一昨日は、感謝祭。うちは七面鳥は大きくて料理するのに時間がかかるし、家族4人でも木曜から日曜まで毎日食べことになり飽きてしまうので、代わりにチキンを食べています。
過去には37年来の付き合いのカリフォルニア州フレズノ在住の元ホストファミリーの家でゆっくりしたことは何度もありました。典型的なオールアメリカンの御家庭で、孫を含む家族全員青目で、お米を食べたことがありません。木曜から日曜までフットボールを見たり映画を見たりしながら毎日七面鳥を食べるのは流石に飽きます。
オーブンを使ったチキンの丸焼きは結構簡単です。まずはチキンを水洗いしないこと。オーブン用のトレイにアルミホイルフォイルを貼って、ペーパータオルで拭いたチキンを置き、定番の塩胡椒をふりかけます。
次にレモンの皮、ガーリック、ローズマリーを細かく砕き溶かしたバターに混ぜます。オリーブオイルもタップリと。それらをブラシでチキン全体に塗ります。
チキンの中には半分に切ったレモンと玉ねぎを2個ずつ、ガーリックも。
チキンの周りには大きめに切った玉ねぎ、人参、ジャガイモなど。
あとはオーブンで華氏425度で45分間焼きます。
一旦取り出して、トレイにたまっただし汁をチキン全体にスプーンでかけます。
そしてもう一度オーブンに戻し20分少々焼きます。これで完了です。
そしてトウモロコシ、カボチャ、スクワッシュ、ナッツ、そしてクランベリー・ソースはマストです。
オーブンでチキンを焼いている間、メイシーズ感謝祭パレードをテレビで観ます。今年で93回目となるパレードは、全米で最も有名な感謝祭パレードで、観衆は350万人、テレビ視聴者数はなんと5000万人だそうです。パレード参加者は8000人。フロートは約30台。マーチングバンドは11隊。そしてパレードの目玉は巨大パルーン、特にキャラクターバルーンです。今年はスヌーピーが復活することが話題になっていました。
さて、米国の感謝祭ですが、11月の第4木曜日と決まっています。日本の盆と正月が合わさったようなもので、遠く離れて暮らしている家族も、感謝祭の日には家族と共に過ごすために家に帰ろうと努めるようです。
米国では、感謝祭の祝日は、今からおよそ400年前、米国のイギリス植民地時代の初期に、感謝の祝宴として始まりました。1620年、「メイフラワー号」と呼ばれる船が100人を超える人々を乗せてイギリスを出発し、大西洋を越えて新天地アメリカに向かいました。乗船者の大半は、「分離派」と呼ばれるキリスト教の一派に属する人々で、英国国教会の信条を受け入れることができずにそこから分離したグループでした。分離派はイギリス国内で迫害を受け、信仰の自由が与えられていたオランダに移り住んでいましたが、その後、彼らはアメリカ大陸に新しい植民地を築くことをイギリスから許されるとともに、経済的な援助も受けました。
当初、彼らはアメリカ大陸の南岸に沿った地域で、他の入植者の近くに定住するつもりでしたが、途中航路がそれたために、予定よりもはるか北に位置する、現在のマサチューセッツ州ケープコッド湾に上陸しました。
1620年12月21日、彼らは到着した湾岸で、無人となったアメリカ先住民の村を見つけ、そこに居住し、自分たちのこの新しい土地をプリマスと名付けました。新しい入植地での1年目は大変厳しいものでした。彼らは自らをピルグリム(北アメリカに移住し植民地を築いた清教徒の一団)と呼んでいましたが、その大半がイギリスの都会の出身であり、荒野で暮らす術を知りませんでした。彼らの多くは森を恐れ、狩猟の腕もありませんでした。イギリスでは狩猟は貴族だけのものであり、一般の人々にとっては、獲物を銃で撃つことは罰金や処罰の対象でした。また、彼らがこの地に到着した季節は多くの農作物を育てるには遅すぎた上に、彼らが持ち込んだ植物は新天地の気候に合いませんでした。イギリス産の小麦の種は、植民地の土壌では発芽しませんでした。最初の1年で植民地の住民の半数が病死し、もし先住民のワンパノアグ族の助けや指導を受けることがなければ、全滅していたと言われています。
