Monday, September 27, 2021

次女、ボーディングスクールから帰宅

次女は、ボーディングスクールのG10(日本でいう高校1年)を終え、その後、ボーディングスクールのサマースクールも通い、7月下旬にメリーランド州の自宅に帰ってきました。

サマースクールの期間は、友達の親が持っているアパートに友達と一緒に住んでいたようで、久しぶりのキャンパス外の生活は、楽しかったようです。友達のお母様が毎日車で送り迎えをしてくれたので、本当にありがたかったです。

次女は自宅に帰ってきても、オンラインの別のサマースクールの授業を受けていました。アメリカの大学の受験があるので、そのための準備です。

G9までは4年間ニューヨーク州ウェストチェスター郡に住んでいたので、次女はメリーランド州の自宅には友達はいません。しかし、毎日ジョギングをしたりしてそれなりに自分の時間を楽しんでいるようでした。家が広く、十分な空間があることは、成長期の子供達にとり、精神的にゆとりを持てるので、そのような家に住めてよかったなと思っています。

長女と次女が家にいると、食事が大変です。自分1人で住んでいた時は、鍋でスープなどを作っても、仕事上の会食が多いため、2週間くらい持ちますが、家の中に育ち盛りの10代の娘2人がいると、3日で鍋の中身は無くなります。長女はペスカタリアン、次女はベジタリアンなので、食事もよく考えて作る必要があります。

私はお米やパンなどは食べませんが、娘2人はお米が大好きです。炭水化物の取り過ぎは体によくないのですが、私が10代の頃を考えると、同じように白いご飯が大好物だったので、あまりうるさいことは言わないようにしています。

何度か家族3人で外食をしました。10代の娘2人が父親と外食してくれること自体、とてもありがたいことなので、彼女たちには本当に感謝しています。

長女、アメリカの大学1年終了直後の夏休み:インターン

長女は、大学1年目が終了し、ボストンから5月下旬にはメリーランド州の自宅に帰ってきました。1月以来の再会ですが、たくましくなったような気がします。

アメリカの大学生の夏休みは5月下旬から9月上旬まで3ヶ月ちょっとあり、とにかく長いです。この間に何をするかというと、いわゆる「インターンシップ」です。アメリカ人として生きていくために大学卒業後に就職するためには、夏休みに将来のキャリアに関連のある仕事に関連する企業などでインターンをして就業経験を積み、人脈を広げていくことが重要です。

長女は、6月中旬から9月上旬まで、ジョーンズ・ホプキンス大学のSAIS(高等国際問題研究大学院)にある、ライシャワー・センターでインターンとして働くことになりました。仕事の内容は、いわゆる「調査員/リサーチャー」です。例えば、今年3月に発生したスエズ運河座礁事故が世界のサプライチェーンに与える影響や、ロシアが進める北極圏開発に日本が参加する意義などについて、ライシャワー・センターが論文を発表するための調査を行い、毎週一回、会議で報告していたようです。

今回のインターンシップで、長女は国際関係についてさらに興味が深まったようで、よかったと思います。本人は、将来、国際関係に関する仕事につくか、アメリカの政治に関係する仕事、たとえば、連邦議員の下で働きたいようです。

インターンシップによりますが、長女はお給料をもらいました。毎週小切手が送付されたようで、想定外の額に長女は大喜び。自分が通っている大学の授業料が高いことを知っている長女は、お給料を大学の授業料に回す予定です。長女も立派になったな、と感心するとともに感謝しています。


Wednesday, July 14, 2021

次女のG10終了

自宅からかなり離れた州のボーディングスクールで頑張って生活している次女は、無事G10の学年が終わりました。次女は元々学校の勉強はよくできますが、生活の方も非常に規律正しいので、寮生活も苦労していないようです。同級生に勉強を教えてあげたりもしています。

小さい頃からやっていたアートも、いろんなコンテストに作品を出し、つい最近、州で優秀賞を獲得。州のある雑誌の表紙に次女の絵が使われることになりました。

最近は環境問題に関心があるようです。将来はそちらの方向に進むかもしれません。

ボーディングスクールもコロナ対策が万全であり、2020年の秋学期の途中から、完全in-person授業に移行しました。次女は16歳ですが、本年4月にはコロナワクチン(ファイザー)の2回の接種を終えました。課外活動はクロスカントリーをしています。

