Saturday, February 19, 2022

バイリンガルの育て方(その6:バイリンガルの壁(学習能力))

外国での駐在が決まったら、子供にバイリンガルになってほしいという思いが出てくるのは自然だと思います。その後、実際に駐在員として赴任し、その国で生活し始めると、その思いはますます強くなりますが、「バイリンガルの壁」に直面するご家族も少なくありません。

限られた期間のアメリカでの滞在で、お子様に如何なる英語能力をどれだけ習得させたいかが問題です。いかなる能力とは、即ち、リスニング力、スピーキング力、リーディング力、ライティング力です。これらに加えて、英語で学習する能力は別問題なんだそうです。

駐在期間中、家では日本語のみを使い、現地校では英語で勉強していても、自然にバイリンガルになるわけではなく、親として積極的に支援する必要があります。なぜなら、言語の習得には、お子様の年齢や滞在期間、性格も影響力が大きいからです。

両親が日本人で、お子様が乳児期の場合、お子様が最初に覚える言葉は日本語です。日本語の発達の基礎時期(5歳ぐらいまで)の前後に、プリスクールなどで徐々に英語に慣らしていくのが良いそうです。


何度も繰り返しますが、現地校に通っていると英語は自然と強くなるので、家では日本語で貫き通すことをお勧めします。親御さんが日本語と英語をミックスしたりちゃんぽんで話すことは避けた方が良いでしょう。


お子様が小学生でアメリカに来た場合、英語の世界の現地校に入ると、お子様のストレスは計り知れないでしょう。このような中で土曜の日本語補習校に通うことは、日本語の習得のみならず、同じ日本人と交流することにより現地校でのストレス解消の効果もあるようです。


スピーキング力と英語で学習する能力は異なるため、アメリカでの滞在期間が3年と短い場合、スピーキング力はある程度つくと思いますが、英語で学習する能力が伸びるには、更なる期間が必要とのことです。小学校4年生でアメリカに来て、5年後に帰国する場合、英語のスピーキング力はついても、英語で学習する能力は伸びない一方、日本語での学習能力が日本にいる同年齢の子供と同レベルにならない状態で帰国することになります。その場合、帰国したお子様の負担は大きくなります。


如何なるレベルのバイリンガルになるのを目標にするかをよく見極めるべきかもしれません。


Friday, February 18, 2022

バイリンガルの育て方(その5:アメリカでの学校生活がうまくいった例)

初めての海外生活となるお子様が、アメリカの現地校で英語を上達させながら学校の授業にもついていくようになるのは、確かに大変です。特に年齢が高ければ高いほど、その苦労は計り知れません。


親御さんは、お子様の年齢が低い時期は、英語の習得、つまりバイリンガルになることを夢みます。

お子様の年齢が高くなるにつれ、帰国後の中学受験、高校受験、大学受験が視野に入ると、バイリンガルどころではなくなります。放課後のクラブ活動もせず、近所の駿台やSAPIXに直行するのですから、アメリカ人の友達はできず、英語もなかなか上達しないのは必然と言えます。

一方で、英語の上達の観点から、うまくいった例もあります。スポーツ活動に積極的に参加させた例です。私の知り合いのご両親は、お子様がG7(日本でいう中学1年生)の時にアメリカに来ました。ご両親は、息子に英語だけは身につけてほしいという一心から、お子様を地元のサッカーチームに入れ、サッカーチーム中心の生活をされました。お子様は、スポーツを通じてチームメイトと仲良くなり、週末や夏休みは、地方遠征に行き、州の大会で準優勝しました。英語の上達は早く、5年間でネイティブ並みのスピーキング力を身につけました。


ご両親は、お子様の帰国後の学校のことはあまり考えず、現地校の勉強のことさえもとやかく言わないタイプのご両親でした。お子様の現地校の成績は「中の下」でしたが、ご両親は兎にも角にもお子様の英語の習得とスポーツでの活躍だけを考え、「授業の成績が悪くても、落第点を取らなければ良い」というくらいのおおらかな対応をされていました。


ご家族は5年間のアメリカ生活の後に、ASEANのとある国に転勤されました。高校の最終学年となったお子様は、その国でもサッカーのクラブチームに所属し活躍した後、日本の有名大学に帰国子女枠とスポーツ推薦枠の両方で合格したと聞いています。今ではこの有名大学のサッカーチームの代表選手として活躍しています。


このように、現地での生活において自分の居場所を見つけることは大事だと思います。数学が得意であれば、現地校のマス・チームに入って活躍できるでしょうし、そのチーム内で仲良くなれば英語も上達するでしょう。大抵の現地校には、ロボティクスというクラブチームがあり、ロボットを作ってロボット大会で優勝することを目標にしています。理数系が得意なお子様であれば、ロボティクスのチームに入って充実した高校生活を送ったり、「アプリ」のプログラミングやコーディングを行うクラブで活躍する日本人高校生もいます。


このように、高校生にもなると、スポーツやクラブ活動など何かに打ち込めるものがあれば、現地校で友達もできやすく、英語も上達するのではないでしょうか。


もちろん、現地校の授業・宿題・テストへの対応や、帰国後に受験を控えているお子様の受験対策は別問題です。


親と子の悩みはつきません。

バイリンガルの育て方(その4:子供の苦労)

お子様がバイリンガルになることへの親の夢と期待は、お子様の年齢が低ければ低いほど大きいのが常です。お子様の年齢が低ければ、英語習得の初期段階ですので、比較的短期間で英語を話せるようになる可能性が高いです。親御さんは、自分のお子様がアメリカ人のクラスメートとプレイデートをしたり、授業で発言したりすることに、親御さんは一喜一憂しがちです。


お子様が帰国後に中学受験又は高校受験、大学受験をひかえている場合、親御さんは、英語の習得どころではない状態になります。帰国子女枠試験に関する確立した勉強方法がありますので、お子様はその準備に集中することになります。その場合、アメリカ人の友達がいる、いないという問題どころではなくなります。


