Saturday, November 30, 2019

米国の感謝祭

一昨日は、感謝祭。うちは七面鳥は大きくて料理するのに時間がかかるし、家族4人でも木曜から日曜まで毎日食べことになり飽きてしまうので、代わりにチキンを食べています。

過去には37年来の付き合いのカリフォルニア州フレズノ在住の元ホストファミリーの家でゆっくりしたことは何度もありました。典型的なオールアメリカンの御家庭で、孫を含む家族全員青目で、お米を食べたことがありません。木曜から日曜までフットボールを見たり映画を見たりしながら毎日七面鳥を食べるのは流石に飽きます。

オーブンを使ったチキンの丸焼きは結構簡単です。まずはチキンを水洗いしないこと。オーブン用のトレイにアルミホイルフォイルを貼って、ペーパータオルで拭いたチキンを置き、定番の塩胡椒をふりかけます。
次にレモンの皮、ガーリック、ローズマリーを細かく砕き溶かしたバターに混ぜます。オリーブオイルもタップリと。それらをブラシでチキン全体に塗ります。
チキンの中には半分に切ったレモンと玉ねぎを2個ずつ、ガーリックも。
チキンの周りには大きめに切った玉ねぎ、人参、ジャガイモなど。
あとはオーブンで華氏425度で45分間焼きます。
一旦取り出して、トレイにたまっただし汁をチキン全体にスプーンでかけます。
そしてもう一度オーブンに戻し20分少々焼きます。これで完了です。
そしてトウモロコシ、カボチャ、スクワッシュ、ナッツ、そしてクランベリー・ソースはマストです。

オーブンでチキンを焼いている間、メイシーズ感謝祭パレードをテレビで観ます。今年で93回目となるパレードは、全米で最も有名な感謝祭パレードで、観衆は350万人、テレビ視聴者数はなんと5000万人だそうです。パレード参加者は8000人。フロートは約30台。マーチングバンドは11隊。そしてパレードの目玉は巨大パルーン、特にキャラクターバルーンです。今年はスヌーピーが復活することが話題になっていました。

さて、米国の感謝祭ですが、11月の第4木曜日と決まっています。日本の盆と正月が合わさったようなもので、遠く離れて暮らしている家族も、感謝祭の日には家族と共に過ごすために家に帰ろうと努めるようです。

米国では、感謝祭の祝日は、今からおよそ400年前、米国のイギリス植民地時代の初期に、感謝の祝宴として始まりました。1620年、「メイフラワー号」と呼ばれる船が100人を超える人々を乗せてイギリスを出発し、大西洋を越えて新天地アメリカに向かいました。乗船者の大半は、「分離派」と呼ばれるキリスト教の一派に属する人々で、英国国教会の信条を受け入れることができずにそこから分離したグループでした。分離派はイギリス国内で迫害を受け、信仰の自由が与えられていたオランダに移り住んでいましたが、その後、彼らはアメリカ大陸に新しい植民地を築くことをイギリスから許されるとともに、経済的な援助も受けました。

当初、彼らはアメリカ大陸の南岸に沿った地域で、他の入植者の近くに定住するつもりでしたが、途中航路がそれたために、予定よりもはるか北に位置する、現在のマサチューセッツ州ケープコッド湾に上陸しました。

1620年12月21日、彼らは到着した湾岸で、無人となったアメリカ先住民の村を見つけ、そこに居住し、自分たちのこの新しい土地をプリマスと名付けました。新しい入植地での1年目は大変厳しいものでした。彼らは自らをピルグリム(北アメリカに移住し植民地を築いた清教徒の一団)と呼んでいましたが、その大半がイギリスの都会の出身であり、荒野で暮らす術を知りませんでした。彼らの多くは森を恐れ、狩猟の腕もありませんでした。イギリスでは狩猟は貴族だけのものであり、一般の人々にとっては、獲物を銃で撃つことは罰金や処罰の対象でした。また、彼らがこの地に到着した季節は多くの農作物を育てるには遅すぎた上に、彼らが持ち込んだ植物は新天地の気候に合いませんでした。イギリス産の小麦の種は、植民地の土壌では発芽しませんでした。最初の1年で植民地の住民の半数が病死し、もし先住民のワンパノアグ族の助けや指導を受けることがなければ、全滅していたと言われています。

1621年3月、ワンパノアグ族首長に率いられた一団がピルグリムの入植地を訪れました。彼らの目的は、入植者との協定を結ぶ相談をすることでした。入植者は、ワンパノアグ族を敵対する部族から守ることと引き換えに、ワンパノアグ族の土地にとどまることを許されることになりました。ワンパノアグ族たちは入植者に、彼らがそれまで知らなかったトウモロコシという食物の育て方を教え、新しい土壌でよく育つ農作物を教えました。また、魚の釣り方、貝の採り方、森の中を音を立てずに移動して獲物を狩る方法なども教えました。

ワンパノアグ族は1年を通じて、土地がもたらす多くの恵みに対する感謝の祭事を行っていました。そしてピルグリムもまた英国で、収穫のときに感謝祭を行っていました。1621年の秋までには、入植者たちは新しい土地で暮らしていくことを学び、トウモロコシ、大麦、豆類、そしてカボチャなどの豊かな収穫を得ました。

