Sunday, February 6, 2022

FAFSAとCSS Profile (その1:FAFSA)

長女は現在アメリカのマサチューセッツ州にある大学の2年生ですが、大学3年の奨学金・学生ローンの申請が既に開始されています。


この申請手続きは、毎年行うもので、結構大変で気が遠くなるような作業です。


奨学金・学生ローンの申請は、大きく分けて2種類あり、「FAFSA」と「CSS Profile」があります。


本年9月から始まる長女の大学3年用の奨学金・学生ローンを申請するために、「FAFSA」も「CSS Profile」も1月26日に申請を完了しました。


長女の大学は、年間の授業料と寮費を合わせれば8万ドル以上かかるので(授業料:6万1646ドル、寮費関連経費:2万591ドル)、サラリーマンの私は、長女が返済不要の奨学金と学生ローンを得なければ支払うことはできません。


それでは「FAFSA」とは何でしょうか。


「FAFSA」は「Free Application for Federal Student Aid」の略で、連邦政府からの財政支援を得るための申請システムです。連邦政府の財政支援(「返済不要の奨学金(グラント)」や「学生ローン」など)の財源をそれを必要とする学生に適切に配分することを目的に、各家庭の財務情報を集めるものです。

申請にあたっては、学生とその両親の収入や財産についての情報を入力します。入力された情報をもとに、親が負担することが求められる期待額(EFC(Expected Family Contribution))が計算されます。


各家庭が1年間に負担できる学費の上限額である「EFC(Expected Family Contribution)」が、1年間にかかる学費の総額(授業料、寮費、食費およびその他の諸経費)を下回る場合、差額がファイナンシャル・ニーズとなります。「FAFSA」に登録されている家庭の収入や資産の情報を元に、「EFC」が算出されます。「FAFSA」に登録すると「SAR(StudentAid Report)」というレポートが提示され、そのレポートから「EFC」の額等が分かります。


「FAFSA」は連邦政府の財政支援のための申請書ですが、各州も、州の財政支援を配分するために「FAFSA」の申請情報を使います。また、各大学も、大学の財政支援を決定するために「FAFSA」の申請情報を使います。多くの場合、大学が財政支援ののパッケージ(大学がその学生に対しオファーする「グラント」と「学生ローン」の組み合わせ)を決定するために「FAFSA」の情報を使います。つまり、「FAFSA」はすべての財政支援(ファイナンシャル・エイド)を受けるための一番の大元となる申請書です。


「FAFSA」は申請は無料です。「FAFSA」は、大学に在学する期間を対象に毎年申請するもので、次年度のための申請がその年の1月1日から始まりますが、これから大学1年生になるという学生は、前年(高校最終学年)の10月から「FAFSA」の申請は始まります。


「FAFSA」の申請は、必要な情報が手元にありさえすればそれほど時間がかかりませんが、収入や確定申告の数字を間違えることはできないので、申請する前に何度も確認する必要があります。


「FAFSA」申請にあたり、前年度分及び今年度分の確定申告(Tax Return)、税関連書類、非課税収入関連書類の中の情報は極めて重要ですので、手元に集めておくことをお勧めします。


なお、アメリカ市民及び永住者ではない外国人の学生には「FAFSA」や「ローン型の奨学金」は適用されません。


長女はアメリカの市民権を持っているため「FAFSA」を毎年申請しているわけです。なお、「学生ローン」だけでなく、「親用ローン」もあります。しかし、親である私たちは昨年まで外国人だったので、この「親用ローン」を得ることはできませんでした。しかし、昨(2021)年11月23日に妻は永住者としてアメリカに入国したので、妻は、今年から、長女の大学のための「親用ローン」を得る資格を得ました。しかし、何と言っても「ローン」は「ローン」です。将来、利子をつけて返済する必要がありますので、「ローン」を受けなくて済むのであれば受けないに越したことはありません。家族で検討した結果、長女の「グラント」及び「学生ローン」を昨年と同じレベルで得られれば、なんとか長女の大学3年の学費を負担することはできそうだということで、妻が「親用ローン」を申請することはしませんでした。


以上を簡単にまとめると、アメリカの大学の学費は高額なので(長女の大学は授業料・寮費を合わせて年間8万ドル以上)、多くの学生は連邦政府や通う大学からの財政支援(ファイナンシャル・エイド)を得て学費を抑えて大学に進学します。学費全額を自費で支払うのが困難な学生が不足分(ファイナンシャル・ニーズ)の一部を負担してもらう制度が、「ファイナンシャル・ニーズベース」の奨学金です。そして、この「ファイナンシャル・ニーズ」を算出するために最も広く利用されているサービスが「FAFSA」というわけです。

リアルID

妻は、メリーランド州の運転免許証を1月13日に申請し、1月19日に取得しました。


前回、妻の実際の運転免許証の写しをアップしました。

       


よく見ると右上に、(IDカードではなく)「運転免許証」を示す「DL(Driver’s License)」というアルファベットの右側に、星印(⭐️)があります。これは、妻の運転免許証は連邦法「リアルID法(Real ID Act)」に準拠するものであることの証明です。


「リアル ID」とはなんでしょうか。


2005年5月11日、「リアルID法(Real ID Act)」が、米国2005年補正予算の一部として成立しました。米国の運転免許証は各州が発行しており、州によって運転免許証発行条件がまちまちでありましたが、この連邦法は、各州が運転免許証を発行する際の統一基準を示すと共に、同法に従わない州が発行する運転免許証(及びIDカード)は、連邦政府機関により公的用途のために(身分証明書として)認められないと規定しました。


つまり、この「リアルID法」に基づかない運転免許証は、空港での航空機搭乗の際の身分証明にならないということです。したがって、このような運転免許証だけではアメリカの国内線にも搭乗することができません。もう一つ身分を証明するものを提示する必要があります。


法律成立の背景には、州により運転免許証発行条件が異なっているため、不法移民に対しても運転免許証が発行されているとの実態があるためと言われています。


法律制定後、各州は、この「リアルID法」に基づく運転免許証を発行するようになりました。妻のメリーランド州の運転免許証に星印があるのは、この運転免許証は「リアルID法」に基づいて発行されたことの証明なのです。