お子様が現地のキンダーガーデンや小学1年生のころであれば、毎週末のようにクラスメートの誕生会があり、親御さんはプレゼントの購入に頭を悩ますものです。その年齢であれば、お子様の英語の吸収能力は計り知れないものがありますし、学校の授業も小学校3年くらいまではそれほど難しくなく、ある意味、「お遊び」程度ですので、お子様もすぐに慣れるでしょう。また、現地のアメリカ人生徒は、まだ若いので、「人種」や「外国人」を意識することなく付き合ってくれることも多いです。毎週末、プレイデートも成立しますし、親も毎日の送り迎えや週末の誕生会で、クラスメートの親としょっちゅう顔をあわしますので、簡単に仲良くなれます。


ところが、小学校4年生くらいになると、子供たちに自我が芽生え始め、様々なグルーピングができ始めます。ティーンエージャーになればグルーピングはますます顕著になります。その時期に、初めてアメリカに来て現地校に入ると、お子様によっては相当苦労する方もいます。苦労の度合いも人により異なりますが、心身のストレスを抱え、不登校になる場合もあります。日本人学校があれば、転校される方もいます。


知り合いのあるお子様は、小学4年生の時にアメリカに来て2年が経っても現地校になじめませんでした。クラスには日本人がおらず、アメリカ人の友達は全くできない状況でした。お子様は内向的な性格で、ランチや休み時間の時でも一人ぼっちのことが多かったようです。英語も思うように身に付かず、勉強も小学校の最終学年である5年生が終わるまで、ほとんど頭に入っていなかったようです。これがまさに「知の空白」です。このお子様は、「知の空白」だけでなく、英語のスピーキング力も向上しませんでした。結局、お子様のストレスが頂点に達し、毎朝登校前にお腹が痛いと言い出すようになりました。そのお子様は日本人学校に転校生されました。


過去に海外生活の経験がなく、初めてアメリカで中学に入学する場合は更に大変です。日本語言語がある程度発達した年齢ですので、英語の習得に少し時間がかかるという意味では、「知の空白」の期間は長くなります。他方、会話に慣れてくると、帰国しても忘れないでしょうし、言語能力が発達していますので、読み書きも慣れれば、現地校でなんとかやっていけるでしょう。帰国後に高校受験を考えている場合、放課後は、スポーツなどのクラブ活動もせず、近所の駿台やenaに直行するお子様もおられます。そのような生活スタイルですと、アメリカ人の友達はできにくいですし、ますます英語の習得は進みません。


過去に海外生活の経験がない高校生になるお子様が親の転勤について行くと、本当に大変です。アメリカの高校の授業は、とにかくモノを書かせることが多く、授業での発表も多く、宿題の多さにも面食らいます。アメリカ人の生徒の間でもいろんなグループ(例えば、アメフトなどのスポーツグループ、ガリ勉グループ、音楽家グループ、チアリーダーグループ、パンクロックグループ、環境系グループ、LGBTQグループなど)で別れていますので、外国人たる日本人が付け入る隙がなかなかなくて困るケースが多いようです。


その上、放課後はクラブ活動もせず、塾に直行という4年間を過ごす場合、英語の習得がなかなか進まない状況となります。


帰国したら帰国したらで、どの程度英語を身につけているかにかかわらず、「帰国子女」というレッテルを貼られ、それはそれでストレスになるお子様もいます。


帰国子女のお子様の苦労は本当に計り知れないと思います。

Thursday, February 17, 2022

バイリンガルの育て方(その3:英語習得能力の発達と維持)

私は言語学者ではありませんので、外国人(特に日本人)の英語習得能力が如何に発達し、途中で中断した場合、それらの能力がどの程度維持されるかについては、正確なところはわかりません。

しかし、16年以上もアメリカに住んで、さまざまな駐在員のお子様をみてきましたので、傾向性は語れると思います。


英語の能力のうち、1)ヒアリング、2)スピーキング、 3)リーディング、4)ライティングについては、まさにこの順番で、年齢が低ければ低いほどほど習得しやすいものと感じています。


もちろん、各能力の発達/習得は、アメリカでの滞在期間(2年、5年、10年の滞在期間では自ずと英語習得能力は異なる)と帰国する時の年齢(年齢が低いほど忘れやすい)、お子様の性格などにより、大きく異なると思います。


1)ヒヤリング力

 年齢が低ければ低いほど、ヒヤリング力(音の聞き分け能力など)の発達は顕著です。前回の記事でも書きましたが、私の友人はオーストラリアで生まれ5歳まで生活していましたが、その後日本に帰り普通の日本の教育を受けて大人になりました。彼は、現在は英語を話すことはできませんが、英語のヒヤリング能力は相当高いようです。私は同じような例を他に2人知っています。


2)スピーキング力

 前回の記事で「9歳の壁」の話をしました。その上で、コミュニケーション能力がしっかりしていれば、ネイティブ並の発音でなくてもアメリカ社会で十分にやっていけることも指摘しました。

 スピーキング力で留意すべき点は、アメリカでの滞在期間にもよりますが、帰国後に伸ばすことはかなりの根気と努力が必要です。スピーキング力を維持・発達させるには、様々な人と英語で会話する環境が必要だからです。日本で生活しているとリーディング力よりも向上させることは難しいでしょう。

 帰国時の年齢が低ければ低いほど、発音は残るかもしれませんが、帰国して日本の学校・生活にどっぷり浸かると、スピーキング力はあっという間に衰えてしまいます。しかし、英語のスピーキング力を失ったと思われるお子様が、高校生になってまたアメリカに戻って来れば、すぐにスピーキング力が復活された例も知っています。

 また、言語が形成する10歳から12歳前後の時期に最低5年程度アメリカで過ごしていれば、発音はネイティブに並みになれなくとも、大人になってもスピーキング力がかなり残っている方も知っています。


3)リーディング力

 アメリカでの滞在期間と帰国時の年齢が如実に反映する能力です。帰国した時点でのリーディング力が最大値であり、帰国後に何もしなければ少しずつリーディング能力も低くなっていくようです。

