Friday, February 25, 2022

妻、アメリカの永住権取得!(その16:「グリーンカード」取得の苦労(その3))

アメリカ国務省が主管する「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)(俗称「DV抽選永住権プログラム」)を通じてアメリカの永住権を取得した妻は、2021年11月23日に米国ハワイ州ホノルルに永住者として入国しました。

入国後、妻は実物の「グリーンカード」が郵送されるのを楽しみに待っていましたが、2022年1月7日、アメリカ移民局から「移民ビザの費用220ドルを払っていないので早急に支払うように。右支払いがない限り、妻の「グリーンカード」は発行しない。」との連絡があり、私たちは混乱しました。妻は、2021年9月29日に東京で移民局に対し移民ビザ費用220ドルを既に払っていたからです。

そこでいろいろと調べると、妻が東京で支払った移民ビザ費用は、妻の外国人登録番号のアカウントではなく、他人のアカウントに対して支払われたのではないかとの疑いが高まりました。

となれば、2021年9月27日にアメリカ移民局が妻に移民ビザの費用を請求した書類に掲載された妻の外国人登録番号が間違っていたということになります。

焦った私は、アメリカ政府の知り合いに頼んで、アメリカ移民局のAを紹介してもらいました。2022年1月15日、アメリカ移民局のAにメールで事情を説明し、問題解決をお願いしました。アメリカ移民局のAは移民局の担当Bから連絡させる旨述べました。

2022年1月20日、移民局の担当Bから連絡がありました。私が電話で本件について丁寧に説明したところ、担当Bは、問題の本質を即座に理解し、2021年9月27日に妻に移民費用を請求した書類に掲載された妻の外国人登録番号が間違っていたのは、アメリカ移民局の責任であることを認めました。担当Bは、アメリカ移民局内で検討し、問題解決のために努力すると述べました。

2022年1月22日、移民局の担当Bから再度絡がありました。担当Bがうまく調整してくれた結果、妻が支払った移民費用は、妻の外国人登録番号の口座に転送されることなったとのことでした。これにより、妻の「グリーンカード」の発送手続きが整うので、2週間してもグリーンカードが届かなければ連絡して欲しいと述べました。

2022年2月11日、アメリカ移民局の担当Bに電話をし、「まだ妻の「グリーンカード」が届いていない、どうなっているのか」と照会しました。担当Bは、「(妻が)支払った移民費用の転送手続きがやっと3日前に完了した。右手続きに予想外にも時間がかかってしまい申し訳ない。これでグリーンカード発行手続きを進めることができる。2週間程度で届くであろう。」とのことでした。

2022年2月17日、アメリカ移民局の担当Bから、妻の「グリーンカード」の郵送手続きを終えたとの連絡がありました。当初は混乱の極みでしたが、やっとここまで来れたという感じでした。

2022年2月24日、妻の「グリーンカード」が、メリーランド州ベセスダの自宅に配達されました!


   
配達された妻のグリーンカード

           左上に永住者(Permanent Resident)と記されている

           

郵送されてきた妻の「グリーンカード」の有効期限は、妻が永住者としてアメリカの入国した2021年11月23日から、10年後の2031年11月23日までとなっています。

妻のアメリカの「グリーンカード」取得まで、本当に長い道のりでした。

この「グリーンカード」の取得には、

・2019年10月14日にアメリカ国務省が主管する「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)」に応募してから2年4ヶ月、

・2020年6月6日に同プログラムに当選してから1年8ヶ月、

・2020年10月11日に妻が帰国してから1年4ヶ月、

・2021年9月28日にアメリカの移民ビザを取得してから5ヶ月、

・2021年11月23日、永住者としてアメリカに入国してから3ヶ月、

かかりました。


妻は、これでアメリカでいつでもどこでも安心して就職することができます。


長い道のりであった分、妻は喜びもひとしおのようです。

これで私がいつ転勤命令が出てアメリカを離れることになっても、家族としては、妻が将来住む場所が拠点となり、夏休みや感謝祭、クリスマスに娘たちは妻の家に帰ってこれることになります。そういう意味でも本当に良かったと思います。

Thursday, February 24, 2022

妻、アメリカの永住権取得!(その15:「グリーンカード」取得の苦労(その2))

アメリカ国務省が主管する「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)(俗称「DV抽選永住権プログラム」)を通じてアメリカの永住権を取得した妻は、2021年9月28日に駐日アメリカ大使館で移民ビザを取得後、2021年11月23日に米国ハワイ州ホノルルに永住者として入国しました。実物のグリーンカードがなくとも、妻はこの移民ビザでアメリカで働けます。実物の「グリーンカード」は、アメリカに永住者として入国後、3ヶ月から6ヶ月以内にアメリカ移民局より郵送されるそうですが、実際には1ヶ月程度で郵送されることが多いと聞きます。

妻がアメリカに永住者として入国してから1ヶ月半がたった2022年1月7日、アメリカ移民局から妻に対し、「移民ビザの費用220ドルを払っていないので早急に支払うように。右支払いがない限り、妻の「グリーンカード」は発行しない。」との連絡が来ました。

妻は、東京にいた2021年9月29日にアメリカ移民局に移民ビザの費用220ドルを支払っており、領収書も持っています。それなのにこのような督促がきて、我々は困惑しました。

いろいろと調べた結果、アメリカ移民局の「2021年9月27日付の移民費用支払い請求書類」と「2022年1月7日付の移民費用支払い催促書類」に掲載された以下の番号が、それぞれ異なっていました。

●外国人登録番号(Alien Registration number)

●DOSケースID番号

●IOE受領番号

  

        

       2021年9月27日付アメリカ移民局書簡

*アメリカ国務省から移民ビザを取得した者は、アメリカ移民局(USCIS)に220ドル支払う必要がある旨記載されている。

    

      

       2022年1月7日付アメリカ移民局書簡

*アメリカ移民局は、妻が移民ビザ費用220ドルを支払わない限り、妻のグリーンカードを発行できない旨が記載されている。


更に調査すると、妻のパスポートにあるアメリカの移民ビザに、外国人登録番号が記載されていました。その番号は、2022年1月7日付の移民費用支払催促書類に掲載された外国人登録番号と同じでした。

