アメリカに15年以上住んでいますが、実は、小学生高学年の頃から休みになると時々、サンフランシスコの親戚の家を訪れ滞在していました。
母方の祖父の姉が第一次世界大戦前にアメリカに移民。ハワイ経由でサンフランシスコに定住しました。祖父の姉には子供が3人ますが、私はいつも祖父の姉の長女夫妻の家に泊まっていました。サンフランシスコ市内ですが2階建て広めの一軒家で私専用の部屋を与えてくれました。祖父の姉の長女は、私の母と「従姉妹」関係になります。私はおばさんと呼んでいました。
まだ健在だった祖父の姉から、ご自身の移民の話、日系人強制収容所での生活の話を何度も聞きました。おばさんも小さい頃、祖父の姉夫妻と一緒に日系人強制収容所に入っていました。
おばさんには長男長女がおり、私は彼らと「ふたいとこ」の関係で、特に長女(祖父の姉の孫)とは一歳違いでしたので仲が良く、彼女がよく私の面倒を見てくれました。高校生になると長女は運転ができるので行動範囲が広がり、彼女と彼女の友達とカリフォルニア州ヨセミテ国立公園でのハイキングやキャンプ、ユタ州レイクタホでのスキーなど、充実した夏休みと冬休みを過ごしました。
大学時代の夏と冬は、ロサンゼルスにいるアメリカ人の親友の家に遊びに行くようになりました。正確にはサンフェルナンド・バレー地域にあるウッドランドヒルズのプール付きの家で、夏の夜はよくプールパーティがありました。親友の友達の1人にストゥディオ・シティの豪邸に住んでいるアメリカ人の学生がおり、両親は離婚されており母親はよく不在でしたので、そのお宅にもよくお邪魔して寝泊まりしていました。この頃は、カリフォルニア州パームスプリングス、サンディエゴ、ユタ州ラスベガスを訪れ、青春を謳歌していました。
ロサンゼルスの大学院時代は、ネバダ州、ユタ州、コロラド州、ワイオミング州、モンタナ州、アイダホ州、ワシントン州、オレゴン州を回る旅行をしたことがあります。その後、カリフォルニア州に戻り、サンクラメン、サンフランシスコ、ヨセミテ国立公園、サンホゼ、モントレーベイ、サンタバーバラ、マリブを通ってロサンゼルスに戻りました。
インディアナ州の大学院に通う直前の夏休みは、オレゴン州を抜けワシントン州のシアトルからカナダのブリティッシュコロンビア準州のバンクーバーからユーコン準州を通ってアラスカ州を旅しました。
アラスカ州ではアンカレッジやフェアバンクスはもちろんのこと、デナリ国立公園を訪れました。氷河や氷山も見ました。
帰りは流石に疲れたので、アラスカのジュノーからカナダのプリンスルパートまで大型フェリーで移動しました。フェリーから鯨も見ることができました。
プリンスルパートからバンフに移動しましたが、バンフの美しい自然は今でも鮮明に覚えています。
その後カルガリーを通って、モンタナ州グレイシャー国立公園でゆっくりとしました。
そして、サウスダコダ州のマウントラシュモアの麓で一泊。翌日、ミネソタ州、ウィスコンシン州を通ってシカゴの友人の家で残りの夏休みを過ごした思い出があります。
インディアナ州に住んでいて頃は、同州ブルーミントンからミズーリ州セントルイス経由で、同州スプリングフィールドの友人の家に数泊滞在、その後、オクラホマ州を通って、テキサス州デントンの友人の家に1週間滞在したことがあります。滞在中、ダラスを訪問し、年末年始を過ごしました。その間、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺現場を訪れました。
帰りは、ルイジアナ州、ミシシッピ州、アラバマ州を通って北上し、テネシー州のナシュビルで数泊滞在。その後、ケンタッキー州を通ってインディアナ州に戻りました。
別の機会には、アイオワ州やネブラスカ州、オハイオ州の友人の家にお邪魔したこともあります。
また、スプリングブレイクでは、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州を通って、フロリダ州のデイトナビーチで1週間過ごしました。
インディアナ州での大学院生活も終わった後、ワシントンDCに駐在することになり、自家用車Pontiac Grand AMで引っ越しました。ルートは、インディアナ州ブルーミントン→同州インディアナポリス→オハイオ州コロンバス→ペンシルベニア州→ワシントンDCです。この引っ越しで、私は自家用車でカリフォルニア州ロサンゼルスからインディアナ州ブルーミントンを経てワシントンDCに引っ越したので、アメリカを横断したことになります。また、同じ車でアラスカ州やフロリダ州、ノースダコダ州やテキサス州にも行っているので、アメリカを縦断したと言えるでしょう。
最初の駐在時代(バージニア州ロズリン、ワシントンDC)は、バージニア州のウィリアムズバーグやホームステッド・リゾート、ウェストバージニア州のグリーンブライア・リゾート、サウスカロライナ州のヒルトンヘッドなどを旅しました。飛行機ではカリフォルニア州ロサンゼルス、ミシガン州アン・アーバー、フロリダ州マイアミやキーウエスト、ジャマイカなどを訪問しました。
クリスマスを過ごしたミシガン州のマキノー島は思い出の島です。島の大部分が州立公園に指定され、自動車の使用は禁止されています。移動手段は徒歩、自転車、馬車しかありません。宿泊場所は、ビクトリア調の美しいリゾートホテル「グランドホテル」。ホテル内レストランのクリスマスディナーの客で有色人種は私1人であったことに驚いた記憶があります。ここのグランド・ホテルには何度も滞在しました。それがきっかけに、この島の別荘を購入し、今でも避暑地としてために使っています。別の機会には、メイン州のブランズウィックにある友達の別荘にもお邪魔したことがあります。