 一方で、リーディング力は、日本においても維持しやすい能力だと思います。帰国直前までアメリカで読んでいた同じレベルの書物を日本においても読み続けることにより、リーディング力は維持され、少しずつ英語の書物のレベルを上げていけば、その能力は向上するでしょう。

 しかし、現実は、日本の学校に戻れば、日本での学校生活が始まると、英語の本を読むことを諦めてしまう場合が多いと聞きます。日本の学校の友達と付き合うようになり、学校のクラブ活動や塾通いをするようになれば、趣味として英語の書物を読み続けることはなかなか難しいようです。


4)ライティング力

 この能力も、幼少期に例え10年以上アメリカに滞在したとしても、帰国時の能力が最大値であることが明白です。

 帰国される方は、お子様のライティング力についてはあまり気にされる必要はないと思います。なぜなら、日本人の日本語を書く力を例に見ても、大学生でさえ書く力は、50代の私から見れば、社会で通用するレベルではない人が多いからです。私自身も、社会人として30年を経た今となって、ようやく書く力が鍛えられたと感じています。

 英語のライティング力も同様です。ネイティブの私の長女を例にとれば、彼女のライティング力は、高校時代にかなり成長したと思います。しかし、アメリカの大学受験の際に提出するエッセー案を知り合いのアメリカ人の大学教授にみてもらったところ、さまざまな点を指摘され修正しました。

 大学生となった長女の最近の論文を読みましたが、高校時代の論文と比べ、構成、論理力、語彙力、表現力、想像力、発想力はかなり上達しています。

 このように、ライティング力は、語彙力も含めて、永遠に上達させていくものだと思っています。したがって、いくら10年間アメリカに住んでいても小学生の時に帰国すれば、小学生レベルのライティング力しかないということです。

 そういう意味で、親御さんは、帰国後にお子様の英語のライティング力の維持についてあまり気にされない方が良いと思います。日本の環境下では、ライティング力の維持・向上が最も難しい能力です。私の長女が、現地校の中学、高校で、あれだけ毎日エッセーや研究・調査のペーパーを書いている姿を思い出すと、帰国後の学校生活の中で同じことをするには、インターナショナルスクールにでも通わない限り、ほぼ不可能だからです。


以上、言語学の専門ではありませんが、経験から得た考察を書きました。アメリカに何年住んでも、いつ帰国しようとも、私も含め言語の習得には終わりはないということでしょう。これは、母国語たる日本語についても言えることです。


幼少期のお子様を持つ親ほど、いかに自分の子供をバイリンガルに育てるかについて、夢と希望を持って語る方が多いですが、言語習得には終わりはないので、その夢と希望を保ちながら帰国後もお子様の英語能力をうまく伸ばされることを祈っています。

Wednesday, February 16, 2022

バイリンガルの育て方(その2:アメリカでの年齢別英語習得能力)

引き続き、子供をいかにしてバイリンガルに育てるかという問題です。今回は英語習得について書きます。

我が家の長女も次女もロサンゼルス生まれのアメリカ市民。その後、2年弱の英連邦王国のとある途上国で生活。その後、計7年半となる2回のニューヨークでの生活。2回のニューヨーク生活の間は、5年半の日本でアメリカン・スクール(ASIJ)への通学。そして現在、長女はアメリカ北東部の私立大学2年生、次女はある州のボーディングスクールのG11。


したがって、我が家の娘たちはネイティブなので、英語について家庭で何か特別なことをしたことは、一度しかありません。それは、2007年から2009年にかけてマンハッタンに住んでいた頃、長女が5歳、次女が3歳でしたが、アメリカのKumonの英語のCDの教材を使って、リスニングと発音の学習をしたことがあります。


なぜこの学習をさせたかというと、当時は、いつまでアメリカに駐在できるか分からなかったこと、帰国後、日本のアメリカン・スクール(ASIJ)に通うことはまだ検討していなかったこと、更に、その後、2016年にまたニューヨークに戻ってくるとは夢にも思っていなかったことなどもあり、巷の駐在の親が考えるように、子供にできるだけ正確な英語を身につけて欲しい、という気持ちが強かったからです。


実は、2005年から2007年にかけて英連邦王国のある途上国に住んでいた頃、今のこのブログとは異なるブログで、「バイリンガル」について書いたことがあります。以下、ちょっと長いですが、そのまま引用しますね。


(以下、引用)

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https://newyork-newyork.hatenadiary.org/entry/20070404

2007-04-04

言葉の問題:バイリンガル


娘二人は、生まれてから今まで現地の学校(英語)に通ってます。とはいっても4歳7ヶ月と2歳4ヶ月なので、彼女たちの英語力はしれておりますが。。。でも長女からは、彼女の同級生の名前の発音を直されます。「Ashlyn」ちゃんは、どうも「アシュリン」ではなく、気持ち「アシュラン」に近いようです。


これからバイリンガル以上に育てていくつもりですので、家では私たち親は完全に日本語を話しています。このような環境では、子供の「言葉」の発達が、英語はもちろんのこと、母国語である日本語についても、日本で生まれ日本で育っている同い年の子供たちと比較して、明らかに「遅い」です。でもあまり心配していません。子供の言葉の能力は計り知れないものがありますから。


最近は、友人からもらった「アンパンマン」のビデオに娘二人ともはまってます。長女は4歳7ヶ月なので、「アンパンマン」にはまるにはちょっと年齢が高いそうですが。。。日本の同年代の女の子は、「プリキュア」なんかにはまってるみたいです。


まあ、娘二人とも学校では英語漬けなので、家では100%日本語を貫き通そうと思います。というのは、私は外国で子供を育てているいろんな日本人の方というか、教育例を知っているからです。