リアルID法は、成立後の猶予期間を経て、2021年10月1日に完全に施行されることになりましたが、2021年4月27日、国土安全保障省は、リアルID法の猶予期間を2021年10月1日から2023年5月3日まで延長する旨を発表しました。2023年5月3日までには、アメリカ全50州は、リアルID法に準拠する州の運転免許証を導入する必要があり、アメリカ市民・合法的な永住者・合法的な一時的居住者(駐在員等)は、それまでにリアルIDを入手しなければ、アメリカで国内線を利用する場合、リアルID以前の運転免許証だけでは、空港で身分を十分に証明することにはならないことになります。


2023年5月3日以降、18歳以上の人は、全米の空港で飛行機に搭乗する際に、TSAが認めるIDは下記が含まれます。


・「リアルID法」に準拠した運転免許証

・米国パスポート

・国土安全保障省認定のトラベルカード

・永住者カード(グリーンカード)

・外国政府発行のパスポート


国際線に搭乗する場合はパスポートがあるのでアメリカの運転免許証を提示する必要はありません。問題はアメリカの国内線を利用する場合です。「リアルID法」に準拠した運転免許証があれば、いちいち日本のパスポートを携行しなくてもよいことになります。


妻は、永住者となったので、実物のグリーンカードを入手すれば、グリーンカードだけでも国内線に乗れますが、常に携行している運転免許証の方が使い勝手が良いと思います。

Saturday, January 22, 2022

妻、メリーランド州の運転免許証取得(その4:自宅に運転免許証が届く!)

妻は1月13日(木)にメリーランド州モントゴメリー郡ケンプミルにある車両管理局(MVA)で日本の運転免許証をもとにメリーランド州の運転免許証の取得申請を行いました。

そして1月19日(水)、妻のメリーランド州の運転免許証が自宅に郵送されてきました!

申請日から7日目ですが、週日だけで計算すると5日間で取得できたことになります。メリーランド州の車両管理局(MVA)がすごいのか、MVAのケンプミル・オフィスが優秀なのか分かりませんが、こんなに早くメリーランド州の運転免許証を入手でき、妻は上機嫌です。

メリーランド州の運転免許証には、身長と体重が記載されています。昔、カリフォルニア州の運転免許証を持っていましたが、髪の毛と目の色の記載もありました。

妻は1年間有効の国際免許証を持っているので車は運転できますが、このクレジットカードくらいの大きさの運転免許証があれば、車を運転できるだけでなく身分証明にもなるので、外出の際にパスポートを携行する必要がなくなり、気持ちが楽になります。国内線の飛行機の移動の際もこの運転免許証が身分証明になります。

妻は、これでアメリカの「移民ビザ」と「運転免許証」と「ソーシャル・セキュリティ・カード」を持つことになり、安心してアメリカで生活ができるというわけです。あとは「グリーンカード」が送付されてくるのを待つばかりです。

なお、妻の「ソーシャル・セキュリティ・カード」は、2002年に配偶者として取得したもので、カード上に「Valid for Work Only with INS Authorization」と記されています。妻は今回、永住者としてアメリカに入国したので、アメリカ国内でいつでもどこでも就労できます。したがって、妻は「ソーシャル・セキュリティ・カード」上の身分変更の手続きを行って、新しい(就労に何ら制約がない)「ソーシャル・セキュリティ・カード」を入手する必要があります。これについては、追ってこのブログで書こうと思います。

話は戻りますが、妻が入手したメリーランド州の運転免許証の発行日は、申請日である2022年1月13日です。有効期限は2029年の妻の誕生日です。少なくとも今後7年半以上はこの運転免許証で運転できることになります。運転免許証は、アメリカで生活する上でないと本当に不便なものなので、今回取得できて本当に良かったと思います。

 

       妻のメリーランド州の運転免許証

     




 



Friday, January 14, 2022

妻、メリーランド州の運転免許証取得(その3:メリーランド州車両管理局(MVA)での申請)

 1月13日、妻は、日本の運転免許証をもとにメリーランド州の運転免許証の取得申請をしました。


「3時間のアルコール薬物講習受講証」を含め申請に必要な書類は全て揃えました。


メリーランド州の運転免許証は、州の「運輸省(Department of Transportation)」管轄下の「車両管理局(Motor Vehicle Administration)」で申請します。メリーランド州では、この「車両管理局」のことを「MVA (Motor Vehicle Administration)」と呼んでいます。


実は、この「MVA」という名前は、全米50州では非常に珍しい名前です。アメリカに長く住んでいる方は、運転免許証を発行する組織は、全米のほとんどの州で「DMV」と呼ばれることは知っていると思います。


「DMV」は、「Department of Motor and Vehicle」の略称です。日本語訳は、「MVA」と同じ「車両管理局」です。カリフォルニア州やニューヨーク州だけでなくメリーランド州に隣接するバージニア州やワシントンDCでさえ、「DMV」という組織となっています。なぜメリーランド州は「MVA」という名前になっているかはわかりません。


妻は、メリーランド州の運転免許証を申請するために、シルバー・スプリングにある「MVA」ケンプミル(Kemp Mill)オフィスでのアポを1月13日午前8時半に取りました。住所は、1327 Lamberton Dr, Silver Spring, MD 20902 です。

https://mva.maryland.gov/locations/Pages/Kempmill.aspx


妻は、最初の申請者だったらしく、到着するとすぐにカウンターに通され必要書類を提出。担当者は、妻の日本旅券、米国の「移民ビザ」、ソーシャル・セキュリティ・カード、「3時間のアルコール薬物講習受講証」、視力検査結果証明などを確認し、一部、コピーをとりながら対応。グリーンカードをまだ持っていない妻は担当者に対し、米国の「移民ビザ」だけで十分であることを説明。永住者なのでI-92フォームがないことも説明。担当者は、慣れていなかったらしく、上司に何度も確認したそうです。