これを合理的に解釈すれば、妻が2021年9月29日に支払った移民費用(220ドル)は、自身の外国人登録番号に対してではなく、他人の番号に対して支払われたということです。

非常に面倒くさいことになりました。

妻、アメリカの永住権取得!(その14:「グリーンカード」取得の苦労(その1))

妻は、2019年10月14日にアメリカ国務省が主管する「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)(俗称「DV抽選永住権プログラム」)」に応募。2020年6月6日に当選。同年10月11日に帰国。2021年9月27日に駐日アメリカ大使館で面接。翌日となる9月28日にアメリカの移民ビザを取得。2021年11月23日に米国ハワイ州ホノルルに永住者として入国しました。そして、2021年12月23日にメリーランド州ベセスダの自宅に戻りました。

永住者としてアメリカに入国できた妻は、アメリカで働く上で何ら制約はありません。妻の移民ビザは1年間有効です。この移民ビザの有効期限内に、いわゆる実物の「グリーンカード」と呼ばれるカードを取得する必要があります。


通常、アメリカに永住者として入国した後、アメリカ移民局より3ヶ月〜6ヶ月以内に郵送されてくるそうですが、多くの場合は約1ヶ月で郵送されるそうです。


ところが異変が起きました。


2022年1月7日、アメリカ移民局から妻に対し、「移民ビザの費用220ドルを払っていないので早急に支払え」との連絡が来たのです。移民局としては、この費用の支払いがない限り、妻の「グリーンカード」は発行しないとのこと。


この移民ビザの費用は、「USCIS Immigrant Fee」と呼ばれ、永住者に係わるファイルの管理、保存、及び永住者カード(グリーンカード)発行に充てられます。


妻は、2021年9月27日に東京にあるアメリカ大使館で移民ビザ取得のための面接を受けた2日後、即ち同年9月29日に移民費用220ドルをアメリカ移民局に支払っています。領収書も保管しています。


これは何かが変です。


2021年11月23日に永住者としてアメリカに入国した妻が、実物の「グリーンカード」を取得するまで、若干の苦労があったので、本件についてしたためようと思います。

Tuesday, February 22, 2022

バイリンガルの育て方(その9:帰国後の英語の維持)

駐在を終えて帰国することになった親御さんは、お子様の英語力の維持について高い関心を持つものです。年齢が低ければ低いほど、お子様が日本の学校に通い始めるとあっという間に英語を忘れてしまいます。

スピーキング力は相手がいなければ衰えていくのは必須です。比較的維持しやすい英語力は、リーディング力とヒヤリング力です。帰国時のレベルの英語の本をお子様に無理のない範囲で読ませれば、リーディング力はある程度維持できるでしょう。実は、英語の小説を読むと、語彙力を増やし、表現力を豊かにし、思考力を高めていけます。それが学力向上にもつながるかもしれません。


ヒヤリング力についても一緒です。知り合いのお子様は、NBAが大好きで、帰国後もNBAの試合やニュースを高校卒業するまでフォローしていたそうです。そのおかげでヒヤリング力は維持できたと聞きます。


このように、親と子どもの努力次第で、英語力を維持することは可能でしょう。ただし、高校受験や大学受験を目指している場合、受験勉強に集中する中で、英語力維持のための時間と努力をお子様がどれだけ確保できるかによって、英語力が維持されるかどうかが決まるでしょう。この点においても親の理解と支援が重要となります。


私の娘2人が、幼少期に漢字検定試験を受けたように、お子様に英語検定試験を受けさせることも良いかもしれません。お子様は、ちょっとした目標ができる頑張るものです。もちろん親がプレッシャーをかけることはご法度です。



バイリンガルの育て方(その8:思春期/反抗期の対応)

在米期間が長くなると、お子様は英語能力を伸ばし、友達も増え、学校生活における英語は全く問題がなくなります。一方で、英語能力が身に付けば身につくほど、お子様が思春期になれば、日本語を拒絶するケースも見られます。反抗期を迎えれば、親との会話も英語しか使わなくなり、親が日本語で話してかけても、理解しているのに英語で返すようになります。

反抗期は誰もが避けては通れない時期です。反抗の程度は、お子様と親との人間関係によると言われています。親の過保護がひどいと反抗もひどくなります。英語しか話さないのは、親への反抗というわけです。


バイリンガル教育において、親の理解と支援が不可欠です。お子様の自主性、考えを認め、肯定すると、成功するケースがあります。


お子様のバイリンガル教育の成功は、親にかかっていると言っても過言ではないでしょう。

バイリンガルの育て方(その7:親の支援は必須)

お子様のアメリカでの適応力には個人差があります。お子様の性格や能力なども要因になりますので、個人差を一般化することはできません。

お子様が幼少期にアメリカに来ると、親御さんは兎にも角にも英語が喋るようになって欲しいとの願望が強いようです。そのお子様が現地校に通えば、数年もたてばスピーキング力はつくでしょう。ここで重要なのは、日本語をいかにキープするかです。多くのご家庭が、家庭内では必ず日本語での会話を貫き通し、毎週土曜に日本語補習校に通わせるのは、そのためです。親がお子様の日本語の教育をおろそかにすると、お子様が英語が上達するにつれ、親とのコミュニケーションにおいて、さまざまな弊害が出てきます。


お子様が高校生になり友達との付き合いが増えると、日本語がだんだんできなくなってしまい親子のコミュニケーション断絶が起きる可能性もあります。親とコミュニケーションができない子供は、非行に走りやすいとも言われています。


うまく思春期にアイデンティティーを失わずに過ごせるかどうかは、まさに親の支援があるかないかにかかっていると思います。

Saturday, February 19, 2022

バイリンガルの育て方(その6:バイリンガルの壁(学習能力))

外国での駐在が決まったら、子供にバイリンガルになってほしいという思いが出てくるのは自然だと思います。その後、実際に駐在員として赴任し、その国で生活し始めると、その思いはますます強くなりますが、「バイリンガルの壁」に直面するご家族も少なくありません。