例えば、ロサンゼルスに住んでいるA子さん。彼女は、白人のアメリカ人の夫との間に長男をもうけ、生まれた直後に離婚して現在一人で育てています。彼女の息子さんはもう小学校5年生なんですが、彼女はこれまで家では日本語で育ててきました。でも、息子さんが小学校3年生を超えたあたりから、息子との会話が、彼女が日本語で話しても息子さんは英語で話をかえすようになってしまい、最近では息子さんからの話は、とうとう英語オンリーになっているそうです。息子さんは、母親が日本語で話す意味は分かっているようなんですが、学校や友達は全部英語なので、英語が楽なんだそうです。もちろん、息子さんはこれまで日本語学校や補修校に行ったことがありません。通信教育もやったことがありません。


これはほんの一例ですが、いろんな環境・状況がありますので、こうあるべきだというものは、なかなか分からないものなので、最後は親の勝手というか、決断の問題となってしまいます。


よく、帰国子女の親の悩みとして、「日本語も英語も中途半端になってしまう」という話しを聞きます。しかし、これは、「親の駐在の期間」、「子供の年齢」等をよく見極めないと、誤解を生みます。親の駐在が3年程度では、子供の英語は、年齢にもよりますが、英語圏国の社会で通用するレベルに到達するわけがないと思います。


外国人が英語が残る年齢というのはいろいろ段階があるようです。以下は、最低5年は現地校に通うということが前提です。


1.「0歳から5歳まで」

 例えその後アメリカを離れても、現地の保育園に2歳くらいから行っていれば、その後英語を全く忘れても英語の音感・語感は頭に残っていると言われています。私の友人はオーストラリアで生まれ5歳まで生活していましたが、その後日本に帰り普通の日本語教育を経て大人になりました。彼は、英語はあまり話せませんが、英語のヒヤリング能力は相当高いです。まあ、これも他の要因があるとは思いますが。


2.「4歳から9歳までの壁」

 この時期は、発音が確立する時期です。つまりこの時期に5年間アメリカやイギリスにいると、発音はネイティブ・レベルとなります。ということは、勿論子供によりますが、10歳からアメリカに移民し、その後ずっとアメリカの教育を受けても、「発音」はネイティブになれない、ということになります。でも、「発音」がネイティブであるかどうかは、大人になって英語を使って仕事をする上では、実は大した問題ではありません。「発音」がネイティブでなくても、ドイツ生まれのドイツ人で15歳の時にアメリカに移住したヘンリー・キッシンジャー氏のように米国務長官になれますし、オーストリアのウィーン生まれのオーストリア人で、12歳の時にアメリカに移住したフェリックス・フランクフルター(Felix Frankfurter)氏のように米連邦最高裁判所判事(フランクリン・ルーズベルト大統領が任命)にもなれます。


3.「10歳から12歳頃」

 この時期は、英語での思考能力が確立する時期です。思考能力が確立するということは、その後日本に帰っても、英語を忘れないということです。滞在期間は5年間が目安ですから、例えば6歳から11歳までアメリカで生活をし、その後、日本に帰っても、英語を一生忘れないということです。


以上3つの時期を書きましたが、目的が大人になって英語を操って仕事をするということであれば、これらの時期はある程度大事であっても、絶対必要な時期ではありません。大学からアメリカに行ったり、大学院からアメリカに行って、アメリカで成功している日本人はごまんといます。例えばアメリカで活躍している学者・研究者・ビジネスマンはたくさんいますよね。


しかし、そういう日本人でも、アメリカ社会で就ける仕事の種類・範囲は、「ネイティブ」と比較すると「当然」極端に少ないです。大人になって初めてアメリカに渡り、アメリカの大学のロースクールに行ってアメリカの弁護士になっても、どうしても日系の弁護士事務所とか、「会社」関係の弁護士になってしまいます。アメリカ人同士の民事担当として裁判所で陪審員に訴えている弁護士とか裁判官になっている日本人なんて聞いたことがありません。また、日系アメリカ人ではなく、「日本生まれで日本育ちの日本人」のローカル・テレビのキャスターどころか、お天気おじさん・おねえさんさえいません。


ちょっと話がそれましたので、子供の年齢の話に戻ります。

12歳以上になって「初めて」アメリカやイギリスの学校に行くと、英語をマスターすることに時間がかかり、その期間、英語で学習した中味が身につかないという「知の空白」が生まれてしまいます。特に、アメリカやイギリスは、12歳を超えると、(日本でもそうですが)大学を意識した教育となり、英語で生活をしたことがない子供にとっては、英語自体大変なのに、勉強の中味にはなお更ついていけず、毎晩、親が宿題を夜中過ぎまで手伝っているというのが現状のようです。勉強の中味の大変さについては、実は小学校4年生でも同じであり、特にabcも知らない子供が突然アメリカの小学校4年生になると、うわべだけでも英語の会話ができるようになるのは、2〜3年はかかりますから、親の方が毎晩泣きながら宿題を手伝っています。


したがって、外国に来る子供の年齢が低ければ低いほど、親は「楽」ということのようです。


いろいろ考えたり、体験記を読んだり、学術論文を読むと、本当に子供は親の被害者だなと思います。親の勝手で外国に行くわけですから。


私の娘のケースは、二人とも外国生まれで、これまで日本で生活したことがないので、若干事情が異なります。でも、今後私がニューヨークに何年いるのか、その後、どこに行くのか、全く分かりません。悩みはつきません。

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(以上、引用終わり)


15年近く前の私のブログの記事ですので、少し生意気で偉そうな感じですね。でも、バイリンガルについての分析は、そこまで的外れではないと今でも思っています。特に、発音が完璧である必要はない点や、「知の空白」問題については、親として子供の教育/人生について真剣に考えれば考えるほど、深く考慮すべきことだと思っています。


上記ブログの記事で修正すべき点は、外国人たる日本人は、そもそもアメリカで裁判官にはなれないので、裁判官の例を出すべきではありませんでした。また、お天気おじさん・おねえさんの例もそうです。各TV局は、外国人たる日本人に対し、お天気おじさん・おねえさんになるために、彼らのビザ発給のためのスポンサーになることは決してないでしょう。

Tuesday, February 15, 2022

バイリンガルの育て方(その1:娘たちの日本語能力をいかにして向上させたか)