ボーディングスクールの良いところは、学生の自立心を育むことです。15歳から親から離れ、他の寮生と一緒に生活することを通じて、いろんなことを学ぶと思います。

最近少しだけ心配なことは、次女はベジタリアンになったことです。16歳なのでまだ早すぎると思うのですが、どうでしょうか。

2021年6月に無事G10が終了。今は、友達の親の知り合いのアパートを借りて、友達と一緒に住みながら、ボーディングスクールのサマースクールに通っています。キャンパスの外の生活は若干の自由があるのでエンジョイしているようです。7月上旬にサマースクールの前半が終了。あと数週間でワシントンDCの自宅に戻ってきます。

実は、昨年末から新年にかけて、長女と一緒に次女を尋ねに行きました。アパートを借りて、親子水入らずの冬休みを過ごしました。次女が自宅に戻ってきたら、久しぶりに小旅行に出かけたいと思います。


長女の大学1年終了

 Time flies.

最後にブログを書いてからはや10ヶ月。時が経つのは非常に早いです。昨年(2020年)7月にワシントンDCに引っ越してちょうど1年が経ちました。その間、いろんなことがありました。

長女は、米国の大学1年を無事終えました。コロナ禍ではありましたが、全学生数が5000人程度しかいないこともあり、そして、大学の資金が潤沢にあるため、コロナ感染症対策は万全で(全学生がコロナ検査を毎週週3、4回受けた)、当初は地域は反対しましたが、キャンパスを閉鎖することはありませんでした。ほとんどの学生は、寮や一軒家のシェアハウスに住みながら、2020年の秋学期は9割がバーチャル授業、1割がin-person授業、2021年の春学期は、7割がバーチャル授業、3割がin-person授業でした。長女にとっては、バーチャル授業がほとんどでしたが、寮生活を満喫し、同じフロアの女子たちと仲良くなり、キャンパス・ライフを大いにエンジョイしたようです。長女は、4月には2回のワクチン(フィアイザー)を接種(私より1ヶ月も先に接種)。

全米の多くの大学は、2020年9月から2021年5月までの1年間は、キャンパスも寮も完全に閉鎖されたようです。UCLAに通っている知り合いのお子さんは、寮を追い出されたため、帰国して日本からバーチャル授業を受けました。ジョージタウン大学に通っているお子さんは、キャンパスの近くにアパートを借りてバーチャル授業を受けた1年間だったようです。そのため、せっかく米国の優秀な大学に入ったのに、あまり友達も作れず、悶々とした一年を過ごした学生は多かったと聞きます。彼らに比べれば、長女は本当に恵まれていたと感謝しています。

長女は、大学内では、国際社会で女性の政治指導者を輩出することを目的としたクラブに入り、キャロライン・ケネディ元駐日米国大使に手紙を書いて、ゲストに呼ぶなど、活躍したようです。

子供が将来やりたいことは日々変化します。親の言うことなど聞かないのが子供です。長女は同じ寮生や新しくできた学友から刺激を受けているようで、今はアメリカの政治や国際政治に関心を持っています。大学の友達と一緒に、2020年11月の米連邦上院議会選挙において、メイン州の民主党候補の選挙対策本部に加わり、選挙運動を支援しました。応援した候補は、現職の議員に負けましたが、この経験は非常に貴重であったようです。将来、米国の政治の分野で働くかもしれません。

本年5月に大学一年を無事に終え、夏の期間、私と一緒に住んでいますが、ワシントンDCのある大学院で学長の下でインターンをしています。リサーチがメインですが、結構楽しんでいます。

大学2年生は、いよいよ全てin-person授業となり、本格的な大学生活を過ごすことになります。大学生活において、長女が学友や教授などから素晴らしい影響を受けることを親として念じて止みません。

Friday, September 25, 2020

次女のボーディング・スクール、いよいよ対面授業へ

 次女がボーディング・スクールに行ってはや1ヶ月。8月の下旬からG10としての新学期が始まりましたが、完全オンラインでの授業でした。でも広大なキャンパスは、通いの学生が入れないので、キャンパス内にある寮は完全隔離状態でとても安全です。この1ヶ月の間、50人くらいの寮生は仲良くなり、バーベキューや水泳、バレーボールなどをしていたそうです。

次女の学校は、ボーディングはありますが、実は、通いの学生の方が多い学校です。1950年代まで寮があったそうですが、それ以降廃止され、完全に通いの高校となっていました。ところが昨2019年から寮が復活しました。寮の建物は築2年ですから、とても綺麗で清潔です。コロナの影響により寮生も少なくなったので、ルームメートはおらず、部屋を広々と使っているようです。

学校がある都市の感染が拡大したため、対面授業は2度延期になりましたが、その後、感染が収まり、いよいよ今日(9月25日)から対面授業が始まります。通いの学生の方が多い学校なので、学校側も相当厳しい安全対策を取ることになっています。9月21日(月)から4日間、通いの学生を少しずつ集めて、対面授業の安全対策のオリエンテーションをしています。