出張では、マサチューセッツ州のボストン、メイン州のケネバンクポート、ドイツのミュンヘン、スイスのジュネーブを訪れました。
そして、28歳になる前の夏に帰国しました。
2回目の駐在時代(カリフォルニア州ロサンゼルス)は、長女が誕生した1年後くらいにユタ州ラスベガス、アリゾナ州フェニックスとグランドキャニオン、ニューメキシコ州サンタフェとタオスなどににCRVで旅行に行きました。ロサンゼルスからラスベガスまでは、300マイル(480km)近くあるインターステート・ハイウェー15(I-15)の一本道を走るのですが、途中に、そこまで急ではないがかなり長距離の上り坂の道があります。そこを家族3人が乗ったCRVを運転していると、エンジンがオーバーヒートしかかったため、咄嗟の判断で、エアコンを消し送風のみにしました。そうするとエンジンの温度が下がっていき、難を逃れた記憶があります。サンタフェとタオスは未だに自分の大好きな場所です。先住民文化、スペイン系文化、メキシコ系文化、カウボーイ文化、芸術文化、現代アメリカ文化など、豊かな歴史と伝統を誇る独特の雰囲気を持つ場所です。温暖な気候と変化に富んだ景色に誰しもが魅了されるわけです。
その他、ロサンゼルスからサンタバーバラ、カーメル、モントレーベイ、フレズノ、サンフランシスコを訪れました。サンディエゴのシーワールドにも行きました。
出張で、ニューヨーク、テキサス州クロフォード、ジョージア州サバナとシーアイランド、メキシコのロスカボスなどを訪れました。
3回目の駐在時代(ニューヨーク州ニューヨーク)は、飛行機では、カナダ側のナイアガラの滝、ワイオミング州のイエローストーン国立公園、メキシコのカンクーン、フロリダ州のディズニーワールドやケネディ宇宙センター、ルイジアナ州のニューオリンズ、カリフォルニア州のロサンゼルスやサンフランシスコなどを訪問しました。
フロリダ州ポート・カナベラルから出発したディズニークルーズでは、同州のキーウエスト(アメリカ最南端ブイやヘミングウェーの家と博物館など)、バハマのナッソー、ウォルト・ディズニー・カンパニーが所有するプライベート島「キャスタウェイ・ケイ」などで下船し、家族4人で大きな思い出を作りました。ディズニークルーズでは、船内に至るところにミッキーマウスなど有名キャラクターがおり、2人の娘はいつでも一緒に写真を撮れるので、ミッキーマウスに対する感動を失っていくのを垣間見ました。船内では毎回異なるレストランで食事をし、船内劇場で夢いっぱいのショーを見て、長女、次女にとっては最高のクルーズだったと思います。
4回目の駐在時代(ニューヨーク州ウェストチェスター郡ライ)は、長女の大学訪問でニューハンプシャー州ハノーバー、マサチューセッツ州ボストン、ウォルサム、ロードアイランド州プロビデンス、コネチカット州ニューヘイブン、ミドルタウンを訪れました。この旅行の途中でバーモント州ストウにあるサウンド・オブ・ミュージックで有名なトラップ家ロッジ(英語では、ファン・トラップ家(von Trapp family)と言います。)に行きました。またマサチューセッツ州のプリマスやケープコッド、ハイアニスにあるジョン・F・ケネディの別荘や博物館にも訪れました。
別の大学訪問では、ニュージャージー州プリンストン、バージニア州シャーロッツビル、ウィリアムズバーグを訪れたり、カリフォルニア州のスタンフォード、バークレー、ロサンゼルスなどを訪問しました。
この時期の旅行の思い出は、何といってもキャンピングカーでのグランドサークルの旅です。10代の娘2人を抱える親としてはこれが最後の家族旅行だと思い、嫌がる長女と次女をなんとか一緒に連れていきました。
ユタ州ラスベガスからスタートし、ザイオン・キャニオン、ブライス・キャニオン、アリゾナ州モニュメントバレー、奇妙な造形をした砂岩に囲まれた渓谷アンテロープ・キャニオン、そしてグランド・キャニオンと周り、最後にまたラスベガスと、個人的には夢のキャンピングカーでの旅となりました。
宿泊場所は、ラスベガスを除きキャンピングカーの中ですが、食事はいつもキャンピングカーの中とはいかず、3回に1回くらいはレストランで食事をしました。
最近になって長女から、あの旅は良かったと聞いたので、若干無理やり連れて行って良かったと思っています。もちろんこれは親のエゴですが。
別の機会の家族旅行ではジャマイカに訪れました。
その他、長女のクラブチームの地方大会遠征で、長女と2人でインディアナ州インディアナポリスに行きました。長女が活躍するバレーボールの試合を見るのは本当に楽しかったです。なお、長女は妻とボストン、ワシントンDCなども遠征で訪れています。
出張では、ニュージャージー州トレントン、ペンシルベニア州フィラデルフィア、ピッツバーグ、ウェストバージニア州チャールストン 、カリフォルニア州サンフランシスコ、キューバ、トリニダード・トバゴなどを訪れました。
5回目の駐在(メリーランド州ベセスダ)では、長女とマンハッタンを経由してボストン近郊にある大学まで一緒に行き、入寮を手伝いました。この旅は、19歳の大学2年生になる長女との車の旅であり、国際情勢からアメリカの政治などいろいろなことを話することができ、父親として本当に思い出となるありがたい旅でした。
28歳までにアメリカ50州を制覇しましたが、このようにその後もいろんな場所を訪れています。そして今後もアメリカを探索し続けます。
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