その後、運転免許証の写真をその場で撮とり、72ドルを支払って終了。


妻のメリーランド州の運転免許証は1週間以内に自宅に郵送されるそうです。それまでの間、運転できるよう、運転免許証の代わりとなる「臨時文書(Interim Document)」が発行されました。仮の運転免許証と言えるもので、この文書を携行すれば運転できるそうです。以下に貼り付けます。


「臨時文書」には、妻の情報、メリーランド州の運転免許証番号、有効期限(2029年の妻の誕生日まで(7年半ちょっと))などが記載されています。


ともあれ、永住者として入国した妻は、メリーランド州の運転免許証の申請が終わり、「運転免許証番号」も発行されたので、アメリカでの生活は大きく前進したといえます。


あとは運転免許証の実物が自宅に届くのを待つばかりです。


         「臨時文書(Interim Document)」


      

妻、メリーランド州の運転免許証取得(その2:3時間のアルコール・薬物講習受講証の取得)

メリーランド州の運転免許証を取得するためには、日本の普通自動車運転免許を持っている場合、必要な書類を出せば、技能試験および学科試験が免除されます。

必要な書類については、前回記載しましたが、その中で、「3時間のアルコール・薬物講習受講証」があります。これは、「The 3 Hour Alcohol and Drug Education Certificat 」というものです。

3時間の講習は、メリーランド州が認定した場所で受けられます。講習会場は、以下のメリーランド州のサイトでリストアップされていますので、自分で電話をして予約します。

https://mva.maryland.gov/about-mva/Pages/info/26200-678/26200-09T.aspx 

上記URLをクリックし、「View the list」をクリック。会場のリストがたくさん出てきますが、カウンティ別でソートし、モントゴメリー・カウンティを選択すると、同カウンティにある会場が出てきます。


1月9日、妻は、ハイヤッツビルにある「#1-A Introspect」(6475 New Hampshire Ave Suite #402, Hyattsville, MD 20783)で受講し、試験を受けました。


3時間講習をオンラインで受けられる会場があるそうですが、私たちはそのことを知らなかったので、妻は上記会場で3時間講習を受け、そのまま同じ会場で試験を受けました。

なお、試験は対面でしか受けられないと聞いています。しかし、過去の他の人のブログを読むと、コロナ禍でズームで試験を受けた人がいるようですが、今でもズームでの試験が行われているかはわかりません。

妻は前日まで試験対策を全くしていませんでした。そのため、前日の夜にメリーランド州が提供する模擬試験を5回くらい試しながら勉強しました。

模擬試験は以下にあります。

https://www.epermittest.com/maryland/md-drug-alcohol-practice-test

本番の試験は、模擬試験と同じ問題が出たようで、妻は満点をとりました。

妻が取得した「3時間のアルコール・薬物講習受講証」を以下に貼り付けます。



妻、メリーランド州の運転免許証取得(その1:技能試験・学科試験免除!)

妻は、2021年11月23日にホノルルに永住者として入国。

2021年12月にメリーランド州ベセスダの自宅に1年2ヶ月ぶりに

戻ってきました。


永住権を取得した妻がメリーランド州でまず行うべきことは、メリーランド州の運転免許証を取得することです。アメリカでは運転免許証がないと生活ができないと言っても過言ではないでしょう。運転免許証は、単なる運転するためのライセンスというだけではなく、本人確認のための身分証明の役割もあります。


レストランやバーでお酒を飲む時や酒屋でお酒を買う時に、店側から、21歳以上であることを確認するために身分証の提示を求められます。その際に運転免許証を提示するわけです。日本では、たとえばコンビニでお酒を購入する際、年齢確認のタッチボタンを押せば大体OKですよね。ただし、日本のコンビニでも若く見える方は、身分証を求めらることもあるようです。


アメリカの国内線の飛行機に乗る時に空港で身分証の提示を求められます。この時も運転免許証を提示するわけです。日本では、国内線の場合は身分証の提示は求められませんね。これはある意味怖いことです。


さて、どのようにしてアメリカで運転免許証を取得するのでしょうか。アメリカでは各州が運転免許証を発行していることはご承知の通りです。


メリーランド州は、日本政府との間の合意により、2016年1月から、メリーランド州に住んでいる日本人は、日本の普通自動車運転免許を持っている場合、メリーランド州の普通自動車運転免許取得する上で、技能試験および学科試験が免除されるようになりました。縦列駐車が苦手な妻にとり、技能試験が免除というのは本当にありがたいことです。聞いたところによると、日本政府とのこのような合意は、全米50州でメリーランド州が最初なんだそうです。


メリーランド州の免許取得に必要な書類は、次の通りです。

①身分証明書類 

・日本のパスポート、米国ビザ、I-94、グリーンカード等

→ 妻は、永住者なのでI-94は不要です。しかし、まだグリーンカードの実物は届いていないので、日本のパスポートとアメリカ政府が発行した「移民ビザ」で対応するしかありません。

(I-94フォームは、アメリカに入国する外国人の出入国記録情報です。外国人がアメリカに到着すると、まず空港で税関・国境警備局(CBP)の入国審査官に出迎えられ、入国が許可されれば、パスポートにスタンプが押されます。かつては入国時にI-94フォームという書類が発行されていましたが、2013年4月からデジタル化され、そのI-94フォームのシンボル的な役割を果たすのが、入国審査官の押印するスタンプです。現在では、I-94の出入国記録は、オンラインでいつでも確認・取得できるようになりました。I-94の提出を求められるのは主に、アメリカの免許証取得書類として提出する時、移民局(USCIS)に書類を提出する時、ソーシャルセキュリティー番号を取得する時などです。)


②社会保障番号(ソーシャルセキュリティカード)

→ 妻は、2002年にロサンゼルスに住んでいた時にソーシャルセキュリティカードは入手済です。最近知ったことですが、駐在員の配偶者は、今ではソーシャルセキュリティカードを取得することは難しいとのこと。