限られた期間のアメリカでの滞在で、お子様に如何なる英語能力をどれだけ習得させたいかが問題です。いかなる能力とは、即ち、リスニング力、スピーキング力、リーディング力、ライティング力です。これらに加えて、英語で学習する能力は別問題なんだそうです。

駐在期間中、家では日本語のみを使い、現地校では英語で勉強していても、自然にバイリンガルになるわけではなく、親として積極的に支援する必要があります。なぜなら、言語の習得には、お子様の年齢や滞在期間、性格も影響力が大きいからです。

両親が日本人で、お子様が乳児期の場合、お子様が最初に覚える言葉は日本語です。日本語の発達の基礎時期(5歳ぐらいまで)の前後に、プリスクールなどで徐々に英語に慣らしていくのが良いそうです。


何度も繰り返しますが、現地校に通っていると英語は自然と強くなるので、家では日本語で貫き通すことをお勧めします。親御さんが日本語と英語をミックスしたりちゃんぽんで話すことは避けた方が良いでしょう。


お子様が小学生でアメリカに来た場合、英語の世界の現地校に入ると、お子様のストレスは計り知れないでしょう。このような中で土曜の日本語補習校に通うことは、日本語の習得のみならず、同じ日本人と交流することにより現地校でのストレス解消の効果もあるようです。


スピーキング力と英語で学習する能力は異なるため、アメリカでの滞在期間が3年と短い場合、スピーキング力はある程度つくと思いますが、英語で学習する能力が伸びるには、更なる期間が必要とのことです。小学校4年生でアメリカに来て、5年後に帰国する場合、英語のスピーキング力はついても、英語で学習する能力は伸びない一方、日本語での学習能力が日本にいる同年齢の子供と同レベルにならない状態で帰国することになります。その場合、帰国したお子様の負担は大きくなります。


如何なるレベルのバイリンガルになるのを目標にするかをよく見極めるべきかもしれません。


Friday, February 18, 2022

バイリンガルの育て方(その5:アメリカでの学校生活がうまくいった例)

初めての海外生活となるお子様が、アメリカの現地校で英語を上達させながら学校の授業にもついていくようになるのは、確かに大変です。特に年齢が高ければ高いほど、その苦労は計り知れません。


親御さんは、お子様の年齢が低い時期は、英語の習得、つまりバイリンガルになることを夢みます。

お子様の年齢が高くなるにつれ、帰国後の中学受験、高校受験、大学受験が視野に入ると、バイリンガルどころではなくなります。放課後のクラブ活動もせず、近所の駿台やSAPIXに直行するのですから、アメリカ人の友達はできず、英語もなかなか上達しないのは必然と言えます。

一方で、英語の上達の観点から、うまくいった例もあります。スポーツ活動に積極的に参加させた例です。私の知り合いのご両親は、お子様がG7(日本でいう中学1年生)の時にアメリカに来ました。ご両親は、息子に英語だけは身につけてほしいという一心から、お子様を地元のサッカーチームに入れ、サッカーチーム中心の生活をされました。お子様は、スポーツを通じてチームメイトと仲良くなり、週末や夏休みは、地方遠征に行き、州の大会で準優勝しました。英語の上達は早く、5年間でネイティブ並みのスピーキング力を身につけました。


ご両親は、お子様の帰国後の学校のことはあまり考えず、現地校の勉強のことさえもとやかく言わないタイプのご両親でした。お子様の現地校の成績は「中の下」でしたが、ご両親は兎にも角にもお子様の英語の習得とスポーツでの活躍だけを考え、「授業の成績が悪くても、落第点を取らなければ良い」というくらいのおおらかな対応をされていました。


ご家族は5年間のアメリカ生活の後に、ASEANのとある国に転勤されました。高校の最終学年となったお子様は、その国でもサッカーのクラブチームに所属し活躍した後、日本の有名大学に帰国子女枠とスポーツ推薦枠の両方で合格したと聞いています。今ではこの有名大学のサッカーチームの代表選手として活躍しています。


このように、現地での生活において自分の居場所を見つけることは大事だと思います。数学が得意であれば、現地校のマス・チームに入って活躍できるでしょうし、そのチーム内で仲良くなれば英語も上達するでしょう。大抵の現地校には、ロボティクスというクラブチームがあり、ロボットを作ってロボット大会で優勝することを目標にしています。理数系が得意なお子様であれば、ロボティクスのチームに入って充実した高校生活を送ったり、「アプリ」のプログラミングやコーディングを行うクラブで活躍する日本人高校生もいます。


このように、高校生にもなると、スポーツやクラブ活動など何かに打ち込めるものがあれば、現地校で友達もできやすく、英語も上達するのではないでしょうか。


もちろん、現地校の授業・宿題・テストへの対応や、帰国後に受験を控えているお子様の受験対策は別問題です。


親と子の悩みはつきません。

バイリンガルの育て方(その4:子供の苦労)

お子様がバイリンガルになることへの親の夢と期待は、お子様の年齢が低ければ低いほど大きいのが常です。お子様の年齢が低ければ、英語習得の初期段階ですので、比較的短期間で英語を話せるようになる可能性が高いです。親御さんは、自分のお子様がアメリカ人のクラスメートとプレイデートをしたり、授業で発言したりすることに、親御さんは一喜一憂しがちです。


お子様が帰国後に中学受験又は高校受験、大学受験をひかえている場合、親御さんは、英語の習得どころではない状態になります。帰国子女枠試験に関する確立した勉強方法がありますので、お子様はその準備に集中することになります。その場合、アメリカ人の友達がいる、いないという問題どころではなくなります。