今日の話題は、「子供をいかにしてバイリンガルに育てるか。」


長女(19歳)も次女(17歳)もロサンゼルス生まれ、ニューヨーク育ちのアメリカ人。彼女たちの人生で日本での生活は5年半のみで、その期間も調布市野水にある「ザ・アメリカ・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)」に通っていましたので、日本の学校教育を受けたことはありません。例外は、夏休みの2週間程度、日本の小学校に体験入学をさせたことです。


したがって、我が家では、子供たちをバイリンガルにするためには、如何にして彼女たちに日本語を習得させるかが問題でした。


アメリカ市民である私の娘2人が、日本語を話せ、読み書きができるようになった要因を列挙します。


①アメリカで生活している期間であっても、家では両親が日本語を使用したこと

 この点は、非常に重要だと思います。我が家では、娘たちは学校では英語の世界に浸っているので、家では、できるだけ日本語での会話を死守しました。子供が小さい時から親が日本語で会話し続けると、少なくとも日本語のヒヤリング能力は発達しますし、うまくいけば、スピーキング能力もかなり上達します。

 私の知り合いの中には、とてももったいないご家庭もいます。

 ニューヨーク市在住のある夫婦は、お父さんはメキシコ系アメリカ人、お母さんは日本人で、家庭では、英語しか話さなかったので、お子さんは全く日本語ができないそうです。それどころかスペイン語も会話程度しかできないそうです。言葉は武器なので、読み書きができなくても、少しでも日本語が聞けて話せると、子供の将来にとり、相当な武器になると思うのですが。

 ニュージャージー州在住の別の夫婦は、お父さんはデンマーク人、お母さんは日本人で、家庭ではお父さんは必ずデンマーク語、お母さんはデンマーク語か英語しか話してこなかったそうです。お母さんは、デンマーク語も英語もネイティブ並みに話せます。したがって、子供たちが話せるのは、デンマーク語と英語のみ。これだけでもすごいことですが、個人的には、本当にもったいないと思いました。お母さんが家庭で日本語を話していれば、今頃お子さんたちは、3ヶ国語を話せる「トライリンガル(trilingual)」になっていたはずです。お母さんが日本語を話さなかったのは、夫婦でデンマークに住んでいた頃、お母さんがネイティブ並みにうまいデンマーク語で生活できることに幸せを感じていたからなんだそうです。

 もちろん子供の教育は、それぞれのご家庭次第です。しかし、この2人のお母さんたちは、家庭で日本語を話さなかったことに、今では後悔しています。

 駐在員家庭にありがちな知り合いの例を一つ紹介します。ロサンゼルス時代の駐在員の知り合いで、お子さんが4歳と2歳で、2年間しかロサンゼルスいなかったにもかかわらず、帰国子女でもないその駐在員の奥様は、お子さんたちにはほとんど日本語を使わず、カタコト英語というか、カタカナ英語を子供たちに喋っていたそうです。家族ぐるみの集まりで話した時、私たちに対しても、「マクドナルド」のことをなぜか「昨日、子供たちと「ミックドゥナルド」に行ったんだけどぉ」と話し、私たちは呆気に取られた思い出があります。


②長女が5歳から8歳まで、次女が3歳から6歳までの期間、ニューヨーク市マンハッタンで毎週土曜日に日本語補修校に通ったこと

 娘たちが、さまざまな言語を柔軟に受け入れることができる時期に、毎週一回でも日本語補修校に3年間近く通えたのは、娘たちの日本語能力が発達する上でよかったと思っています。日本語補修校は、日本語学校ではなく、日本の義務教育の授業を受けますので、娘たちにとってはハードルは高かったと思いますが、日本人のクラスメートと話せたり、日本的な運動会などもあったりして、日本の文化にも接することができ、娘たちは楽しんだようです。


③長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで通ったアメリカン・スクールで、毎日、日本語の授業を受けたこと

 これは本当に良かったと思います。ASIJの日本語の先生は、国語の教員免許を持ち、日本の学校で教鞭をとったことがある先生たちでした。特に長女の日本語のクラスは、最も高いレベルのクラスだったので、宿題も多く大変だったようですが、そのおかげで今では日本語の読み書きができ、今となっては感謝しているようです。


④長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで、日本で生活したこと

 ASIJでは、英語で授業を受け、アメリカ人の友達と遊ぶ日々でしたが、娘たちは、自分たちだけで京王線や京王バスに乗って通学し、家では日本のテレビ番組を見たり、マンションのお隣さんには年齢の近い日本人の娘さんがいたため、週末にたまに一緒に遊んだりしていました。このように学校外で日本語漬けになったことも、娘たちの日本語能力が発達する上で良いことでした。その他、長女も次女も日本人のピアノの先生にピアノを習ったり、次女は、日本人の先生の絵画教室に通いました。


⑤長女が8歳から13歳まで、次女が6歳から11歳まで、漢字検定試験を受け続けたこと。

 受験する漢字検定のレベルは、それぞれ2学年下のレベルでしたが、目の前に目標を掲げることで、少し頑張って漢字を覚えてもらうつもりで挑戦させました。あまり無理はさせず、気楽に受験させました。


⑥長女が13歳、次女が11歳の時にニューヨーク州ライ市に引っ越したが、週一回、オンラインの日本語のクラスを、長女は15歳まで2年間、次女は15歳まで4年間、受けたこと

 このオンラインの日本語クラスは、日本の新聞でも紹介された教えるのが上手な有名な先生でした。学校の授業と宿題が大変になる中で、日本語を忘れないようにとの思いで受けさせました。長女は、高校でのクラブ活動などが忙しくなったため2年間で辞めましたが、次女はライ中学3年間とライ高校1年間の4年間、受け続けました。


以上が、娘たちが日本語を話せ、読み書きができるようになった経緯です。ご家庭の事情はそれぞれ異なるため、何が正しい方法であるかは、各ご家庭で検討してご判断されるでしょうが、ご参考までにしたためました。