③メリーランド州居住証明書類

・電気・ガス・水道・電話料の請求書、住居の賃貸借契約書等

→ これは実は鬼門です。夫の駐在でアメリカに住んでいる場合、夫婦の名前で、住居の賃貸借契約や、電気・ガス・水道・電話の契約を結ばないことがほとんどだからです。妻の場合、たまたま共同名義にしていた当地の銀行のステートメントで夫婦の名前と住所が記載されているページと、妻が2002年から持っているAMEXの請求書で妻の名前と住所が書かれたページのコピーを提出しました。


④視力検査結果(検査より12か月以内のもの)

→ 妻は近所の眼鏡屋で検査をしました。


⑤3時間のアルコール・薬物講習受講証

→ 次回説明します。


⑥運転能力証明書類 

・日本の運転免許証+翻訳文書(日本大使館で翻訳した文書又は日本で発行された国際運転免許証など)

→ 妻は国際免許証を持っていましたが、念のため日本大使館に翻訳をお願いしました。19ドルかかりました。

Monday, January 10, 2022

アメリカの投票権改正の動き

1月6日の議会襲撃事件1周年記念行事において、バイデン大統領は、「大統領選挙以降、州レベルで次から次へ、投票を守るのではなく妨害するような法律が書かれている」と指摘しました。


これはどういうことなのでしょうか。これは、主に共和党が州知事や州議会を押さえている州で、ドライブスルー投票や24時間対応可能な投票所の禁止、郵便投票時の身分証明書提示の義務付け、投票時間の短縮等により、投票方法を従来と比べて制限する法律が成立している動きを指しているようです。


2021年1月から10月までに少なくとも19の州が投票の障壁づくりにつながる法律を成立しているとのこと。


以下、昨年からの投票権改正の主な動きを記します。


2020年

(法案の動き)

①For the People Act(H.R. 1 and S. 2093) 

この法案は、全国規模の選挙制度の導入を可能にする自動的な有権者登録や郵便投票の保障などで投票を容易にし、大口献金者の影響力を制限する包括的な選挙改革法案。

(1)米下院

・1月4日、ジョン・サーベインズ議員(民主、メリーランド州)が提出。

・3月3日、を220対210の僅差で採択。
(2)米上院

6月22日、この法案をめぐる投票が行われたが、野党・共和党から支持が得られず、法案を進めるのに必要な60票には達しなかった。


John Lewis Voting Rights Advancement Act (H.R. 4 and S. 4)

 この法案は1965年に制定された人種差別を禁じる「投票権法」の主要な保護規定の効力を復活させる内容。州が選挙関連の規則を改定する際、事前に司法省の承認を得ることなどを規定。

(1)米下院

・8月17日、テリー・シーウェル議員が提出。

・8月24日、219対212の僅差で可決。

(2)米上院

・10月5日、パトリック・リーヒ上院議員(民主、バーモント州)が提出。

・11月3日、可決に失敗。同種の法案が阻止されたのは、1月のバイデン政権発足後4回目。法案自体の採決に先立つ討議打ち切り動議に、野党共和党議員の大半が反対し、審議入りに必要な60票の賛成を確保できなかった。


Freedom to Vote Act (S. 2747)
 この修正法案には、全ての州で期日前投票期間を15日以上とすることや、2024年までに投票所での即日有権者登録を実現すること、新型コロナウイルス流行下の2020年に導入された郵便投票の制度化などが盛り込まれる。さらに、有権者の身分証規則を設けている州では、バンクカード(銀行発行のクレジットカード)や学生証なども身分証として認めるよう義務付ける。また、有権者が署名による身分証明のみで暫定投票を行うことも認める。暫定投票の集計は当局がその合法性を認めた後に行われる。
 修正法案は、上院議事運営委員会のエーミー・クロブシャー委員長(民主、ミネソタ州)とジョー・マンチン上院議員(民主、ウェストバージニア州)が主導した数カ月に及ぶ非公開協議でまとめられたもの。
(1)米上院
・9月14日、エーミー・クロブシャー議事運営委員長(民主、ミネソタ州)により、選挙改革法案の修正案「Freedom to Vote Act(S. 2747)」が提出される。
・10月20日、この法案をめぐる投票が行われたが、野党・共和党から支持が得られず、法案を進めるのに必要な60票には達しなかった。
 

(各州の投票制限の動き)

◯ジョージア州

・3月25日、米ジョージア州議会が投票制限の州法を可決。「2021年公正選挙州法」は、期日前投票や郵便投票の実施方法を従来よりも制限したり、投票所に行列する有権者に水や食べ物を提供してはならないと規制。ウィリアム・ケンプ州知事(共和党)が署名し、成立させた。

・3月26日、バイデン米大統領は、ジョージア州議会が採択した投票制限の州法を、人種差別的でアメリカらしくない、憲法への攻撃だと非難。

・6月25日、米司法省、ジョージア州で成立した投票法改正が黒人など人種的少数派を差別しているとして、同州を提訴したと発表。不正防止を名目に各州で広がる投票規制の動きに対し、バイデン政権が法的措置を講じるのは初めて。


◯アリゾナ州

・7月1日、米連邦最高裁は、アリゾナ州で指定投票所以外での投票や第三者による票の回収を規制する州法について、選挙に関する人種差別を禁止した投票権法には違反せず、合法と判断。


(テキサス州)

・9月7日、グレッグ・アボット・テキサス州知事(共和党)は、有権者に認める投票方法を大幅に制限する投票権法案に署名。12月から施行される同州法は、1)ドライブスルー投票や24時間利用可能な投票所の廃止、2)郵便投票にID(身分証)の提示義務を追加、3)選挙管理が有権者に未承諾の不在者投票用紙を送ることを禁止、4)日曜日13時以前の投票を禁止、5)党員による投票監視を簡単に排除できないようにし、投票所内での「自由な移動」を認める、6)月1回の市民権調査を実施、等が含まれる。

・11月4日、アメリカ司法省は、投票の権利を制限するテキサス州の州法が連邦法違反だとして、同州を提訴。


(大統領の演説)