お子様が現地のキンダーガーデンや小学1年生のころであれば、毎週末のようにクラスメートの誕生会があり、親御さんはプレゼントの購入に頭を悩ますものです。その年齢であれば、お子様の英語の吸収能力は計り知れないものがありますし、学校の授業も小学校3年くらいまではそれほど難しくなく、ある意味、「お遊び」程度ですので、お子様もすぐに慣れるでしょう。また、現地のアメリカ人生徒は、まだ若いので、「人種」や「外国人」を意識することなく付き合ってくれることも多いです。毎週末、プレイデートも成立しますし、親も毎日の送り迎えや週末の誕生会で、クラスメートの親としょっちゅう顔をあわしますので、簡単に仲良くなれます。


ところが、小学校4年生くらいになると、子供たちに自我が芽生え始め、様々なグルーピングができ始めます。ティーンエージャーになればグルーピングはますます顕著になります。その時期に、初めてアメリカに来て現地校に入ると、お子様によっては相当苦労する方もいます。苦労の度合いも人により異なりますが、心身のストレスを抱え、不登校になる場合もあります。日本人学校があれば、転校される方もいます。


知り合いのあるお子様は、小学4年生の時にアメリカに来て2年が経っても現地校になじめませんでした。クラスには日本人がおらず、アメリカ人の友達は全くできない状況でした。お子様は内向的な性格で、ランチや休み時間の時でも一人ぼっちのことが多かったようです。英語も思うように身に付かず、勉強も小学校の最終学年である5年生が終わるまで、ほとんど頭に入っていなかったようです。これがまさに「知の空白」です。このお子様は、「知の空白」だけでなく、英語のスピーキング力も向上しませんでした。結局、お子様のストレスが頂点に達し、毎朝登校前にお腹が痛いと言い出すようになりました。そのお子様は日本人学校に転校生されました。


過去に海外生活の経験がなく、初めてアメリカで中学に入学する場合は更に大変です。日本語言語がある程度発達した年齢ですので、英語の習得に少し時間がかかるという意味では、「知の空白」の期間は長くなります。他方、会話に慣れてくると、帰国しても忘れないでしょうし、言語能力が発達していますので、読み書きも慣れれば、現地校でなんとかやっていけるでしょう。帰国後に高校受験を考えている場合、放課後は、スポーツなどのクラブ活動もせず、近所の駿台やenaに直行するお子様もおられます。そのような生活スタイルですと、アメリカ人の友達はできにくいですし、ますます英語の習得は進みません。


過去に海外生活の経験がない高校生になるお子様が親の転勤について行くと、本当に大変です。アメリカの高校の授業は、とにかくモノを書かせることが多く、授業での発表も多く、宿題の多さにも面食らいます。アメリカ人の生徒の間でもいろんなグループ(例えば、アメフトなどのスポーツグループ、ガリ勉グループ、音楽家グループ、チアリーダーグループ、パンクロックグループ、環境系グループ、LGBTQグループなど)で別れていますので、外国人たる日本人が付け入る隙がなかなかなくて困るケースが多いようです。


その上、放課後はクラブ活動もせず、塾に直行という4年間を過ごす場合、英語の習得がなかなか進まない状況となります。


帰国したら帰国したらで、どの程度英語を身につけているかにかかわらず、「帰国子女」というレッテルを貼られ、それはそれでストレスになるお子様もいます。


帰国子女のお子様の苦労は本当に計り知れないと思います。

Thursday, February 17, 2022

バイリンガルの育て方(その3:英語習得能力の発達と維持)

私は言語学者ではありませんので、外国人(特に日本人)の英語習得能力が如何に発達し、途中で中断した場合、それらの能力がどの程度維持されるかについては、正確なところはわかりません。

しかし、16年以上もアメリカに住んで、さまざまな駐在員のお子様をみてきましたので、傾向性は語れると思います。


英語の能力のうち、1)ヒアリング、2)スピーキング、 3)リーディング、4)ライティングについては、まさにこの順番で、年齢が低ければ低いほどほど習得しやすいものと感じています。


もちろん、各能力の発達/習得は、アメリカでの滞在期間(2年、5年、10年の滞在期間では自ずと英語習得能力は異なる)と帰国する時の年齢(年齢が低いほど忘れやすい)、お子様の性格などにより、大きく異なると思います。


1)ヒヤリング力

 年齢が低ければ低いほど、ヒヤリング力(音の聞き分け能力など)の発達は顕著です。前回の記事でも書きましたが、私の友人はオーストラリアで生まれ5歳まで生活していましたが、その後日本に帰り普通の日本の教育を受けて大人になりました。彼は、現在は英語を話すことはできませんが、英語のヒヤリング能力は相当高いようです。私は同じような例を他に2人知っています。


2)スピーキング力

 前回の記事で「9歳の壁」の話をしました。その上で、コミュニケーション能力がしっかりしていれば、ネイティブ並の発音でなくてもアメリカ社会で十分にやっていけることも指摘しました。

 スピーキング力で留意すべき点は、アメリカでの滞在期間にもよりますが、帰国後に伸ばすことはかなりの根気と努力が必要です。スピーキング力を維持・発達させるには、様々な人と英語で会話する環境が必要だからです。日本で生活しているとリーディング力よりも向上させることは難しいでしょう。

 帰国時の年齢が低ければ低いほど、発音は残るかもしれませんが、帰国して日本の学校・生活にどっぷり浸かると、スピーキング力はあっという間に衰えてしまいます。しかし、英語のスピーキング力を失ったと思われるお子様が、高校生になってまたアメリカに戻って来れば、すぐにスピーキング力が復活された例も知っています。

 また、言語が形成する10歳から12歳前後の時期に最低5年程度アメリカで過ごしていれば、発音はネイティブに並みになれなくとも、大人になってもスピーキング力がかなり残っている方も知っています。


3)リーディング力

 アメリカでの滞在期間と帰国時の年齢が如実に反映する能力です。帰国した時点でのリーディング力が最大値であり、帰国後に何もしなければ少しずつリーディング能力も低くなっていくようです。

 一方で、リーディング力は、日本においても維持しやすい能力だと思います。帰国直前までアメリカで読んでいた同じレベルの書物を日本においても読み続けることにより、リーディング力は維持され、少しずつ英語の書物のレベルを上げていけば、その能力は向上するでしょう。