多くの恵みへの感謝のために、彼らは感謝の祝宴と祈りのための特別な日を計画しました。彼らはワンパノアグ族を招待し、90人のワンパノアグ族は、入植者の収穫物と一緒にあぶり焼きにするために七面鳥と鹿肉を持って宴に参加しました。それ以外にも、貝や魚、うなぎ、コーンブレッド、スクワッシュ、ナッツ、クランベリーなどさまざまな食物が祝宴を飾りました。入植者たちはワンパノアグ族から、クランベリーやいろいろな種類のトウモロコシやスクワッシュの料理法を学んでいました。この最初の感謝祭には、ワンパノアグ族がポップコーンを持ってきたとも言われています。

その後も入植者は、秋の収穫を感謝の祝宴によって祝いました。1776年に米国が独立を宣言した後、議会は国全体が祝う感謝の日を設けることを提言しました。そしてジョージ・ワシントンはそれを11月26日とすることを提案しました。感謝祭が法定休日になったのはそのはるか後のことです。これは、1800年代半ばに活躍した著名な編集者サラ・ジョセファ・ヘイルの努力によるところが大きいと言われています。彼女は長年にわたり、感謝祭を国の祝日にする運動をしていました。南北戦争の終盤の1864年になって、彼女はリンカーン大統領を説得し、大統領は11月の最終木曜日を公式に感謝祭として定めることを宣言しました。。1941年には、11月の第4木曜日が連邦法定休日として宣言され、ほとんどの職場や学校は4連休となりました。

感謝祭の日付は年によって異なります。そのため大統領は毎年、その年の日付を法定休日として宣言する必要があるがあります。宣言の中で大統領は、1621年にプリマスで行われた最初の感謝祭の歴史的な行事とその意義に触れ、それを称えています。

感謝祭の分かち合いの精神を受け、今日では市民グループや慈善団体が、恵まれない人々、特にホームレスの人々に伝統的な感謝祭の食事を提供することが慣習となっています。各地域では、休日の期間中、恵まれない家庭のために、フード・ドライブを行って食糧を集めています。

七面鳥、トウモロコシ、カボチャ、スクワッシュ、ナッツ、そしてクランベリー・ソースは、最初の感謝祭を表すシンボルとなっています。これらのシンボルは、ピルグリムとメイフラワー号の絵と同様に、感謝祭の休日の飾りやカードに描かれています。また、ドライフラワーや色とりどりのひょうたんや「インディアン・コーン」と共に、オレンジや赤、茶色や黄色といった秋の色も、テーブルやドアの飾りによく使われている。これらはすべて、収穫と秋の季節を表すものです。

我が家は、七面鳥以外は定番の感謝祭料理です。毎年、ピルグリムとアメリカ先住民の心温まる協力に思いを馳せながら、秋の収穫に感謝しつつ感謝祭ウィークを過ごしています。



Monday, November 25, 2019

長女のアメリカの大学受験の途中経過(11月下旬の状況)

今年アメリカの大学受験の長女。

繰り返しになりますが、アメリカの大学受験は、日本のような一発試験とは異なり、GPA(高校4年間の全教科の成績)、SAT(長女はACT)に加えて、スポーツ、文化活動、ボランティア、インターン、そしてエッセイと、生徒の人間としての包括的なポートフォリオをよく見せる必要があります。日本のような一部の人間の能力(偏差値?)の客観的試験ではない分、不安だらけです。

人間の総合力を示す必要があります。そのため、家族によっては、小学生の時から、年に何十万円程度で「受験コンサルタント」を雇って、アイビーリーグに入るためのフォートフォリオ作りにいそしむ人もいます。

というのも、最近は、親が卒業生だからといって、「レガシー枠」で子供が簡単に親の大学に入れない傾向が出ているからです。複数のイェール大学卒の私の親友のお子さんは子供はイェール大学に入れませんでした。1人の親友はイェール大学にこれまでに億近い献金をしているにもかかわらずです。

余談になりますが、アメリカ人として学部生としてアイビーリーグに入ることは、本当に大変なことなんです。学校の成績(GPA)は高校4年間すべての教科で満点、SATも満点で初めて競争のスタートラインに立てるのが、ハーバードやイェール、そしてスタンフォードなんです。もちろんスポーツ枠は別ですが。

外国人としては外国人枠がありますので、日本人であれば、ある程度優秀で英語が相当できれば、アメリカの優秀な大学であっても合格の可能性はより高くなります。というのは、日本人で高校卒業後にアメリカの大学に入学を希望する方は中国人やインド人とく比べて極めて少ないからです。アメリカの大学は、多様性を極めて重視しており、「外国人学生」の「国籍の多様性」は「売り」なんです。したがって、もしアメリカ国籍を持たない日本人のお子さんが英語が相当できて、日本やアメリカの高校の成績やSATの成績がよければ、そのお子さんの受験者としての希少価値は相当高く、アイビーリーグでも合格する確率が高くなります。また、外国人受験者は、米国連邦政府の奨学金を得ることはできず、年800万円から900万円の授業料+寮費を全額払うため、大学からすると経営的にはお得意様というわけです。

長女はアメリカ国籍を持っているため、制度上、「日本人」として「外国人枠」でアメリカの大学に入ることはできません。親が生粋の日本人であっても長女は「アジア系米国人」として受験することになります。これは長女にとり不利なんです。なぜなら、全米にアジア系アメリカ人で優秀な学生はごまんといるからです。長女が「日本人」であることや「日系米国人」であることは全く考慮されません。一律「アジア系米国人」として見られるため、GPAやACTは満点でない長女は、どうしても「満点のアジア系米国人群(中国系やインド系に多い)」の次のレベルで争うことになります。