1621年3月、ワンパノアグ族首長に率いられた一団がピルグリムの入植地を訪れました。彼らの目的は、入植者との協定を結ぶ相談をすることでした。入植者は、ワンパノアグ族を敵対する部族から守ることと引き換えに、ワンパノアグ族の土地にとどまることを許されることになりました。ワンパノアグ族たちは入植者に、彼らがそれまで知らなかったトウモロコシという食物の育て方を教え、新しい土壌でよく育つ農作物を教えました。また、魚の釣り方、貝の採り方、森の中を音を立てずに移動して獲物を狩る方法なども教えました。
ワンパノアグ族は1年を通じて、土地がもたらす多くの恵みに対する感謝の祭事を行っていました。そしてピルグリムもまた英国で、収穫のときに感謝祭を行っていました。1621年の秋までには、入植者たちは新しい土地で暮らしていくことを学び、トウモロコシ、大麦、豆類、そしてカボチャなどの豊かな収穫を得ました。
多くの恵みへの感謝のために、彼らは感謝の祝宴と祈りのための特別な日を計画しました。彼らはワンパノアグ族を招待し、90人のワンパノアグ族は、入植者の収穫物と一緒にあぶり焼きにするために七面鳥と鹿肉を持って宴に参加しました。それ以外にも、貝や魚、うなぎ、コーンブレッド、スクワッシュ、ナッツ、クランベリーなどさまざまな食物が祝宴を飾りました。入植者たちはワンパノアグ族から、クランベリーやいろいろな種類のトウモロコシやスクワッシュの料理法を学んでいました。この最初の感謝祭には、ワンパノアグ族がポップコーンを持ってきたとも言われています。
その後も入植者は、秋の収穫を感謝の祝宴によって祝いました。1776年に米国が独立を宣言した後、議会は国全体が祝う感謝の日を設けることを提言しました。そしてジョージ・ワシントンはそれを11月26日とすることを提案しました。感謝祭が法定休日になったのはそのはるか後のことです。これは、1800年代半ばに活躍した著名な編集者サラ・ジョセファ・ヘイルの努力によるところが大きいと言われています。彼女は長年にわたり、感謝祭を国の祝日にする運動をしていました。南北戦争の終盤の1864年になって、彼女はリンカーン大統領を説得し、大統領は11月の最終木曜日を公式に感謝祭として定めることを宣言しました。。1941年には、11月の第4木曜日が連邦法定休日として宣言され、ほとんどの職場や学校は4連休となりました。
感謝祭の日付は年によって異なります。そのため大統領は毎年、その年の日付を法定休日として宣言する必要があるがあります。宣言の中で大統領は、1621年にプリマスで行われた最初の感謝祭の歴史的な行事とその意義に触れ、それを称えています。
感謝祭の分かち合いの精神を受け、今日では市民グループや慈善団体が、恵まれない人々、特にホームレスの人々に伝統的な感謝祭の食事を提供することが慣習となっています。各地域では、休日の期間中、恵まれない家庭のために、フード・ドライブを行って食糧を集めています。
七面鳥、トウモロコシ、カボチャ、スクワッシュ、ナッツ、そしてクランベリー・ソースは、最初の感謝祭を表すシンボルとなっています。これらのシンボルは、ピルグリムとメイフラワー号の絵と同様に、感謝祭の休日の飾りやカードに描かれています。また、ドライフラワーや色とりどりのひょうたんや「インディアン・コーン」と共に、オレンジや赤、茶色や黄色といった秋の色も、テーブルやドアの飾りによく使われている。これらはすべて、収穫と秋の季節を表すものです。
我が家は、七面鳥以外は定番の感謝祭料理です。毎年、ピルグリムとアメリカ先住民の心温まる協力に思いを馳せながら、秋の収穫に感謝しつつ感謝祭ウィークを過ごしています。
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