 しかし、現実は、日本の学校に戻れば、日本での学校生活が始まると、英語の本を読むことを諦めてしまう場合が多いと聞きます。日本の学校の友達と付き合うようになり、学校のクラブ活動や塾通いをするようになれば、趣味として英語の書物を読み続けることはなかなか難しいようです。


4)ライティング力

 この能力も、幼少期に例え10年以上アメリカに滞在したとしても、帰国時の能力が最大値であることが明白です。

 帰国される方は、お子様のライティング力についてはあまり気にされる必要はないと思います。なぜなら、日本人の日本語を書く力を例に見ても、大学生でさえ書く力は、50代の私から見れば、社会で通用するレベルではない人が多いからです。私自身も、社会人として30年を経た今となって、ようやく書く力が鍛えられたと感じています。

 英語のライティング力も同様です。ネイティブの私の長女を例にとれば、彼女のライティング力は、高校時代にかなり成長したと思います。しかし、アメリカの大学受験の際に提出するエッセー案を知り合いのアメリカ人の大学教授にみてもらったところ、さまざまな点を指摘され修正しました。

 大学生となった長女の最近の論文を読みましたが、高校時代の論文と比べ、構成、論理力、語彙力、表現力、想像力、発想力はかなり上達しています。

 このように、ライティング力は、語彙力も含めて、永遠に上達させていくものだと思っています。したがって、いくら10年間アメリカに住んでいても小学生の時に帰国すれば、小学生レベルのライティング力しかないということです。

 そういう意味で、親御さんは、帰国後にお子様の英語のライティング力の維持についてあまり気にされない方が良いと思います。日本の環境下では、ライティング力の維持・向上が最も難しい能力です。私の長女が、現地校の中学、高校で、あれだけ毎日エッセーや研究・調査のペーパーを書いている姿を思い出すと、帰国後の学校生活の中で同じことをするには、インターナショナルスクールにでも通わない限り、ほぼ不可能だからです。


以上、言語学の専門ではありませんが、経験から得た考察を書きました。アメリカに何年住んでも、いつ帰国しようとも、私も含め言語の習得には終わりはないということでしょう。これは、母国語たる日本語についても言えることです。


幼少期のお子様を持つ親ほど、いかに自分の子供をバイリンガルに育てるかについて、夢と希望を持って語る方が多いですが、言語習得には終わりはないので、その夢と希望を保ちながら帰国後もお子様の英語能力をうまく伸ばされることを祈っています。

Wednesday, February 16, 2022

バイリンガルの育て方(その2:アメリカでの年齢別英語習得能力)

引き続き、子供をいかにしてバイリンガルに育てるかという問題です。今回は英語習得について書きます。

我が家の長女も次女もロサンゼルス生まれのアメリカ市民。その後、2年弱の英連邦王国のとある途上国で生活。その後、計7年半となる2回のニューヨークでの生活。2回のニューヨーク生活の間は、5年半の日本でアメリカン・スクール(ASIJ)への通学。そして現在、長女はアメリカ北東部の私立大学2年生、次女はある州のボーディングスクールのG11。


したがって、我が家の娘たちはネイティブなので、英語について家庭で何か特別なことをしたことは、一度しかありません。それは、2007年から2009年にかけてマンハッタンに住んでいた頃、長女が5歳、次女が3歳でしたが、アメリカのKumonの英語のCDの教材を使って、リスニングと発音の学習をしたことがあります。


なぜこの学習をさせたかというと、当時は、いつまでアメリカに駐在できるか分からなかったこと、帰国後、日本のアメリカン・スクール(ASIJ)に通うことはまだ検討していなかったこと、更に、その後、2016年にまたニューヨークに戻ってくるとは夢にも思っていなかったことなどもあり、巷の駐在の親が考えるように、子供にできるだけ正確な英語を身につけて欲しい、という気持ちが強かったからです。


実は、2005年から2007年にかけて英連邦王国のある途上国に住んでいた頃、今のこのブログとは異なるブログで、「バイリンガル」について書いたことがあります。以下、ちょっと長いですが、そのまま引用しますね。


(以下、引用)

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https://newyork-newyork.hatenadiary.org/entry/20070404

2007-04-04

言葉の問題:バイリンガル


娘二人は、生まれてから今まで現地の学校(英語)に通ってます。とはいっても4歳7ヶ月と2歳4ヶ月なので、彼女たちの英語力はしれておりますが。。。でも長女からは、彼女の同級生の名前の発音を直されます。「Ashlyn」ちゃんは、どうも「アシュリン」ではなく、気持ち「アシュラン」に近いようです。


これからバイリンガル以上に育てていくつもりですので、家では私たち親は完全に日本語を話しています。このような環境では、子供の「言葉」の発達が、英語はもちろんのこと、母国語である日本語についても、日本で生まれ日本で育っている同い年の子供たちと比較して、明らかに「遅い」です。でもあまり心配していません。子供の言葉の能力は計り知れないものがありますから。


最近は、友人からもらった「アンパンマン」のビデオに娘二人ともはまってます。長女は4歳7ヶ月なので、「アンパンマン」にはまるにはちょっと年齢が高いそうですが。。。日本の同年代の女の子は、「プリキュア」なんかにはまってるみたいです。


まあ、娘二人とも学校では英語漬けなので、家では100%日本語を貫き通そうと思います。というのは、私は外国で子供を育てているいろんな日本人の方というか、教育例を知っているからです。


例えば、ロサンゼルスに住んでいるA子さん。彼女は、白人のアメリカ人の夫との間に長男をもうけ、生まれた直後に離婚して現在一人で育てています。彼女の息子さんはもう小学校5年生なんですが、彼女はこれまで家では日本語で育ててきました。でも、息子さんが小学校3年生を超えたあたりから、息子との会話が、彼女が日本語で話しても息子さんは英語で話をかえすようになってしまい、最近では息子さんからの話は、とうとう英語オンリーになっているそうです。息子さんは、母親が日本語で話す意味は分かっているようなんですが、学校や友達は全部英語なので、英語が楽なんだそうです。もちろん、息子さんはこれまで日本語学校や補修校に行ったことがありません。通信教育もやったことがありません。