大学は、高校の成績やACTの成績以外に課外活動やボランティ活動などを考慮しますが、長女は、スポーツは女子バレーボール、文化系活動はステージ・クルーであり、ある意味一般的な活動です。長女の課外活動の「売り」は、女子では珍しいトロンボーンを中学生の時から吹いていることくらいです。

話は戻ります。長女は、他の子と同様、20校弱の大学を受験します。大学受験といっても、日本のように大学にいって試験を受けるわけではなく、行きたい大学に共通のアプリケーションをオンラインで送付するだけです。送付料は1校大体75ドルから80ドルとばかになりません。共通のアプリケーションではエッセイは1つだけ書くのですが、大学によっては1つから4つ程度の追加エッセイが求められます。


これまで長女がアプリケーションを提出した大学4校は追加エッセイが必要な大学で、11つのエッセイを書いています。5校は追加エッセイが不要な大学でした。計9校にアプリケーションを送付したということです。

今後アプリケーションを提出することを考えている大学はあと10校あります。追加エッセイは少なくとも1つから4つ必要となりますので、高校の成績を保ちながら今後10から40ものエッセイを書くことは、長女としては相当負担になっているようです。長女は本当に大変そうで親としても心苦しいですが、心を鬼にして、エッセイを書き続けるよう、毎日叱咤激励しています。

Saturday, November 23, 2019

24-7-365

アメリカに16年間住んでいると、その時々に流行り言葉があります。

気のせいでしょうか、最近ラジオで、「24-7-365」というフレーズを本当によく聞きます。

24-7-365は、「twenty four seven, three sixty five」と発音しますが、「24 hours a day, seven days a week and 365 days」という意味で、1日24時間、1週間毎日、年間無休でいつでもお店は開いている、という時に使います。英語の表現では、「at anytime, all year round」と言う意味です。

24-7-365という言葉は、結構新しい表現だと思います。
労働者の勤務時間は昔から9時から5時までの8時間が一般的で、昼食を入れるので8時から5時までとなることが多いようです。ジェーン・フォンダ主演の「9時から5時まで(9 to 5)」という映画(1980年制作)もありました。また、アメリカはキリスト教の信者で建国されましたから、日曜日は働きませんでした。今でもブルーカラー及びホワイトカラー労働者は、基本的に土日はお休みです。

アメリカで「7-Eleven」のお店が登場したのは1946年です。朝7時から11時までのお店で、当時としては前例のない営業時間のため
衝撃的であったようです。その後「7-Eleven」ではすぐさま24時間営業の店が登場しました。

話は24-7-365に戻りますが、テレビやラジオの広告で、「twenty four seven」又は「twenty four seven, three sixty five」というフレーズをよく聞きくようになったのは、キリスト教が衰退しているからだと言う人もいます。

1980年6月にテッド・ターナーにより設立された世界初の24時間放送するニュース専門チャンネルが登場した時は、度肝を抜かれたことをよく覚えています。

日本人は残業も厭わず勤勉だと言われていますが、効率性が低いと批判されています。アメリカ人は、欧州諸国の人と比べて、本当によく働くと感じるのは私だけでしょうか。

Saturday, November 16, 2019

次女、ボーディングスクールを受験

アメリカの高校の最終年であるシニア(G12)の長女がアメリカの大学を受験するこの時期に、3学年下、つまり高校の初年度となるフレッシュマン(G9)の次女が、ボーディング・スクールを受験しました。

ボーディング・スクールは、所謂寄宿学校。次女は既にライ高校のG9ですから、合格すると来年9月からG10としてボーディングスクールに行くことになります。ということは、来年9月から、長女も次女も家を出ることになります。

その寂しさよりもきついのは、2人の授業料と寮費。大学は寮費も入れて年間7万ドルから8万ドル。年間900万円です。次女のボーディングスクールは年5万ドルから7万ドル。年間600万円から800万円です。

次女はボーディング・スクールを4校受験しました。受験といっても、共通のアプリケーションを送付し、面接を受けるだけです。アプリケーションにはエッセイもあります。また、これまでの中・高の成績や学校の先生の推薦状も必要です。SSATという共通試験の結果も送付します。大学受験のプロセスとそっくりです。

次女が受験したボーディング・スクールは、全米で10(ten)スクールというトップ10の寄宿制高校のうち4校です。アプリケーションを含む必要な書類を提出後、ある週末に1校、次の週末の3連休を利用して3校を訪問し面接を受けに行きました。

巷にボーディング・スクールにおける受験者の面接と親の面接の質問の例がごまんと出回っています。次女はしっかり準備して面接に臨みました。1校はサマースクールに通った学校で、面接官がたまたまその時の数学の先生でしたので、面接時間は所要15分程度で終わりました。

親だけの面接もありましたが、4校とも予想に反し、「あなたの子供がこの学校に通う事で、何を得ることを期待するのか。」等の質問は全くなく、すべて「何か質問はあるか。」というものでした。