アメリカの高校の奨学金の申請(SSS/PFS)

親元から離れてボーディングスクールに通う次女は、本年6月にはG11を終え、本年8月中旬から高校最終学年であるG12になります。


次女が通う高校は、同じ敷地内に幼稚園(キンダーガーデン)から高校最終学年であるG12まである寮完備の私立高校です。寮費も含めて年6万ドル以上かかるため、毎年「奨学金」を申請をし、過去2年間、ありがたくも返済不要な奨学金4万ドルを毎年いただいてきました。


そして本年1月、G12用の奨学金を申請したというわけです。


今回も、次女の高校の「奨学金(ファイナンシャル・エイド)」の申請は、「School & Student Services (SSS) 」を通じて行いました。この「SSS」のサイトにある「Parents’ Financial Statement (PFS)」と言うフォームに必要事項を記入し、そこからオンラインで各校に提出しました。


「PFS」の記入事項は、大学の奨学金申請の「CSS」の記入事項と似ています。両親の所得、確定申告などの情報や、長女の大学に実際に払っている授業料等の情報です。


過去2回申請しているので、前例を参考にしながら、比較的円滑に必要な事項を記入し、所得や確定申告などの証拠書類をアップロードできました。


これまでと同じ規模の奨学金が認められることを毎日祈っています。

アメリカのファイナンシャル・エイド:奨学金(Scholarship)

そもそもこのブログで使用している「奨学金」という言葉は混乱しやすい言葉です。なぜなら、日本で「奨学金」と言えば、そのほとんどが無利子や低利子で借りられる「返済義務のある学費ローン」のことだからです。もちろん、日本でも成績優秀者や特待生の学費免除のようなものはありますが。


アメリカでは、「返済不要な奨学金」も「学生ローン」も、総じて「ファイナンシャル・エイド(Financial Aid)」と呼ばれています。「返済不要なファイナンシャル・エイド」は、「スカラーシップ(Scholarship)」と言われ、このブログでは、「奨学金」と表しています。


日本でいう「返済義務のある奨学金」は、このブログでは、「学生ローン(Student Loan)」と呼ぶことにします。留意点は、このブログで言うアメリカの「学生ローン」は、日本で言う「学生ローン」と全く異なります。なぜなら、日本の「学生ローン」は、サラ金に近い、かなり高い金利だからです。


アメリカの「学生ローン(Student Loan)」は、比較的金利が低く日本の「返済義務がある奨学金」に近いものだと思います。


このブログで言う「奨学金」は、日本の「給付型奨学金」に近いものです。


アメリカの「奨学金」には、大きく分けて以下の3種類があります。

①ニード・ブラインド・スカラーシップ(Need Blind Scholarship)

②ニード・ベースド・スカラーシップ(Need-Based Scholarship)

③メリット・ベースド・スカラーシップ(Merit-Based Scholaship)



①「ニード・ブラインド・スカラーシップ」は、財政能力(家庭の経済状況)を合否の判定材料に使用せず、合否決定後、財政援助が必要とみなされた場合には、必要に応じた財政援助が「必ず」与えられるという入学制度。「Full need」 ともいわれます。


②「ニード・ベイスド・スカラーシップ」は、学費が払えない家庭の子には必要に応じて出来る限り学費の援助をするというものです。①の「ニード・ブラインド・スカラーシップ」との違いは、合格しても必ず必要な額の奨学金が出て進学が保証されるわけではないというものです。毎年の基金には予算がありその範囲内で出来る限り必要なところに配分されますが、必要としている人全員に必要な額が行きわたるわけではありません。希望額の一部しかもらえなかったり、出願が遅かったり、補欠だったりすると合格しても、既に今年度の予算がなく奨学金がもらえないこともあり得ます。足りない分は自分たちで調達してきてやりくりするしかありません。


③「メリット・ベースド・スカラーシップ」は、成績優秀者への学費給付ですが、最近は、奨学金のの予算の大半が「ニード・ベースド・スカラーシップ」となりつつあり、かつての「メリット・ベースド・スカラーシップ」は大幅に減額の傾向にあります。


②の「ニード・ベースド・スカラーシップ」を申請したら合否に響くかどうかについては、奨学金を全く申請しない人は、大学も基金を使う必要がありませんので、「同じ優秀さ」であれば、入学に有利になり得ます。


しかし、そもそも奨学金を申請しない学生は少なく、大半の大学も、奨学金ありきで学校が運営されていますので、そこまで心配する必要はないと思います。

Thursday, February 10, 2022

FAFSAとCSS Profile(その4:CSS Profileの記入事項)

長女は、CSS Profileも本年1月26日に提出しました。

CSS Profileの記入事項は、FAFSAの記入事項よりも多いので、結構大変です。
以下、簡単にしたためます。


(申請する学生の情報)
 名前、Eメールアドレス、電話番号、誕生日、既婚の有無、CBFinAid ID番号
(学生の米市民権の有無)
 現在住んでいる国、米市民権の有無、ソーシャル・セキュリティ番号
(学生の地位)
(学生の住所)
(両親との関係)
(大学の情報)
 現在通っている大学名、2022−23学年度は何年生になるか、キャンパス内に住む予定か否か、過去に奨学金を申請したことがあるか等


(両親それぞれの情報)
 誕生日、ソーシャル・セキュリティ番号、Eメールアドレス、電話番号、居住している州、最終学歴等
(両親それぞれの雇用状況)
 会社名、勤続年数、退職プラン等
(2020年の確定申告)
 両親それぞれが仕事から得た収入、不動産等からの収入
(両親それぞれの2021年の仕事及びその他から得た収入)
(両親の住所)
(両親は持ち家か借家か)
(両親が借家の場合、月の家賃)
(両親の現金及び当座・普通預金学の総額)
(持ち家がある場合、住所と購入価格、現在の価値)
(両親の支出:医療費等)