これはほんの一例ですが、いろんな環境・状況がありますので、こうあるべきだというものは、なかなか分からないものなので、最後は親の勝手というか、決断の問題となってしまいます。


よく、帰国子女の親の悩みとして、「日本語も英語も中途半端になってしまう」という話しを聞きます。しかし、これは、「親の駐在の期間」、「子供の年齢」等をよく見極めないと、誤解を生みます。親の駐在が3年程度では、子供の英語は、年齢にもよりますが、英語圏国の社会で通用するレベルに到達するわけがないと思います。


外国人が英語が残る年齢というのはいろいろ段階があるようです。以下は、最低5年は現地校に通うということが前提です。


1.「0歳から5歳まで」

 例えその後アメリカを離れても、現地の保育園に2歳くらいから行っていれば、その後英語を全く忘れても英語の音感・語感は頭に残っていると言われています。私の友人はオーストラリアで生まれ5歳まで生活していましたが、その後日本に帰り普通の日本語教育を経て大人になりました。彼は、英語はあまり話せませんが、英語のヒヤリング能力は相当高いです。まあ、これも他の要因があるとは思いますが。


2.「4歳から9歳までの壁」

 この時期は、発音が確立する時期です。つまりこの時期に5年間アメリカやイギリスにいると、発音はネイティブ・レベルとなります。ということは、勿論子供によりますが、10歳からアメリカに移民し、その後ずっとアメリカの教育を受けても、「発音」はネイティブになれない、ということになります。でも、「発音」がネイティブであるかどうかは、大人になって英語を使って仕事をする上では、実は大した問題ではありません。「発音」がネイティブでなくても、ドイツ生まれのドイツ人で15歳の時にアメリカに移住したヘンリー・キッシンジャー氏のように米国務長官になれますし、オーストリアのウィーン生まれのオーストリア人で、12歳の時にアメリカに移住したフェリックス・フランクフルター(Felix Frankfurter)氏のように米連邦最高裁判所判事(フランクリン・ルーズベルト大統領が任命)にもなれます。


3.「10歳から12歳頃」

 この時期は、英語での思考能力が確立する時期です。思考能力が確立するということは、その後日本に帰っても、英語を忘れないということです。滞在期間は5年間が目安ですから、例えば6歳から11歳までアメリカで生活をし、その後、日本に帰っても、英語を一生忘れないということです。


以上3つの時期を書きましたが、目的が大人になって英語を操って仕事をするということであれば、これらの時期はある程度大事であっても、絶対必要な時期ではありません。大学からアメリカに行ったり、大学院からアメリカに行って、アメリカで成功している日本人はごまんといます。例えばアメリカで活躍している学者・研究者・ビジネスマンはたくさんいますよね。


しかし、そういう日本人でも、アメリカ社会で就ける仕事の種類・範囲は、「ネイティブ」と比較すると「当然」極端に少ないです。大人になって初めてアメリカに渡り、アメリカの大学のロースクールに行ってアメリカの弁護士になっても、どうしても日系の弁護士事務所とか、「会社」関係の弁護士になってしまいます。アメリカ人同士の民事担当として裁判所で陪審員に訴えている弁護士とか裁判官になっている日本人なんて聞いたことがありません。また、日系アメリカ人ではなく、「日本生まれで日本育ちの日本人」のローカル・テレビのキャスターどころか、お天気おじさん・おねえさんさえいません。


ちょっと話がそれましたので、子供の年齢の話に戻ります。

12歳以上になって「初めて」アメリカやイギリスの学校に行くと、英語をマスターすることに時間がかかり、その期間、英語で学習した中味が身につかないという「知の空白」が生まれてしまいます。特に、アメリカやイギリスは、12歳を超えると、(日本でもそうですが)大学を意識した教育となり、英語で生活をしたことがない子供にとっては、英語自体大変なのに、勉強の中味にはなお更ついていけず、毎晩、親が宿題を夜中過ぎまで手伝っているというのが現状のようです。勉強の中味の大変さについては、実は小学校4年生でも同じであり、特にabcも知らない子供が突然アメリカの小学校4年生になると、うわべだけでも英語の会話ができるようになるのは、2〜3年はかかりますから、親の方が毎晩泣きながら宿題を手伝っています。


したがって、外国に来る子供の年齢が低ければ低いほど、親は「楽」ということのようです。


いろいろ考えたり、体験記を読んだり、学術論文を読むと、本当に子供は親の被害者だなと思います。親の勝手で外国に行くわけですから。


私の娘のケースは、二人とも外国生まれで、これまで日本で生活したことがないので、若干事情が異なります。でも、今後私がニューヨークに何年いるのか、その後、どこに行くのか、全く分かりません。悩みはつきません。

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(以上、引用終わり)


15年近く前の私のブログの記事ですので、少し生意気で偉そうな感じですね。でも、バイリンガルについての分析は、そこまで的外れではないと今でも思っています。特に、発音が完璧である必要はない点や、「知の空白」問題については、親として子供の教育/人生について真剣に考えれば考えるほど、深く考慮すべきことだと思っています。


上記ブログの記事で修正すべき点は、外国人たる日本人は、そもそもアメリカで裁判官にはなれないので、裁判官の例を出すべきではありませんでした。また、お天気おじさん・おねえさんの例もそうです。各TV局は、外国人たる日本人に対し、お天気おじさん・おねえさんになるために、彼らのビザ発給のためのスポンサーになることは決してないでしょう。

Tuesday, February 15, 2022

バイリンガルの育て方(その1:娘たちの日本語能力をいかにして向上させたか)

今日の話題は、「子供をいかにしてバイリンガルに育てるか。」


長女(19歳)も次女(17歳)もロサンゼルス生まれ、ニューヨーク育ちのアメリカ人。彼女たちの人生で日本での生活は5年半のみで、その期間も調布市野水にある「ザ・アメリカ・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)」に通っていましたので、日本の学校教育を受けたことはありません。例外は、夏休みの2週間程度、日本の小学校に体験入学をさせたことです。