各学校を訪問して驚愕したことは、キャンパスの大きさと充実した施設です。巨大な図書館、アイスホッケーリンク、水球専用やダイビング専用プール、アメフト専用スタジアム、野球専用、フィールドホッケー専用フィールド等、まさに大学並みです。

18世紀後半に開校した学校が多く、歴史と威厳を感じました。
次女は合格しても、フィアナンシャル・エイドをもらわなければ通えないので、様々なスカラーシップやファイナンシャルエイドを得る手続きを進めています。

どうなることやら。

Sunday, October 27, 2019

アメリカの大学受験:アーリー・アクション・プログラムでアプリケーションを提出

アメリカの大学には、大学によっては、「アーリー・プログラム」、つまり、早期申し込みを受け付けるプログラムがあります。

普通の申込期限は高校シニア・イヤーの1月であることがほとんどです。アリー・プログラムの期限は11月1日であることが多いです。今日は10月27日ですので後5日しかありません。よく言われることは、期限2日前であっても大学のサーバーがダウンしたり、昨日、北カリフォルニア州の大火事で18万人に退避命令が出たようですが、何が起こるかわからないので、期限の2週間前には申し込みを済ませることが奨励されています。

とは言っても、現実はそんなに簡単ではありません。アプリケーションの申し込みはオンラインで行うのでそれ自体は最後はボタンをクリックすればよいのですが、前述したように、追加エッセイを求めている大学があると、生徒はそのエッセイ書きで苦労するからです。共通のアプリケーションではエッセイは1つだけですが、大学によっては追加エッセイが3つ、4つは当たり前。中には10つ以上のエッセイを求める大学もあります。

大学に合格するために最も重要な要素はなんといっても高校4年間の成績(GPA)と言われています。次にSATやACTという共通試験の成績。あとは、学生が総合的に如何に輝いているかを示すことが重要です。高校のスポーツ・チーム「及び」文化クラブに入って4年間活動、高校4年時にはキャプテンを務め、州の大会で上位に入賞したとか、老人ホームやホームレス支援団体でボランティアを4年間したとか、毎年夏にアフリカ支援のNPOでインターンをしたとか、地元選出の州議会議員が設立したヤング・リーダーズ・カウンシルで地域に根差したボランティア活動をしたとか。それから、高校のカウンセラーと先生からの推薦状も非常に重要です。

よい大学に入学するためには、以上の点が必須条件であり、その上で、追加アプリケーションが重要となります。

「アーリー・プログラム(Early Program)」には、「アーリー・ディシジョン(Early Decision)」と、「アーリー・アクション(Early Action)」の2種類あります。「アーリー・ディシジョン」は、受かったら必ず行かなければならず、1校しか申し込みができません。長女は既にアプリケーションを送付しています。

本日、長女は、合格しても必ずしも行かなくてもよいという「アーリー・アクション」のプログラムを使って2つの大学(University of VirginiaとUniversity of Michigan)にアプリケーションの送付を済ませました。追加エッセイは2校で計5つもあったため結構大変なようでした。結果通知は、「アーリー・ディシジョン」と同じ12月15日です。比較的レベルの高い大学ですので、12月15日にこれらの学校から合格通知を受けたら、その時点で、レギュラーとして来年1月にアプリケーションを送付する大学を再検討することになります。少なくとも「滑り止め」の大学にはアプリケーションを出す必要はなくなります。普通に考えれば、合格した大学よりもレベルの高い大学と、合格した大学と同じレベルでもより行きたい大学に絞ってアプリケーションを送付することになるでしょう。

「アーリー・ディシジョン」や「アーリー・アクション」の大学に受からなかった場合は大変です。1月1日が期限のレギュラーとしてのアプリケーションにかけるしかないからです。もしそうなると、合格可能な大学や滑り止めの大学にたくさんアプリケーションを送付することになります。

長女の高校は、比較的小規模のため、ほとんどのスポーツチームの(州内どころか)域内の成績は大したことはないのですが、なぜかボート部はなんと全米一位の成績をおさめています。

「スポーツ枠」で大学に進学する場合、「アプリケーション・プロセス」が全く異なり、通常のアドミション・オフィスによる入学審査プロセスを経ないため、高校のスポーツチームのコーチと大学のスポーツチームのコーチの人脈が非常に重要であると言われています。スポーツ枠の合格通知は「アーリー・ディシジョン」よりも早く届きます。今の時点でライ高校では、スポーツ枠でスタンフォード大学、ハーバード大学、イェール大学、コーネル大学、ブラウン大学に合格した生徒が判明しています。私の家のお隣さんの長女の同級生は、ボート部でハーバード大学他複数の大学から既に合格通知を受けましたが、お父さんと同じコーネル大学を選んだそうです。アメリカ人の知り合いの弁護士にそのことを話すと、「ハーバードよりコーネルを選ぶなんて信じられない!」と驚かれました。コーネル大は小規模で本人の環境にあっていると判断したようです。フィールドホッケーをしている別の同級生はブラウン大に合格しました。

このようにスポーツ枠での合格が聞こえ始めているので、多くの生徒はこの時期、相当疑心暗鬼になりながら、毎日を過ごしているようです。レギュラー・プロセスでのアプリケーションでは、高校4年時の第一セメスター、つまり今の時期の成績も大学入学審査の対象とされますので、学校の勉強もおろそかにできず、学校生活はかなりきついようです。長女は、バーシティの女子バレー部の活動が一昨日終わりましたので(4年間お疲れ様!)、遠征がなくなる分、少し余裕ができますが、ステージ・クルーの活動が始まるため、引き続き、忙しい学校生活を送りながら、学校の勉強と、大学の追加エッセイ書きに忙殺されるでしょう。

