること、又は、

  (b)直近5年間のうち2年間の職業経験があり、かつ、当該職業が2年間以上のトレーニングを必要とするものであること

14.現在の婚姻状況: 配偶者の名前、生年月日、性別、 出生地、出生国を入力。また応募者本人同様、規格に合った配偶者の写真も必要。

15.子どもの人数: 応募者との同居、別居を問わず、また DVプログラムで応募者と米国へ移民する意思にかかわらず、エントリーには、現存する 21 歳未満の未婚の子ども全ての名前、 生年月日、性別、出生地、および出生国の情報が必要。応募者本人同様、子ども各々の規格に合った写真も必要。


2015年秋に初めて応募した時は、妻はかなり時間と労力をかけて応募したようですが、毎年応募するようになると、だんだん慣れてきて、最後に応募した2019年の時は、所要10分程度でした。毎年同じような情報を入れるので、入力する内容よりも、写真を毎年撮って規格通りに編集してアップロードする方が大変だったようです。


2019年10月14日に「移民多様化ビザ抽選プログラム」に応募した妻は、2020年6月6日、国務省ケンタッキー領事センター(KCC)から、同プログラムに当選した通知を受け取りました。見えにくいですが、妻の当選通知を以下に掲載します。


通知の冒頭、「2021年度移民多様化ビザ抽選プログラムにおける更なる作業のために、あなたは無作為に選ばれた(You have been randomly selected for further processing in the Diversity Immigrant Visa Program for the fiscal year 2021(October 1, 2020 to September 30, 2021)。」と書かれています。これまでも指摘したように、この当選により、「移民ビザ」の取得が保証されたわけではなく、「あなたは、移民ビザ取得のための次のステージに進めることになりましたよ」という意味です。通知には、「当選によりあなた(妻)が(移民)ビザを取得することは保証されない(Selection does not guarantee that you will receive a visa . . .)」としっかり記されていました。






妻、アメリカの永住権取得!(その3:応募から移民ビザ取得までの流れ)

「移民多様化ビザ抽選プログラムの「応募」から「移民ビザ取得」までの基本的な流れを説明します。詳細は、巷に溢れるいろんな方のブログを読んでください。

このプログラムは、「Diversity Immigrant Visa Programt」と呼ばれ、毎年秋(10月〜11月)にオンライン申請を受け付けています。ある年(X年)の秋に応募をすると、通常、翌年(X+1)の5月頃に抽選の合否が判明します。抽選で当選したとしても、当選者全員が自動的に永住権を取得できるわけではありません。当選した後、「移民ビザ申請書(DS260)」をアメリカのケンタッキー州にある「ケンタッキー領事センター(Kentucky Consular Center (KCC))(米国務省の機関)に提出し、KCCが提出されたDS260を審査し、認可する必要があります。認可されれば、翌年(X+1)の10月1日から、応募した国のアメリカ大使館での面接が設定され、面接を受けることになります。面接を受け、問題がなければ「移民ビザ(Immigrant Visa)」が与えられ、アメリカに永住者として入国する権利が与えられます。抽選で当選した人の永住権を得られる権利は、申請した年(X年)から2年後の9月30日までと決まっています。または永住権の抽選に当選(通常5月)した年の翌年の9月30日までです。その期限までにアメリカ大使館で面接を受けて、移民ビザを取得できないと、抽選で当選した権利を失います。


◯◯年

 10月〜11月 応募

◯◯年+1年

  5月頃 当選発表

     当選したら、DS260をKCCに提出

 10月   アメリカ大使館の面接開始。早ければ10月中に移民ビザを取得し、アメリカに永住者として入国する人もいる。

◯◯年+2年

 9月30日 アメリカ大使館の面接・移民ビザ発給最終日。この日までに移民ビザが発給されなければ当選の権利を失う。

 X月   健康診断受診日から6ヶ月以内に渡米、永住者としてアメリカに入国。入国後、1ヶ月から数ヶ月で「グリーンカード」が送付される。


妻のケースは以下の通りです。

2019年

 10月14日  2021年「移民多様化ビザ抽選プログラム」に応募

2020年

   6月 6日 抽選に当選

 10月11日 日本に帰国。アパートを借りて生活開始。

 10月26日 住民票取得

 10月27日 DS 260をKCCに提出

2021年

  9月24日 東京のアメリカ大使館より妻に電話あり。KCCから審査認可の連絡が来たら面接をするとのこと。面接の都合の良い日時を聞かれる。

 9月25日午前、KCCからメールが到達。メールに添付されたレターに、①アメリカ大使館による妻の面接日を9月27日午前8時に設定したこと、②KCCが妻のケースの処理を完了したこと、が記載。

  9月27日  午前8時にアメリカ大使館に行く。面接を受ける。

  9月28日 「移民ビザ」が発給される。移民ビザの有効期限は妻の健康診断受診日から6ヶ月後の2022年1月5日まで。

  9月29日  「移民ビザ」が貼られた妻の旅券、書類一式がアメリカ大使館から妻のもとに郵送される。USCISへビザ申請料を払う。

 11月23日 成田発 

 11月23日 ホノルル空港着。空港で入国審査。永住者として入国。


「移民多様化ビザ抽選プログラムは」、米国移民国籍法の規定で「Diversity Visa Immigrant」のカテゴリーを設け、歴史的に米国への移民率の低い国の人々に移民ビザを発給するものです。この抽選は、コンピューターで無作為に当選者を選出します。


過去 5 年間に 5万人以上の移民を米国に送り出した国の出身者はこのプログラムの対象にはなりません。例えば、バングラディッシュ、ブラジル、カナダ、中国(本土生まれ)、コロンビア、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバドル、ハイチ、ホンジュラス、インド、ジャマイカ、メキシコ、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、韓国、イギリス(北アイルランドを除く)、ベネズエラ、ベトナムの国民は、このプログラムに応募することはできません。

なお、マカオ、台湾で出生した方は対象となるようです。


次回は、移民多様化ビザ抽選プログラムの「応募」について説明します。