したがって、我が家では、子供たちをバイリンガルにするためには、如何にして彼女たちに日本語を習得させるかが問題でした。


アメリカ市民である私の娘2人が、日本語を話せ、読み書きができるようになった要因を列挙します。


①アメリカで生活している期間であっても、家では両親が日本語を使用したこと

 この点は、非常に重要だと思います。我が家では、娘たちは学校では英語の世界に浸っているので、家では、できるだけ日本語での会話を死守しました。子供が小さい時から親が日本語で会話し続けると、少なくとも日本語のヒヤリング能力は発達しますし、うまくいけば、スピーキング能力もかなり上達します。

 私の知り合いの中には、とてももったいないご家庭もいます。

 ニューヨーク市在住のある夫婦は、お父さんはメキシコ系アメリカ人、お母さんは日本人で、家庭では、英語しか話さなかったので、お子さんは全く日本語ができないそうです。それどころかスペイン語も会話程度しかできないそうです。言葉は武器なので、読み書きができなくても、少しでも日本語が聞けて話せると、子供の将来にとり、相当な武器になると思うのですが。

 ニュージャージー州在住の別の夫婦は、お父さんはデンマーク人、お母さんは日本人で、家庭ではお父さんは必ずデンマーク語、お母さんはデンマーク語か英語しか話してこなかったそうです。お母さんは、デンマーク語も英語もネイティブ並みに話せます。したがって、子供たちが話せるのは、デンマーク語と英語のみ。これだけでもすごいことですが、個人的には、本当にもったいないと思いました。お母さんが家庭で日本語を話していれば、今頃お子さんたちは、3ヶ国語を話せる「トライリンガル(trilingual)」になっていたはずです。お母さんが日本語を話さなかったのは、夫婦でデンマークに住んでいた頃、お母さんがネイティブ並みにうまいデンマーク語で生活できることに幸せを感じていたからなんだそうです。

 もちろん子供の教育は、それぞれのご家庭次第です。しかし、この2人のお母さんたちは、家庭で日本語を話さなかったことに、今では後悔しています。

 駐在員家庭にありがちな知り合いの例を一つ紹介します。ロサンゼルス時代の駐在員の知り合いで、お子さんが4歳と2歳で、2年間しかロサンゼルスいなかったにもかかわらず、帰国子女でもないその駐在員の奥様は、お子さんたちにはほとんど日本語を使わず、カタコト英語というか、カタカナ英語を子供たちに喋っていたそうです。家族ぐるみの集まりで話した時、私たちに対しても、「マクドナルド」のことをなぜか「昨日、子供たちと「ミックドゥナルド」に行ったんだけどぉ」と話し、私たちは呆気に取られた思い出があります。


②長女が5歳から8歳まで、次女が3歳から6歳までの期間、ニューヨーク市マンハッタンで毎週土曜日に日本語補修校に通ったこと

 娘たちが、さまざまな言語を柔軟に受け入れることができる時期に、毎週一回でも日本語補修校に3年間近く通えたのは、娘たちの日本語能力が発達する上でよかったと思っています。日本語補修校は、日本語学校ではなく、日本の義務教育の授業を受けますので、娘たちにとってはハードルは高かったと思いますが、日本人のクラスメートと話せたり、日本的な運動会などもあったりして、日本の文化にも接することができ、娘たちは楽しんだようです。


③長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで通ったアメリカン・スクールで、毎日、日本語の授業を受けたこと

 これは本当に良かったと思います。ASIJの日本語の先生は、国語の教員免許を持ち、日本の学校で教鞭をとったことがある先生たちでした。特に長女の日本語のクラスは、最も高いレベルのクラスだったので、宿題も多く大変だったようですが、そのおかげで今では日本語の読み書きができ、今となっては感謝しているようです。


④長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで、日本で生活したこと

 ASIJでは、英語で授業を受け、アメリカ人の友達と遊ぶ日々でしたが、娘たちは、自分たちだけで京王線や京王バスに乗って通学し、家では日本のテレビ番組を見たり、マンションのお隣さんには年齢の近い日本人の娘さんがいたため、週末にたまに一緒に遊んだりしていました。このように学校外で日本語漬けになったことも、娘たちの日本語能力が発達する上で良いことでした。その他、長女も次女も日本人のピアノの先生にピアノを習ったり、次女は、日本人の先生の絵画教室に通いました。


⑤長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで、漢字検定試験を受け続けたこと。

 受験する漢字検定のレベルは、それぞれ2学年下のレベルでしたが、目の前に目標を掲げることで、少し頑張って漢字を覚えてもらうつもりで挑戦させました。あまり無理はさせず、気楽に受験させました。


⑥長女が13歳、次女が11歳の時にニューヨーク州ライ市に引っ越したが、週一回、オンラインの日本語のクラスを、長女は15歳まで2年間、次女は15歳まで4年間、受けたこと

 このオンラインの日本語クラスは、日本の新聞でも紹介された教えるのが上手な有名な先生でした。学校の授業と宿題が大変になる中で、日本語を忘れないようにとの思いで受けさせました。長女は、高校でのクラブ活動などが忙しくなったため2年間で辞めましたが、次女はライ中学3年間とライ高校1年間の4年間、受け続けました。


以上が、娘たちが日本語を話せ、読み書きができるようになった経緯です。ご家庭の事情はそれぞれ異なるため、何が正しい方法であるかは、各ご家庭で検討してご判断されるでしょうが、ご参考までにしたためました。

アメリカの高校の奨学金の申請(SSS/PFS)

親元から離れてボーディングスクールに通う次女は、本年6月にはG11を終え、本年8月中旬から高校最終学年であるG12になります。


次女が通う高校は、同じ敷地内に幼稚園(キンダーガーデン)から高校最終学年であるG12まである寮完備の私立高校です。寮費も含めて年6万ドル以上かかるため、毎年「奨学金」を申請をし、過去2年間、ありがたくも返済不要な奨学金4万ドルを毎年いただいてきました。