Saturday, October 26, 2019

ニューヨークのお金持ちの冬の過ごし方

ニューヨークのお金持ちは冬はフロリダの別荘で過ごすことは皆ご承知の通りです。

知り合いのライに住んでいる方は、9時から5時まで働くオフィス・ワーカーではなく、会社経営者なので、基本的に10月下旬のハロウィンの頃から3月末まで、フロリダの別荘を生活の拠点とし、必要な時にニューヨークに戻ってくる生活です。

11月第3木曜日の感謝祭はもちろんのこと、クリスマス等もフロリダで過ごしています。別荘はパームビーチにあり、トランプ大統領の別荘マーラ・ラーゴの近くにあります。別荘にいる間、週に3回、トランプ・インターナショナル・ゴルフ・クラブでプレーしています。
更に面白いことに、ニューヨークで使用している車2台は、10月上旬には業者に頼んでトレーラーでパームビーチの別荘に運びます。

それを聞いた後の今月上旬、週日の夜にハリソン駅近くで巨大なトレーラーが駐車されているのを発見。作業員が何台もの高級車をトレーラーに積む作業をしていました。作業員に事情を聞いたら、ライやハリソンの金持ちの車だそうで、彼らは秋になるとまず自分の車をフロリダの別荘に運ぶそうです。

ライの金持ちは、ウォール街に通勤している人もいますが、もっとお金持ちは自宅で仕事をしています。自分のヘッジファンドを設立してお金持ち相手の仕事をしている人たちなどそうです。更なる大金持ちは、プライベート・エクイティ・ファンドの経営者です。彼らは、複数の機関投資家や個人投資家から集めた資金を基に事業会社や金融機関の未公開株を取得し、同時にその企業の経営に深く関与して「企業価値を高めた後に売却」する方々です。知り合いの1人は、総資産数千億円。自宅を聞いても、「どこの家のことか?」と言われます。30代になってからは民間機に乗ったことがない、つまり常にプライベート・ジェットやヘリで移動するとうレベルです。


では彼らは夏はどうしているかというと、基本的にメイン州やマサチューセッツ州の別荘に移住します。ほどほどの大金持ちは、ライ市内にある会員制クラブで過ごします。Shenorock Shore Club, American Yacht Club, Coveleigh Clubなどが有名で、多くのメンバーは代々からのメンバーなので、絆は非常に強く、それが中学生や高校生になると如実に現れます。まあ、彼らは、小さい頃から、夏は毎日、プールや目の前にあるビーチ、そしてヨットで一緒に戯れきているので当然でしょう。

ライ・ハイに通う娘2人も、たまに友人の誕生会に誘われ、それらの会員制クラブに行くことがあります。超高級車が並ぶ駐車場に日本製バンを停め、メンバーの招待客の送迎者たる親は例外的に出入りを認められる会員制バーで、トマトジュースを飲みながらテレビでスポーツ観戦をしたり、クラブ内を散策をしながら、誕生会が終わって出てくる娘を待つのも、たまにはよい経験です。

Thursday, October 24, 2019

アメリカの大学受験: アーリー・ディシジョン・プログラムでアプリケーションを送付!


長女は、本日、Early Decision(ED)プログラムを利用して、ある大学に、ようやくアプリケーションを送付できました。送付料は75ドルでした。

追加エッセイは4つもあるため、推敲に推敲を重ねて、高校のカウンセラーにも何度も確認してもらい、本人はやっと納得したようです。

結果通知は12月中旬に来るそうです。合格していればこの大学に入学する義務があります。そのため、EDは、合格しても後悔しないよう、自分の実力よりも高めの大学にすることが常です。Dream Schoolと言って、まさに夢の大学の場合もあるでしょうし、Reach校と言って、もしかしたら手に届くかもしれない大学とする場合もあります。まちがってもSafetyの大学、つまり滑り止めの大学をEDとしてアプリケーションは出しません。

Early Action(EA)の大学のアプリケーション送付期限もEDと同様11月1日です。長女はEAの大学は2校です。この2校が求める追加エッセイは3つと2つ、計5つです。長女は既に完成していますが、最後の推敲を重ねているようです。



Monday, October 21, 2019

長女、大学に初めてアプリケーション提出

長女は、9月から高校4年間の最終学年であるG12が始まりました。

ほとんどの高校生は、合格すると入学しなければならないという拘束力のあるEarly Decision (ED) という制度を使って大学1校にアプリケーションを送付します。そのアプリケーション提出期限は11月1日です。長女は当然EDの大学を既に決めており、今日にでもアプリケーションを提出する予定でしたが、慎重には慎重を期したいということで、明日、学校のカウンセラーに数点確認した後に提出することにしました。

大学入学のアプリケーションには、特定の「共通のアプリケーション」というものがあり、多くの大学はこのアプリケーションを認めています。このアプリケーションではエッセイ1つ(内容は自由)を添付する必要があります。ほとんどの大学の入学審査のベースとなる重要なエッセイですので、長女は今年の夏から推敲を重ねて、本日完成させました。