(申請する学生の兄弟・姉妹情報)
 学校名、2021−2022学年度の学年、授業料、生活費等
 2022−2023学年度の学年、授業料、生活費等


(申請する学生の2020年の収入)
(申請する学生の2022年の予想される収入)
(2022−23学年度の大学の諸経費のうち、両親が負担できる額)
(特別な環境)
 なぜ当該学生が奨学金を得る必要があるのか、現在置かれてる環境等について


CSS Profileも、FAFSAと同様、毎年申請する必要があります。
私たちは、長女が連邦政府及び大学からの返済不要の奨学金3万5400ドルを受けられなかったら、授業料と寮費等で合計8万2237ドル/年もする大学に送ることはできないので、これらの申請は本当に大事なのです。


Wednesday, February 9, 2022

FAFSAとCSS Profile (その3:FAFSAの記入事項)

長女は、大学3年用の奨学金と学生ローンを連邦政府から得るために、FAFSAを本年1月26日に提出しました。

FAFSAの記入事項は、CSS Profileと比較すると少ないですが、総収入額、手持ちの現金及び銀行に預けている金額、投資の現在の価値などを具体的金額を記入する必要がありますので、正確性が求められるため、私は7回も印刷して確認しました。

以下、簡潔に記入事項を列挙します。

(申請する学生の情報)

氏名、ソーシャル・セキュリティ番号、Eメールアドレス、電話番号、住所、性別、運転免許証の番号、両親の教育のレベル(大卒か高卒か)、卒業した高校、現在通っている大学、2022-23年学年度は大学何年生か、同学年度はキャンパスの寮に住む予定か/キャンパスの外に住む予定か、未婚/既婚など

(両親の情報)

両親は結婚しているかどうか、結婚した年月、父母それぞれのソーシャル・セキュリティ番号、氏名、生年月日、Eメールアドレス、住所など等

(両親の財政状況)

2020年に米国で確定申告を済ませたか、確定申告の種類、総収入額、父母それぞれが仕事上から得た収入額、現金・普通及び当座預金口座の総額、投資している場合の現在の(ネット)価値

(学生の財政状況)

2020年に米国で確定申告を済ませたか、2020年の収入額等


FAFSAの記入事項は、だいたいこんな感じです。

慣れれば1時間もあれば終わりますが、数字に間違いがないよう1週間くらいかけて何度も確認しました。



Tuesday, February 8, 2022

FAFSAとCSS Profile(その2:CSS Profile)

次に、「CSS Profile」について説明します。

「CSS Profile」は、正確lには、「CSS/Financial Aid PROFILE」と呼ばれ、第三者機関である「College Board」 が提供する財政支援の申請システムです。「College Board」 は、6000の大学やその他の学校が加盟する非営利のメンバーシップ団体です。


「College Board」という名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、そうなんです、「SAT」や「APテスト」なども「College Board」が提供しているんですね。


おおよそ400校の大学(ほとんどが私立大学)が、「FAFSA」の申請に加えて、この「CSS/Financial Aid PROFILE 」の申請を必要としているようです。


「CSS Profile」は、財政的ニーズの全体像を提供するため、連邦政府以外の財政援助(制度的助成金など)をそれに応じて授与することができるそうで、約400の大学で使用されているシステムです。


「CSS Profile」のアプリケーションは、「FAFSA」のアプリケーションよりも記入する内容が詳細で多いです。収入と貯蓄に関してはFAFSAと重複していますが、学生(および学生が扶養家族の場合はその家族)は、個人識別情報、雇用主と個人事業の両方からの収入情報、持ち家など不動産情報、銀行口座からの非退職貯蓄、およびその他の投資を提出する必要があります。収入と貯蓄のデータポイントに基づく「FAFSA」とは異なり、「CSS Profile」では、確定申告に記載されているとは限らない現在および将来の経費も考慮されます。


    「FAFSA」はそもそも連邦政府の財政支援の配分を目的としているのに対し、「CSS/Financial Aid PROFILE」は、それぞれの大学が持っている財政支援の配分のために使われます。「FAFSA」と同様、「CSS/Financial Aid PROFILE」もEFCを計算し、それぞれの学生の「財政的ニーズ」を割り出します。


    「FAFSA」の申請は無料ですが、「CSS/Financial Aid PROFILE」は有料で、今年は25ドル支払いました。それぞれの大学で締め切りが大きく異なることもあるので、必ず各大学のホームページで確認することが必要です。

    Sunday, February 6, 2022

    FAFSAとCSS Profile (その1:FAFSA)

    長女は現在アメリカのマサチューセッツ州にある大学の2年生ですが、大学3年の奨学金・学生ローンの申請が既に開始されています。


    この申請手続きは、毎年行うもので、結構大変で気が遠くなるような作業です。


    奨学金・学生ローンの申請は、大きく分けて2種類あり、「FAFSA」と「CSS Profile」があります。


    本年9月から始まる長女の大学3年用の奨学金・学生ローンを申請するために、「FAFSA」も「CSS Profile」も1月26日に申請を完了しました。


    長女の大学は、年間の授業料と寮費を合わせれば8万ドル以上かかるので(授業料:6万1646ドル、寮費関連経費:2万591ドル)、サラリーマンの私は、長女が返済不要の奨学金と学生ローンを得なければ支払うことはできません。


    それでは「FAFSA」とは何でしょうか。


    「FAFSA」は「Free Application for Federal Student Aid」の略で、連邦政府からの財政支援を得るための申請システムです。連邦政府の財政支援(「返済不要の奨学金(グラント)」や「学生ローン」など)の財源をそれを必要とする学生に適切に配分することを目的に、各家庭の財務情報を集めるものです。

    申請にあたっては、学生とその両親の収入や財産についての情報を入力します。入力された情報をもとに、親が負担することが求められる期待額(EFC(Expected Family Contribution))が計算されます。


    各家庭が1年間に負担できる学費の上限額である「EFC(Expected Family Contribution)」が、1年間にかかる学費の総額(授業料、寮費、食費およびその他の諸経費)を下回る場合、差額がファイナンシャル・ニーズとなります。「FAFSA」に登録されている家庭の収入や資産の情報を元に、「EFC」が算出されます。「FAFSA」に登録すると「SAR(StudentAid Report)」というレポートが提示され、そのレポートから「EFC」の額等が分かります。