そして本年1月、G12用の奨学金を申請したというわけです。


今回も、次女の高校の「奨学金(ファイナンシャル・エイド)」の申請は、「School & Student Services (SSS) 」を通じて行いました。この「SSS」のサイトにある「Parents’ Financial Statement (PFS)」と言うフォームに必要事項を記入し、そこからオンラインで各校に提出しました。


「PFS」の記入事項は、大学の奨学金申請の「CSS」の記入事項と似ています。両親の所得、確定申告などの情報や、長女の大学に実際に払っている授業料等の情報です。


過去2回申請しているので、前例を参考にしながら、比較的円滑に必要な事項を記入し、所得や確定申告などの証拠書類をアップロードできました。


これまでと同じ規模の奨学金が認められることを毎日祈っています。

アメリカのファイナンシャル・エイド:奨学金(Scholarship)

そもそもこのブログで使用している「奨学金」という言葉は混乱しやすい言葉です。なぜなら、日本で「奨学金」と言えば、そのほとんどが無利子や低利子で借りられる「返済義務のある学費ローン」のことだからです。もちろん、日本でも成績優秀者や特待生の学費免除のようなものはありますが。


アメリカでは、「返済不要な奨学金」も「学生ローン」も、総じて「ファイナンシャル・エイド(Financial Aid)」と呼ばれています。「返済不要なファイナンシャル・エイド」は、「スカラーシップ(Scholarship)」と言われ、このブログでは、「奨学金」と表しています。


日本でいう「返済義務のある奨学金」は、このブログでは、「学生ローン(Student Loan)」と呼ぶことにします。留意点は、このブログで言うアメリカの「学生ローン」は、日本で言う「学生ローン」と全く異なります。なぜなら、日本の「学生ローン」は、サラ金に近い、かなり高い金利だからです。


アメリカの「学生ローン(Student Loan)」は、比較的金利が低く日本の「返済義務がある奨学金」に近いものだと思います。


このブログで言う「奨学金」は、日本の「給付型奨学金」に近いものです。


アメリカの「奨学金」には、大きく分けて以下の3種類があります。

①ニード・ブラインド・スカラーシップ(Need Blind Scholarship)

②ニード・ベースド・スカラーシップ(Need-Based Scholarship)

③メリット・ベースド・スカラーシップ(Merit-Based Scholaship)



①「ニード・ブラインド・スカラーシップ」は、財政能力(家庭の経済状況)を合否の判定材料に使用せず、合否決定後、財政援助が必要とみなされた場合には、必要に応じた財政援助が「必ず」与えられるという入学制度。「Full need」 ともいわれます。


②「ニード・ベイスド・スカラーシップ」は、学費が払えない家庭の子には必要に応じて出来る限り学費の援助をするというものです。①の「ニード・ブラインド・スカラーシップ」との違いは、合格しても必ず必要な額の奨学金が出て進学が保証されるわけではないというものです。毎年の基金には予算がありその範囲内で出来る限り必要なところに配分されますが、必要としている人全員に必要な額が行きわたるわけではありません。希望額の一部しかもらえなかったり、出願が遅かったり、補欠だったりすると合格しても、既に今年度の予算がなく奨学金がもらえないこともあり得ます。足りない分は自分たちで調達してきてやりくりするしかありません。


③「メリット・ベースド・スカラーシップ」は、成績優秀者への学費給付ですが、最近は、奨学金のの予算の大半が「ニード・ベースド・スカラーシップ」となりつつあり、かつての「メリット・ベースド・スカラーシップ」は大幅に減額の傾向にあります。


②の「ニード・ベースド・スカラーシップ」を申請したら合否に響くかどうかについては、奨学金を全く申請しない人は、大学も基金を使う必要がありませんので、「同じ優秀さ」であれば、入学に有利になり得ます。


しかし、そもそも奨学金を申請しない学生は少なく、大半の大学も、奨学金ありきで学校が運営されていますので、そこまで心配する必要はないと思います。

Thursday, February 10, 2022

FAFSAとCSS Profile(その4:CSS Profileの記入事項)

長女は、CSS Profileも本年1月26日に提出しました。

CSS Profileの記入事項は、FAFSAの記入事項よりも多いので、結構大変です。
以下、簡単にしたためます。


(申請する学生の情報)
 名前、Eメールアドレス、電話番号、誕生日、既婚の有無、CBFinAid ID番号
(学生の米市民権の有無)
 現在住んでいる国、米市民権の有無、ソーシャル・セキュリティ番号
(学生の地位)
(学生の住所)
(両親との関係)
(大学の情報)
 現在通っている大学名、2022−23学年度は何年生になるか、キャンパス内に住む予定か否か、過去に奨学金を申請したことがあるか等


(両親それぞれの情報)
 誕生日、ソーシャル・セキュリティ番号、Eメールアドレス、電話番号、居住している州、最終学歴等
(両親それぞれの雇用状況)
 会社名、勤続年数、退職プラン等
(2020年の確定申告)
 両親それぞれが仕事から得た収入、不動産等からの収入
(両親それぞれの2021年の仕事及びその他から得た収入)
(両親の住所)
(両親は持ち家か借家か)
(両親が借家の場合、月の家賃)
(両親の現金及び当座・普通預金学の総額)
(持ち家がある場合、住所と購入価格、現在の価値)
(両親の支出:医療費等)


(申請する学生の兄弟・姉妹情報)
 学校名、2021−2022学年度の学年、授業料、生活費等
 2022−2023学年度の学年、授業料、生活費等


(申請する学生の2020年の収入)
(申請する学生の2022年の予想される収入)
(2022−23学年度の大学の諸経費のうち、両親が負担できる額)
(特別な環境)
 なぜ当該学生が奨学金を得る必要があるのか、現在置かれてる環境等について


CSS Profileも、FAFSAと同様、毎年申請する必要があります。
私たちは、長女が連邦政府及び大学からの返済不要の奨学金3万5400ドルを受けられなかったら、授業料と寮費等で合計8万2237ドル/年もする大学に送ることはできないので、これらの申請は本当に大事なのです。