各大学は、「共通のアプリケーション」のエッセイに加えて、個別のエッセイを求めることがほとんどです。その数は大学によって異なります。長女のEDの大学は4つのエッセイを求めています。10以上のエッセイを求める大学もあります。

なかには、追加的なエッセイを求めない大学もあります。NYであれば、例えば、SUNY(NY州立大学)やFordham University(フォーダム大学)は求めていません。マサチューセッツ州のNortheastern University(ノースイースタン大学)も追加エッセイはありません。

本日、長女は、共通のアプリケーション(エッセイを含む)が完成したので、追加的エッセイを求めない大学で関心のある大学4校にアプリケーションを送付しました。この4校は、長女が最も行きたい大学ではありませんが、その大学に合格できる保証はありませんので、一部は合格したら行ってもよい大学、一部は滑り止めの大学です。米国で初めての大学入学手続きでしたので、親子で感慨深いものがありました。(最後は、オンライン上で送信ボタンを押すだけでしたので、呆気なかったでしたが。)

長女がアプリケーションを提出した追加エッセイがない大学は次の通りです。
Colby College(メイン州)
・Northeastern University(マサチューセッツ州)
・Fordham University(ニューヨーク州)
・SUNY- Binghamton(ニューヨーク州)

なお、アプリケーション送付は、基本的に有料です。今日提出した5校のうち、1校のみ無料。残りの4校は、2校が50ドル、1校が70ドル、1校が75ドルでした。

長女は、来週にはEDの大学やEA (Early Action:大学が早くアプケーションを受け付ける分、早く合否を出す制度。但し、EDのように合格しても入学する義務はない。)の大学にアプリケーションを送付します。

それが終われば、レギュラーと呼ばれる一般の大学の入学手続きに入ります。アプリケーション提出期限は来年の1月1日です。長女は、それが終わるまで、何十ものエッセイを書き続ける必要があります。大変な作業です。



Friday, August 30, 2019

長女(16歳) 運転免許証を取得!

長女は,今年の6月にG11(日本の高校2年)が終わり,一昨日,運転免許証を取得しました。まだ16歳ですよ!

この国はすべてはカネ次第,ということのようなので,長女にプライベートのドライビング・レッスンを数ヶ月にわたり受けさせました。教官が家の前まで来てくれるので,これほど楽なレッスンはありません。

ロード・テストも同じ車を運転し,同じ教官が採点します。減点30点以上で失格だそうですが,長女は無事合格。

合格はうれしいことですが,親としては懐が苦しくなる問題があります。長女を自動車保険に加入させる必要があるからです。今入っている保険は,夫婦2台運転が前提となっており,保険料は年間1800ドル弱しか払っていません。まあ、かれこれ計13年間米国に住んでおり、無事故できているので安いのでしょう。しかし、十代の長女が追加されると,年間4000ドルの支払いとなります。運転免許証を取得しても自動車保険に入らなければ運転できないので,泣く泣く残り2200ドルを払いました。

今年の夏に家族でカリフォルニアを大学訪問も兼ねて旅行した際,フルカバレッッジのレンタカー用自動車保険が非常に役に立った経験をしたので,自動車保険の重要性は身に染みて分かっています。

そして、今日、長女は、高校のバーシティのバレーボール部の練習に自家用車を運転して行きました。16歳で記念すべき初ライド! その車には、ジュニア・バーシティのバレーボール部にトライアウトを経て入部した来月から高校一年生になる次女もいやいや乗って行きました。運転席の超うれしそうな長女の顔と、後部座席に座った不安そうな次女の顔の対比が忘れられません。

親としては、嬉しい気持ちと寂しい気持ちが入り混じった感じです。

Sunday, August 25, 2019

あっという間の一年その2(長女G11・次女G8)

2018年9月から始まった一年も昨年同様、あっという間に終わってしまいました。
長女はG11ということで、日本でいう高校2年生。この1年間はアメリカの大学入学に向けた準備で大変でした。

大学は、なんといっても学校の成績。そしてSAT/ACTの成績。
スポーツや文化面での活動、ボランティア、インターンの活動も同様に重要です。

勉強面では、学校の勉強をがんばりながら、2018年年末から、ACT対策として、近所のグループで行なっている家庭教師について猛勉強。親のお金は飛びました。
APのテスト対策でも家庭教師をつけました。APは4以上を取らないと、大学でのクレジットとして認めてくれない大学が多いとのこと。

課外活動は、学校のバーシティのバレーボール・チームで活躍。G12からリベロからセッターに変更し、チーム・キャプテンになりました。
演劇クラブではG9から音響を担当。
貧困地域の公立図書館で小学生に家庭教師を行い、ホームレスの方への食料支援プログラムで食料の袋詰めを行いました。

2019年夏にはアジア・ソサエティでインターン。有名な賞のプレゼンターの情報収集をして資料をまとめました。

現在2019年8月下旬ですが、いよいよ大学への申し込み準備が佳境となります。
EDは11月1日が締め切りの大学が多いです。
アプリケーションも個別のアプリケーションからコモン・アプリケーションなど数多くあります。

また、奨学金の申請、米国籍の長女や次女にはFAFSAやCSSなどがあり、かなり細かいので大変です。

このように大学入学までのプロセスは、親もどっぷり関わっていくので、心して支援しようと思います。





Monday, September 3, 2018

あっという間の一年(長女G10、次女G7終了)