・7月13日、バイデン大統領は、ペンシルベニア州フィラデルフィアで演説し、投票制度を全米レベルで見直す選挙改革法案の議会通過(連邦法の制定)が「国家的急務」だと訴えた。


2022年

・1月3日、上院で法案審議日程を管理するチャック・シューマー民主党院内総務は上院議員に対し、今後数週間以内に、投票権に関する法案審議を進める意向を伝える。下院では2021年中に、各州が投票方法に関する変更を行う場合、司法省からの事前承認を求める「John Lewis Voting Rights Advancement Act」など関連法案が可決されているが、実質的に60票の賛成がなければ法案を可決できない上院では、共和党議員の反対により審議入りを阻止されている。

 定数100の上院では、野党の議事妨害を打ち切るのに60人の賛成が必要。シューマー院内総務は、共和党が協力しない場合は、1月17日までに野党の抵抗を封じる上院規則改正に踏み切る考えを示した。規則改正はこれを単純過半数に引き下げる内容で、その過激さから「核のオプション」とも呼ばれる。少数意見を重んじる上院では「禁じ手」とされる。

・米議会上院のシネマ議員(民主)は、1月3日の声明で、投票権とともに、議事妨害を認め、60票の賛成を必要とする規則も支持していると表明。その上で、上院規則を議論することには前向きだとした。

・1月4日、政権の目玉政策であるビルド・バック・ベター法案にも反対を表明している民主党内保守派のジョー・マンチン上院議員は、上院規則改正にも難色を示した。


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本年11月には米議会では中間選挙が行われます。これまでの世論調査では、下院では民主党は過半数を取れず下野すると言われています。すでに19の州で投票の障壁が高くなっており、ますます民主党は不利になっているだけに、投票権改正は、バイデン政権及び米議会与党民主党にとっては極めて重要な課題と言えます。


Sunday, January 9, 2022

アメリカの雇用状況(昨年12月)

1月7日、米労働省が昨年12月の雇用統計を発表しました。

昨年12月の非農業部門雇用者数は前月比19万9千人増と、市場予想の44万人増を大きく下回りました。失業率は22カ月ぶりの低水準となる3.9%と、前月(昨年11月)の4.2%から改善し、労働市場がタイトな状態になっていることが示されました。市場予想は4.1%でした。

昨年11月の雇用者数の増加幅は当初発表の21万人から24万9千人へ上方改定。2021年通年での増加幅は640万人と、1939年の統計開始以降で最大となり、好調な回復基調を示唆しています。

しかし、雇用者数は依然として2020年2月のピークを360万人下回っています。

人手不足が原因で、米労働市場は年末にかけ若干失速した可能性がありますが、まだ持ちこたえている感じです。1月の統計は低迷する可能性があり、その後数カ月は、現在の新型コロナ感染の波に左右されるでしょう。

12月の雇用者数が伸び悩んだのは、雇用側の需要不足だけでなく、労働者不足も一因だったかもしれません。雇用統計の悪化は、経済が予想以上に好調であることを示すという奇妙な状況に陥っていて、賃金と物価が上昇し続け、FRBが利上げに踏み切ることを示唆しています。12月の失業率が米連邦準備理事会(FRB)の長期予測である4%を下回ったことで、一部のエコノミストの間では3月にも利上げが始まるという観測が高まっています。雇用者数の伸びは期待外れだったが、労働市場のタイトな状況をうかがわせ、早ければ3月の米利上げを後押しする可能性があるということです。もちろん、オミクロン変異株により2月の雇用統計が悪化すれば、利上げは5月に先送りされる可能性はあります。

インフレが加速する中での失業率低下や賃金の伸び加速は、より速いペースでの金融政策引き締めを正当化する可能性があります。金融政策引き締めが行われると金利が上がります。なぜなら、金融政策の引き締めは、公開市場操作や預金準備率を操作するなどの方法で、短期金融市場に流れるお金を減らすため、それによって金利を上昇されるからです。金利が上昇すれば企業の借り入れも減り、景気の過熱を抑えることにつながります。

昨年12月の統計は業種別で、レジャー・接客が5万3千人増、専門職・企業サービスが4万3千人増、製造業が2万6千人増、建設業が2万2千人増でした。輸送・倉庫業なども増加しました。
しかし、小売は減少しました。政府部門も1万2千人減少しています。
家計調査に基づくと、12月は16万8千人が労働市場に参入。労働参加率は前月から横ばいの61.9%で、コロナ禍前の63%を引き続き下回っています。人口に占める雇用者の比率は59.5%と、昨年11月の59.3%から上昇。

労働市場の逼迫を反映し、時間当たり平均賃金は前月比0.6%上昇と、昨年11月の0.4%上昇から伸びが加速。しかし、前年同月比では4.7%上昇と、5.1%上昇から鈍化しています。平均週間労働時間は横ばいの34.7時間でした。

アメリカ労働省が1月4日に発表した昨年11月の雇用動態調査(JOLTS)は自発的な離職件数が過去最大、求人件数の高止まりを示し、深刻な人手不足の状況を浮き彫りにしています。

バイデン大統領、3月に初めての一般討論演説へ

1月7日、ホワイトハウスは、バイデン大統領が3月1日にアメリカ連邦議会上下両院合同会議で一般教書演説を行うと発表しました。ペロシ下院議はバイデン大統領に対し、3月1日に一般教書演説を行うように申し入れをしていました。

実はバイデン大統領は、昨年(2020年)に大統領に就任しましたが、一般教書演説はしませんでした。したがって、今回、バイデン大統領にとり初の一般教書演説となります。

一般教書演説が3月に行われるのは米史上初。歴代大統領は通常、1月もしくは2月に演説しています。

Thursday, January 6, 2022

アメリカ連邦議会襲撃1周年

 米連邦議会議事堂が襲撃された事件から今日(1月6日)で1年を迎えました。バイデン米大統領はこの日、米国の民主主義に継続的な脅威をもたらしたとして、トランプ前大統領を非難しました。バイデン大統領は議事堂内での演説で、「1年前のこの日、この神聖な場所で民主主義が攻撃された」とし、「人々の意志は攻撃を受け、米国の憲法は深刻な脅威にさらされた」と述べ、「前大統領が2020年の選挙に関するうそを作り上げ、広めたというのが真実だ」とし、「トランプ氏は敗北を受け入れられない」と前大統領を厳しく批判しました。