    「FAFSA」は連邦政府の財政支援のための申請書ですが、各州も、州の財政支援を配分するために「FAFSA」の申請情報を使います。また、各大学も、大学の財政支援を決定するために「FAFSA」の申請情報を使います。多くの場合、大学が財政支援ののパッケージ(大学がその学生に対しオファーする「グラント」と「学生ローン」の組み合わせ)を決定するために「FAFSA」の情報を使います。つまり、「FAFSA」はすべての財政支援(ファイナンシャル・エイド)を受けるための一番の大元となる申請書です。


    「FAFSA」は申請は無料です。「FAFSA」は、大学に在学する期間を対象に毎年申請するもので、次年度のための申請がその年の1月1日から始まりますが、これから大学1年生になるという学生は、前年(高校最終学年)の10月から「FAFSA」の申請は始まります。


    「FAFSA」の申請は、必要な情報が手元にありさえすればそれほど時間がかかりませんが、収入や確定申告の数字を間違えることはできないので、申請する前に何度も確認する必要があります。


    「FAFSA」申請にあたり、前年度分及び今年度分の確定申告(Tax Return)、税関連書類、非課税収入関連書類の中の情報は極めて重要ですので、手元に集めておくことをお勧めします。


    なお、アメリカ市民及び永住者ではない外国人の学生には「FAFSA」や「ローン型の奨学金」は適用されません。


    長女はアメリカの市民権を持っているため「FAFSA」を毎年申請しているわけです。なお、「学生ローン」だけでなく、「親用ローン」もあります。しかし、親である私たちは昨年まで外国人だったので、この「親用ローン」を得ることはできませんでした。しかし、昨(2021)年11月23日に妻は永住者としてアメリカに入国したので、妻は、今年から、長女の大学のための「親用ローン」を得る資格を得ました。しかし、何と言っても「ローン」は「ローン」です。将来、利子をつけて返済する必要がありますので、「ローン」を受けなくて済むのであれば受けないに越したことはありません。家族で検討した結果、長女の「グラント」及び「学生ローン」を昨年と同じレベルで得られれば、なんとか長女の大学3年の学費を負担することはできそうだということで、妻が「親用ローン」を申請することはしませんでした。


    以上を簡単にまとめると、アメリカの大学の学費は高額なので(長女の大学は授業料・寮費を合わせて年間8万ドル以上)、多くの学生は連邦政府や通う大学からの財政支援(ファイナンシャル・エイド)を得て学費を抑えて大学に進学します。学費全額を自費で支払うのが困難な学生が不足分(ファイナンシャル・ニーズ)の一部を負担してもらう制度が、「ファイナンシャル・ニーズベース」の奨学金です。そして、この「ファイナンシャル・ニーズ」を算出するために最も広く利用されているサービスが「FAFSA」というわけです。

    リアルID

    妻は、メリーランド州の運転免許証を1月13日に申請し、1月19日に取得しました。


    前回、妻の実際の運転免許証の写しをアップしました。

           


    よく見ると右上に、(IDカードではなく)「運転免許証」を示す「DL(Driver’s License)」というアルファベットの右側に、星印(⭐️)があります。これは、妻の運転免許証は連邦法「リアルID法(Real ID Act)」に準拠するものであることの証明です。


    「リアル ID」とはなんでしょうか。


    2005年5月11日、「リアルID法(Real ID Act)」が、米国2005年補正予算の一部として成立しました。米国の運転免許証は各州が発行しており、州によって運転免許証発行条件がまちまちでありましたが、この連邦法は、各州が運転免許証を発行する際の統一基準を示すと共に、同法に従わない州が発行する運転免許証(及びIDカード)は、連邦政府機関により公的用途のために(身分証明書として)認められないと規定しました。


    つまり、この「リアルID法」に基づかない運転免許証は、空港での航空機搭乗の際の身分証明にならないということです。したがって、このような運転免許証だけではアメリカの国内線にも搭乗することができません。もう一つ身分を証明するものを提示する必要があります。


    法律成立の背景には、州により運転免許証発行条件が異なっているため、不法移民に対しても運転免許証が発行されているとの実態があるためと言われています。


    法律制定後、各州は、この「リアルID法」に基づく運転免許証を発行するようになりました。妻のメリーランド州の運転免許証に星印があるのは、この運転免許証は「リアルID法」に基づいて発行されたことの証明なのです。


    リアルID法は、成立後の猶予期間を経て、2021年10月1日に完全に施行されることになりましたが、2021年4月27日、国土安全保障省は、リアルID法の猶予期間を2021年10月1日から2023年5月3日まで延長する旨を発表しました。2023年5月3日までには、アメリカ全50州は、リアルID法に準拠する州の運転免許証を導入する必要があり、アメリカ市民・合法的な永住者・合法的な一時的居住者(駐在員等)は、それまでにリアルIDを入手しなければ、アメリカで国内線を利用する場合、リアルID以前の運転免許証だけでは、空港で身分を十分に証明することにはならないことになります。


    2023年5月3日以降、18歳以上の人は、全米の空港で飛行機に搭乗する際に、TSAが認めるIDは下記が含まれます。


    ・「リアルID法」に準拠した運転免許証

    ・米国パスポート

    ・国土安全保障省認定のトラベルカード

    ・永住者カード(グリーンカード)

    ・外国政府発行のパスポート


    国際線に搭乗する場合はパスポートがあるのでアメリカの運転免許証を提示する必要はありません。問題はアメリカの国内線を利用する場合です。「リアルID法」に準拠した運転免許証があれば、いちいち日本のパスポートを携行しなくてもよいことになります。


    妻は、永住者となったので、実物のグリーンカードを入手すれば、グリーンカードだけでも国内線に乗れますが、常に携行している運転免許証の方が使い勝手が良いと思います。