2017年9月から2018年10月まで、長女は地元のハイスクール10年生、次女は地元のミドルスクール7年生でしたが、あっという間に終わりました。

長女は、クラブチームCP-ACのバレーボールチームで、2018年1月から3月までコネチカット州ハートフォード、ワシントンDC、マサチューセッツ州ボストン、インディアナ州インディアナポリスなどを訪問。

それぞれの大会では、各都市の巨大なコンベンションセンターの会場を貸し切って試合を行います。大きなスペースに100コートあり、200チームが同時に試合を行なっている光景はど肝を抜かれました。1日に3、4試合あり、選手たちは夜はヘトヘトになっていました。

金曜から試合がある場合が多いのですが、大学のスカウトらが来ているため、長女の高校は公欠扱いになりました。学校のクラブ活動ではないのに公欠になることに驚きました。

初日の夜や二日目の夜に親同士でよく「反省会」を開催しました。午前中に試合がない場合は、チームと親全員で地元のレストランで一緒にブランチを食べました。


次女は、中学校の陸上部に入って楽しみました。来年は長女の影響でどうやらバレーボール部に入りたいようです。まだミドルスクーラーですのでトライアウトはないようで必ず部活ができるので安心です。また、一時期ペラムのアートクラスに通っていたので、また通いたいそうです。

勉強の方は、長女も次女も学校の成績はお陰様でよかったので安心でしたが、長女の方は、4学年あるハイスクールの2年生でしたので、大学入学に向けた準備を始める時期でした。米国では学校の成績だけでは全く十分でなく、かといって、共通の試験であるSATやACTのスコアだけも十分ではありません。一流大学でもSATやACTのスコアの提出を求めない大学もあります。最も重要なのは学校の成績であることには変わりはないのですが、右に加え、課外活動としての学校のスポーツ・チームでの活動や文化活動、ボランティア、インターンシップなど、将来の大学の専攻につながる活動をすることが必要となります。人間のトータルバランスが求められるわけで、米国も一流の大学に入るためには、日本とは違った意味で大変だということです。大学入学準備に向けての詳細はまた後日お話しします。

Friday, November 24, 2017

長女、クラブチーム(バレーボール)のメンバーに!

長女は20029月生まれで、本年(2017年)9月から10年生になりました。4年あるハイスクールの2年目の始まりです。日本でいえば高校一年生ですが、9月初旬の時点ではまだ14歳でした。肉体的にも精神的にも若いので大丈夫かなと思う時がありますが、なんとかやっているようです。

10年生も第1セメスターが無事終わりました。長女が履修している科目は、Chemistry R, PE(体育)Spanish, English H, Health, Band, Algebra 2/Trig, AP World History, Writing Distinctionです。第1セメスターでは、AP World Historyの評価がいまいちでした。APですから大学レベルなので難しいこともありますが、先生との相性がよくなかったのかもしれません。長女は、学校のカウンセラーと先生に今後の対応を相談したようです。幸いSpanishHealthは満点、Algebra 2/Trig, Band, PE, Chemistryもかなり高得点だったので、GPAの平均はなんとか親が期待しているレベルを保てました。勉強については、子供にプレッシャーを与えないよう、ネガティブなことは何もいわないようにしています。

高校の体育会系のスポーツは、昨年に続き、ジュニア・バーシティのバレーボール部に入れ、シーズンは約2か月しかありませんが、がんばっていたようです。長女のポジションは「リベロ」です。所謂守備の要で、同じチームでも他の選手と異なる色のユニフォームを着ます。後衛の選手と何度でも交代することができ、審判の許可を受けることなくサーブ前に何度も交代ができるそうです。必要があればコートを出て必要があれば交代してコートに入れることから、監督の指示をコート外からコート内へ伝える役目もします。まわりの選手と比べ、身長が低い(157cm)長女は、このリベロの立場を十分に理解し、楽しんでいるようです。

高校のバレーボールのシーズンも終わり、次は他のスポーツをやっても良かったのですが、長女はバレーボールをもっとやりたいという希望があったため、コネチカットにあるチェルシー・ピアのクラブチームに入ることに挑戦しました。1120日・21日にトライアウトがありました。このクラブチームには、CP-AC (the Chelsea Piers Athletic Club)と呼ばれ、レベルの高い順に「National Team」、「Select Team」、「Regional Team」、「State Team」があります。「National Team」は全米の最も高いレベルの大会に出場するチームです。「Select Team」は、全米と地方のトーナメントに出場可能です。「Regional Team」は、アメリカ北東部・ニューイングランド地方やNY州・NJ州・コネチカット州3州で競うトーナメントに出場します。

1121日に私は娘のトライアウトの様子を見に行きました。申込みの時点の振り分けで「National Team」候補者はグレーのTシャツ(20名程度)、「Select Team」候補者は白のTシャツ(70名程度)、「Regional Team」候補者は紺のTシャツ(15名程度)でトライアウトをしていました。

3つのコートに分かれて、右端のコートでは「National Team」候補者がトライアウトをしており、真ん中と左端のコートでは、白Tシャツと紺Tシャツの選手が入り乱れていました。