バイデン大統領はさらに「米史上初めて、大統領は選挙で負けただけなく、平和的な政権移行を阻止しようとした」と強調。トランプ氏が議会占拠に対し「数時間にわたり何の行動も取らなかった」とし、「前大統領と彼の支持者は国民の投票や選挙を抑圧することが唯一の勝利への道と判断した」と批判しました。


バイデン大統領は演説でトランプ前大統領を終始「前大統領」と呼び、名前には言及しませんでした。


トランプ前大統領はバイデン大統領の演説を受けて声明を発表し、「私の名前を使い、米国をさらに分断させようとしている」と反発。共和党議員は、民主党が事件の1周年のイベントを利用していると批判。上院共和党上院のマコネル院内総務は声明で「上院民主党議員の一角が米国の規範や規則、制度の混乱を正当化するために、暴徒による試みを呼び起こしているのは驚きだ」と述べました。


しかし、事件の深刻さや責任を負うべき人物、乱入者の処罰を巡っては、米国民の意見は割れているようです。


キニピアック大学の世論調査によると、民主党支持者の93%、無所属派の56%が議会占拠事件は政府への攻撃だとの考えを示しました。一方、共和党支持者ではこの割合は29%にとどまっています。米調査機関ピュー・リサーチ・センターが行った調査では、乱入者を訴追することが重要だとみる共和党支持者が減っています。その割合は9月時点で57%となっており、3月の79%から低下。民主党支持者の間では95%で一定しています。


事件は民主主義への攻撃だとみる有権者もいれば、制御不能な状況に陥ったデモ活動だとする意見もあります。民主党や報道機関が事件を誇大に強調しているとの声も聞かれています。


米国が直面する分断の深さは本当に深刻のようです。

Wednesday, January 5, 2022

コロナ:オミクロン株

アメリカではオミクロン株が猛威をふるっています。

年末、1日の感染者数が3日連続50万人もありました。
今年に入り、1月3日の感染者数はとうとう1日で100万人を超えました。陽性者の中でオミクロン株に感染した割合は、既に95%に達しているそうです。


私の周りでも、この1ヶ月で10人に1人くらいの割合で感染している感じです。ワクチンを2回接種した人でも、ブースターを射った人でさえ、陽性者は出ています。幸い、私の知り合いの陽性者は、症状が軽いか全く症状が出ていません。


なお、オミクロン株に感染した場合の特徴は、「喉痛」のようです。


1月2日に次女はボーディングスクールに戻りましたが、寮に入るためにコロナ検査を受けました。翌1月3日からは、通いの学生も含め学生全員、教師及び学校関係者全員が毎日コロナ検査を受けています。親は、学校から毎日コロナ関連の報告をメールで受けています。今日までに高校生1335人中16名が陽性反応があったとのこと。陽性率は1.2%となります。幸い次女は感染していません。


アメリカでは、オミクロン株は簡単に感染するが症状は比較的軽く、重症者は少ないと言われています。しかしオミクロン株感染者の死者は出ていますし、デルタ株とは異なり、小児の入院の増加が報道されています。また、アメリカ全体で見ると、コロナ感染の入院者数は、これまでのピークである昨年9月の入院者数を超えています。

アメリカはPCR検査は無料です。検査が無料なので、親や祖父母、友達に会ったりする前に気軽に検査を受けています。しかし、ニューヨークなど感染爆発が起こっている都市では、検査を受けるのに3日も待つようになりました。


日本ではPCR検査に3万円から5万円かかると聞いて驚いています。こんなに検査料が高いと喉が痛くなりオミクロン株に感染した可能性があっても、症状が軽ければPCR検査を受けようと思わなくなるかもしれません。そうでなくてもオミクロン株は感染しやすいので、知らないまま感染し、知らないまま人にうつし、知らないまま治っている人がたくさんいると思います。


アメリカでは、医療従事者や公共交通機関従事者の陽性者が増加し、社会機能の維持に支障が出はじめています。いくら感染した場合の症状が軽いと言っても、感染すれば自主隔離する必要があるので、重要なインフラ関係者が不足すると社会はうまく機能しなくなります。今後も感染者・発症者が増加するにつれて、警察や消防・救急、航空会社、公共交通機関、学校、電気・水道・ガス会社の関係者が一時的に不足すると大変なことになります。


アメリカは、今月中旬にピークを過ぎるとの報道もあります。1日100万人が感染しているといずれ集団免疫ができるということでしょう。

早くピークが過ぎることを願うばかりです。

Tuesday, January 4, 2022

2022年始動!(我が家にとっての2022年)

年が明け、正月3が日も明け、いよいよ2022年が本格的に始動しました。
皆さまにとり、本年が安全で、健康で、充実した年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

1月2日に次女が早速ボーディングスクールに戻りました。長女は1月17日くらいまで自宅にいるらしいです。

さて、寅年の2022年は何が起こるのでしょうか。
今年は、我が家にとっては、非常に大事な年です。

まず、次女は、8月から高校最終学年(G12)になります。それはアメリカの大学受験を意味します。アメリカの大学には、大学毎の筆記入試試験なんてありません。
高校の成績(GPA)、共通試験(SAT/ACT)、課外活動、ボランティア、インターンなどをアプリケーションに書き込んで、エッセイなどと一緒に送付するだけです。

アプリケーションを出して合格したら必ず行かなければならない「アーリー・ディシジョン」というシステムがあります。「アーリー・ディシジョン」のアプリケーション提出期限は毎年11月1日。結果は12月中に分ります。したがって、次女はアーリー・ディシジョンでアプリケーションを提出した大学に合格すれば、本年中に大学合格となります。

妻は、本年8月から大学院に通う予定です。メリーランド州の自宅からちょっと離れた州の第二都市にある大学院です。5月か6月にはアパートを契約し、6月か7月には引っ越すことになります。

私は、2016年7月に日本を離れてからはや5年半。6年が経つ今夏に帰国する可能性が高いと思っています。

長女は、9月から大学3年生ですが、その前の夏休みには、チリに留学するか、アメリカの連邦議員のインターンを行う予定です。

ということで、今年の夏から私たち家族は、私は東京、妻は別の州、長女はマサチューセッツ州のボストン近郊の大学の3年生、次女は暖かい州の州都の高校最終学年となり今年中に大学が決まる可能性がある、ということになりそうです。

誰にとっても、毎日、毎週、毎月、毎年が重要なのですが、我が家にとり、今年はまた大きな転機となりそうな一年です。


Saturday, January 1, 2022

飽くなきアメリカ探求の旅

アメリカに15年以上住んでいますが、実は、小学生高学年の頃から休みになると時々、サンフランシスコの親戚の家を訪れ滞在していました。


母方の祖父の姉が第一次世界大戦前にアメリカに移民。ハワイ経由でサンフランシスコに定住しました。祖父の姉には子供が3人ますが、私はいつも祖父の姉の長女夫妻の家に泊まっていました。サンフランシスコ市内ですが2階建て広めの一軒家で私専用の部屋を与えてくれました。祖父の姉の長女は、私の母と「従姉妹」関係になります。私はおばさんと呼んでいました。


まだ健在だった祖父の姉から、ご自身の移民の話、日系人強制収容所での生活の話を何度も聞きました。おばさんも小さい頃、祖父の姉夫妻と一緒に日系人強制収容所に入っていました。


おばさんには長男長女がおり、私は彼らと「ふたいとこ」の関係で、特に長女(祖父の姉の孫)とは一歳違いでしたので仲が良く、彼女がよく私の面倒を見てくれました。高校生になると長女は運転ができるので行動範囲が広がり、彼女と彼女の友達とカリフォルニア州ヨセミテ国立公園でのハイキングやキャンプ、ユタ州レイクタホでのスキーなど、充実した夏休みと冬休みを過ごしました。


大学時代の夏と冬は、ロサンゼルスにいるアメリカ人の親友の家に遊びに行くようになりました。正確にはサンフェルナンド・バレー地域にあるウッドランドヒルズのプール付きの家で、夏の夜はよくプールパーティがありました。親友の友達の1人にストゥディオ・シティの豪邸に住んでいるアメリカ人の学生がおり、両親は離婚されており母親はよく不在でしたので、そのお宅にもよくお邪魔して寝泊まりしていました。この頃は、カリフォルニア州パームスプリングス、サンディエゴ、ユタ州ラスベガスを訪れ、青春を謳歌していました。


ロサンゼルスの大学院時代は、ネバダ州、ユタ州、コロラド州、ワイオミング州、モンタナ州、アイダホ州、ワシントン州、オレゴン州を回る旅行をしたことがあります。その後、カリフォルニア州に戻り、サンクラメン、サンフランシスコ、ヨセミテ国立公園、サンホゼ、モントレーベイ、サンタバーバラ、マリブを通ってロサンゼルスに戻りました。


インディアナ州の大学院に通う直前の夏休みは、オレゴン州を抜けワシントン州のシアトルからカナダのブリティッシュコロンビア準州のバンクーバーからユーコン準州を通ってアラスカ州を旅しました。

アラスカ州ではアンカレッジやフェアバンクスはもちろんのこと、デナリ国立公園を訪れました。氷河や氷山も見ました。

帰りは流石に疲れたので、アラスカのジュノーからカナダのプリンスルパートまで大型フェリーで移動しました。フェリーから鯨も見ることができました。

プリンスルパートからバンフに移動しましたが、バンフの美しい自然は今でも鮮明に覚えています。

その後カルガリーを通って、モンタナ州グレイシャー国立公園でゆっくりとしました。

そして、サウスダコダ州のマウントラシュモアの麓で一泊。翌日、ミネソタ州、ウィスコンシン州を通ってシカゴの友人の家で残りの夏休みを過ごした思い出があります。


インディアナ州に住んでいて頃は、同州ブルーミントンからミズーリ州セントルイス経由で、同州スプリングフィールドの友人の家に数泊滞在、その後、オクラホマ州を通って、テキサス州デントンの友人の家に1週間滞在したことがあります。滞在中、ダラスを訪問し、年末年始を過ごしました。その間、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺現場を訪れました。

帰りは、ルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州を通って北上し、テネシー州のナシュビルで数泊滞在。その後、ケンタッキー州を通ってインディアナ州に戻りました。


別の機会には、アイオワ州やネブラスカ州、オハイオ州の友人の家にお邪魔したこともあります。

また、スプリングブレイクでは、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州を通って、フロリダ州のデイトナビーチで1週間過ごしました。


インディアナ州での大学院生活も終わった後、ワシントンDCに駐在することになり、自家用車Pontiac Grand AMで引っ越しました。ルートは、インディアナ州ブルーミントン→同州インディアナポリス→オハイオ州コロンバス→ペンシルベニア州→ワシントンDCです。この引っ越しで、私は自家用車でカリフォルニア州ロサンゼルスからインディアナ州ブルーミントンを経てワシントンDCに引っ越したので、アメリカを横断したことになります。また、同じ車でアラスカ州やフロリダ州、ノースダコダ州やテキサス州にも行っているので、アメリカを縦断したと言えるでしょう。


最初の駐在時代(バージニア州ロズリン、ワシントンDC)は、バージニア州のウィリアムズバーグやホームステッド・リゾート、ウェストバージニア州のグリーンブライア・リゾート、サウスカロライナ州のヒルトンヘッドなどを旅しました。飛行機ではカリフォルニア州ロサンゼルス、ミシガン州アン・アーバー、フロリダ州マイアミやキーウエスト、ジャマイカなどを訪問しました。