コーチが台の上からボール打って、レシーブ、トス、アタックの能力を見たり、実際に試合をさせてサーブも含めた能力を見極めていました。
見に来ていた一人の母親と話をしましたが、彼女の娘は小さい時からバレーボールをやっていたので9年生であるが「National Team」候補であると。その子を見ると身長は180cmは超えています。
その後、全体をよく見渡すと、約100名ちょっとで長女を含む2名のアジア人を除いて全員が白人、アフリカ系やヒスパニック系も一人もいませんでした。アメリカのクラブチームの女子バレーボールは、このような世界なのかと驚愕しました。
身長もほとんどが175cm以上、中には190cmを超える女子選手もいました。
その中で長女は157cm。でもリベロなので必死にレシーブを中心にトライアウトに挑戦していました。

2時間のトライアウトの最後に20分くらいで、一人のコーチに長女は呼ばれ、何やら話していました。どうやら、白Tシャツの長女に「National Team」でやることに興味がないかと聞いていたようです。長女は賢いので、feeを聞いて(12月~5月までで3950ドル。遠征費は個人負担)、「自分や挑戦したいが、親と相談する」と回答したとのこと。その後、右端の「National Team」候補コートに移されて、試合形式でトライアウトに挑戦していました。グレーTシャツの中で白Tシャツは3名のみ。あとで長女に聞くと、白Tシャツ3名はたまたまライ高校の同級生たちだったそうです。

トライアウトも終わり、長女も家族もどのチームに配属されるかわくわくしていました。というのも、もともと「Select Team」で十分と思っていたからです。
1122日夕方に妻の携帯の留守番電話にメッセージが入っており、長女は「National Team」でプレイすることに興味はないかと。1123日のサンクスギビングデーに電話を返し、もちろん留守番電話でしたが、長女は「National Team」でプレイしたいというメッセージを残しておきました。1124日午前、念のためメールでもその意向を伝えておきました。

1124日午後、正式にチームが発表され、長女は「National Team」の「U16 National16歳以下のNational Team」のメンバーに入れました。U16 National 9名、U17U189名ずついます。最高レベルのチームに入れたし、ライ高校で仲の良いチームメイトも入れたので長女は大喜び。

ちなみに「Select Team」はU179名、U168名、U1510名、U1411名おり、「Regional Team」はU18U17U16がそれぞれ9名ずつ、U15及びU1210名ずついます。

ということで「National Team」に入れた長女ですが、これからが大変です。12月から5月まで、コネチカット州のチェルシー・ピアで週3回、夜に練習があります。親はまずはその送迎が大変です。

更に大変なことは、全米でトーナメントがあるのですが、その遠征費(移動費・宿泊費)は個人負担です。スケジュールは次の通りです。
1月:コネチカット州ハートフォード(New England Winter Fest 2
2月:ワシントンDCMizuno Capitol Hill Classic
3月:マサチューセッツ州ボストン(Mizuno Boston Volleyball Festival
3月:インディアナ州インディアナポリス(Nike Mid-East Qualifier
3月:ペンシルベニア州フィラデルフィア(Northeast Volleyball Qualifier

親が遠征に長女を連れて行かなければなりません。インディアナポリスは飛行機の移動でしょうし、その他は車や電車での移動で、ホテルに宿泊することになります。親のフル・サポートがない限りちょっと厳しいと思います。親としてはがんばるつもりですが、どうなることやら。。。

Sunday, November 19, 2017

最初で最後? 家族でグランド・サークルをキャンピングカーで回る

2017年の夏休みは、長女がサマースクールに通い、次女が乗馬キャンプに通いましたが、やはり家族旅行もしたいなと思っていました。
14歳の長女は、年がら、家族と一緒に時間を過ごす時間が少なってきています。次女はまだ12歳ですが長女の影響を受けて、これまた然り。

そのような中での家族旅行の実現は大変なことです。
2月に入り、アメリカ人でも人生で一度は体験したいと夢見る、「グランド・サークルをRV (Recreational Vehicle:いわゆるキャンピングカー)での旅行」をなんとか実現すべく、密かにRVとRVキャンプ場を予約。
その後、家族からは若干の抵抗にあいましたが、近い将来日本を訪問することを条件に今回の家族旅行が実現することに。

旅行日程は、8月中旬、JFK→ラスベガス(ここでRVをレンタル)→ブライス・キャニオン→アーチズ国立公園→モニュメント・バレー→アンテロープ・キャニオン→グランド・キャニオン→ラスベガス(RVを返却)→JFKという日程でした。
RVで移動中は全てRVパーク内に駐車してRV内で宿泊。RVには、巨大な冷蔵庫、オーブン、電子レンジ、ガスコンロ、トイレ、シャワー、ベッドがついており、ちょっとしたアパートの感覚です。洗濯はRVパーク内のコインランドリーで。
運転は、巨大なRVだったこともあり、全行程私が運転。
RVパークでは、電源確保、生活用水注入、汚水処理という作業があり、最初は汚水処理のホースを扱うことすら気持ち悪かったのですが、それもだんだん慣れてきて、最後はいっちょまえのキャンパーのような気分になっていました。12日間の強行日程でしたが、家族で大きな思い出が作れたと思っています。娘たちの年齢ならこの旅行のことは忘れないと願っています。

ラスベガス
 






ブライス・キャニオン

       






  





アーチズ国立公園
 















モニュメント・バレー













アンテロープ・キャニオン
(一番美しい場所と感じました)





 



 



 






グランド・キャニオン


















ルート66












RVを返却しまたラスベガスへ