クリスマスを過ごしたミシガン州のマキノー島は思い出の島です。島の大部分が州立公園に指定され、自動車の使用は禁止されています。移動手段は徒歩、自転車、馬車しかありません。宿泊場所は、ビクトリア調の美しいリゾートホテル「グランドホテル」。ホテル内レストランのクリスマスディナーの客で有色人種は私1人であったことに驚いた記憶があります。ここのグランド・ホテルには何度も滞在しました。それがきっかけに、この島の別荘を購入し、今でも避暑地としてために使っています。別の機会には、メイン州のブランズウィックにある友達の別荘にもお邪魔したことがあります。


出張では、マサチューセッツ州のボストン、メイン州のケネバンクポート、ドイツのミュンヘン、スイスのジュネーブを訪れました。


そして、28歳になる前の夏に帰国しました。


2回目の駐在時代(カリフォルニア州ロサンゼルス)は、長女が誕生した1年後くらいにユタ州ラスベガス、アリゾナ州フェニックスとグランドキャニオン、ニューメキシコ州サンタフェとタオスなどににCRVで旅行に行きました。ロサンゼルスからラスベガスまでは、300マイル(480km)近くあるインターステート・ハイウェー15(I-15)の一本道を走るのですが、途中に、そこまで急ではないがかなり長距離の上り坂の道があります。そこを家族3人が乗ったCRVを運転していると、エンジンがオーバーヒートしかかったため、咄嗟の判断で、エアコンを消し送風のみにしました。そうするとエンジンの温度が下がっていき、難を逃れた記憶があります。サンタフェとタオスは未だに自分の大好きな場所です。先住民文化、スペイン系文化、メキシコ系文化、カウボーイ文化、芸術文化、現代アメリカ文化など、豊かな歴史と伝統を誇る独特の雰囲気を持つ場所です。温暖な気候と変化に富んだ景色に誰しもが魅了されるわけです。

その他、ロサンゼルスからサンタバーバラ、カーメル、モントレーベイ、フレズノ、サンフランシスコを訪れました。サンディエゴのシーワールドにも行きました。


出張で、ニューヨーク、テキサス州クロフォード、ジョージア州サバナとシーアイランド、メキシコのロスカボスなどを訪れました。


3回目の駐在時代(ニューヨーク州ニューヨーク)は、飛行機では、カナダ側のナイアガラの滝、ワイオミング州のイエローストーン国立公園、メキシコのカンクーン、フロリダ州のディズニーワールドやケネディ宇宙センター、ルイジアナ州のニューオリンズ、カリフォルニア州のロサンゼルスやサンフランシスコなどを訪問しました。


フロリダ州ポート・カナベラルから出発したディズニークルーズでは、同州のキーウエスト(アメリカ最南端ブイやヘミングウェーの家と博物館など)、バハマのナッソー、ウォルト・ディズニー・カンパニーが所有するプライベート島「キャスタウェイ・ケイ」などで下船し、家族4人で大きな思い出を作りました。ディズニークルーズでは、船内に至るところにミッキーマウスなど有名キャラクターがおり、2人の娘はいつでも一緒に写真を撮れるので、ミッキーマウスに対する感動を失っていくのを垣間見ました。船内では毎回異なるレストランで食事をし、船内劇場で夢いっぱいのショーを見て、長女、次女にとっては最高のクルーズだったと思います。


4回目の駐在時代(ニューヨーク州ウェストチェスター郡ライ)は、長女の大学訪問でニューハンプシャー州ハノーバー、マサチューセッツ州ボストン、ウォルサム、ロードアイランド州プロビデンス、コネチカット州ニューヘイブン、ミドルタウンを訪れました。この旅行の途中でバーモント州ストウにあるサウンド・オブ・ミュージックで有名なトラップ家ロッジ(英語では、ファン・トラップ家(von Trapp family)と言います。)に行きました。またマサチューセッツ州のプリマスやケープコッド、ハイアニスにあるジョン・F・ケネディの別荘や博物館にも訪れました。

別の大学訪問では、ニュージャージー州プリンストン、バージニア州シャーロッツビル、ウィリアムズバーグを訪れたり、カリフォルニア州のスタンフォード、バークレー、ロサンゼルスなどを訪問しました。


この時期の旅行の思い出は、何といってもキャンピングカーでのグランドサークルの旅です。10代の娘2人を抱える親としてはこれが最後の家族旅行だと思い、嫌がる長女と次女をなんとか一緒に連れていきました。

ユタ州ラスベガスからスタートし、ザイオン・キャニオン、ブライス・キャニオン、アリゾナ州モニュメントバレー、奇妙な造形をした砂岩に囲まれた渓谷アンテロープ・キャニオン、そしてグランド・キャニオンと周り、最後にまたラスベガスと、個人的には夢のキャンピングカーでの旅となりました。

宿泊場所は、ラスベガスを除きキャンピングカーの中ですが、食事はいつもキャンピングカーの中とはいかず、3回に1回くらいはレストランで食事をしました。

最近になって長女から、あの旅は良かったと聞いたので、若干無理やり連れて行って良かったと思っています。もちろんこれは親のエゴですが。


別の機会の家族旅行ではジャマイカに訪れました。


その他、長女のクラブチームの地方大会遠征で、長女と2人でインディアナ州インディアナポリスに行きました。長女が活躍するバレーボールの試合を見るのは本当に楽しかったです。なお、長女は妻とボストン、ワシントンDCなども遠征で訪れています。


出張では、ニュージャージー州トレントン、ペンシルベニア州フィラデルフィア、ピッツバーグ、ウェストバージニア州チャールストン 、カリフォルニア州サンフランシスコ、キューバ、トリニダード・トバゴなどを訪れました。


5回目の駐在(メリーランド州ベセスダ)では、長女とマンハッタンを経由してボストン近郊にある大学まで一緒に行き、入寮を手伝いました。この旅は、19歳の大学2年生になる長女との車の旅であり、国際情勢からアメリカの政治などいろいろなことを話することができ、父親として本当に思い出となるありがたい旅でした。


28歳までにアメリカ50州を制覇しましたが、このようにその後もいろんな場所を訪れています。そして今後もアメリカを探索し続けます。