通いの学生は、毎朝自宅で検温してポータル上で親が署名する必要があります。寮生は、寮にある自動検温機で確認するだけですので非常に楽です。学生全員は、マスクだけでなく、フェースシールドの着用も義務付けられます。フェースシールドは、サンバイザーのように頭にはめて、透明なシールドで顔を守るようになっています。

寮生の次女は、8月下旬から、寮の外で皆で遊ぶ時はフェースシールドをしていたのでもう慣れているようです。寮生はPCR検査を受けているので、寮内の自分の階にいる時は、マスクすら不要ですが、違う階に行く時はマスクをしなければなりません。

今週金曜(9月25日)から、いよいよ対面授業が始まります。次女は、通いの学生と初めて出会うので楽しみにしているようです。友達の輪が広がれば良いですが。

Saturday, September 12, 2020

Empty Nest v.s. 空の巣症候群

長女は大学に入り、次女はボーディング・スクールに行ったため、いわゆる子供が巣立ち、我が家が空になった状態です。夫婦2人の生活となり、なんだか寂しさを感じています。英語では、Empty Nest Syndromeという言葉があり、日本語でも「空の巣症候群」という医学用語となっています。英語のEmpty Nest Syndromeは、一般的に、子供たちが大学進学等により初めて家を離れたことにより、親が感じる孤独感をさし、医学的にはそれほど重い症状であると捉えられていないのに対し、日本語の「空の巣症候群」は、子どもが家を出たり結婚したりしたときに、多くの女性が感じる憂うつで不安になる苦しみの一般的な信念を表す言葉とされています。


アメリカでは、子供が家族の家から出ることは、一般的に普通で健全なイベントです。したがって、Empty Nest Syndromeの症状は出ないことが多いとされています。もちろん、寂しさを感じたり、親としての目的感喪失につながることもあり、子供が巣から出ることにより、親はその現実を受け入れる必要があります。この症状は専業主婦に最もよくあらわれる症状と言われています。


日本では、完全に「母親にでる症状」と見られています。子供が自立し、夫は仕事で忙しく構ってくれず、夫婦生活もないに等しくなり、涙もろくなり、夫の定年が近いというと、退職、即離婚といった方に展開していくこともあるそうです。


今の時代は、FaceTimeなどがあり、大学や高校の授業が実際に始まるまでは、寮に入った長女や次女とはほぼ毎日やりとりしていました。テキストでのやりとりは更に多いです。勉強のためのアプリやネット上での生活必需品の買物のお金を、親が負担するのか、子供のお小遣いから負担するのかを確認することも多いです。子供としては、お小遣いを減らしたくないので、あれこれ理由をつけて親に払わせようとします。親としては、目の中の入れても痛くない子供が一人で頑張っているし、こうして連絡をくれているので、その対応はかなり甘くなり、なんでも負担してあげたくなります。子供はそのことを知っており、うまく甘えながらお願いしてきます。親は、その子供の魂胆を十分に知っているのですが、子供の戦術にわざと嵌ってあげて、負担してあげます。このようなやりとりが、Empty Nestの寂しさを紛らしているのかもしれませんね。


娘二人が我が家から巣立ってから、気づいたことがあります。「家の食材が減らない」ことです。食事を作る量も、洗濯の量も半分以下になります。子供との喧嘩や言い争いもなくなり、夫婦で喧嘩することも少なくなりました。今から思えば、夫婦間の喧嘩は、子供に関することが多かったのかもしれません。


子供も巣立ち、気分転換に、自家用車を2台とも買い換えました。毎朝、高校に送くる時に使っていたトヨタ・シエナという大きなバンは、レクサスRX350に買い換えました。シエナは、本当によく頑張ったと思います。家族でメイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州、ペンシルベニア州、ニュージャージー州、デラウエア州、メリーランド州などをこの車を使って旅をしました。娘2人のバレーボールのバーシティ・チームや、クラブ・チームの練習や試合のために娘だけでなく、娘のチームメートも一緒に送り迎えしてあげたことは良い思い出です。


レクサスRX350は、シエナより少し小さめで軽く、排気量はシエナと同じ3.5Lですが、馬力はシエナの266馬力と比べ295馬力もあるのでパワーが違います。2台目は、もともともフォルクスワーゲンのジェッタという車でしたが、購入2年後にホンダ・シビックに買い換えました。このシビックは、小さなライ市では小回りに長けているので、買い物の際に本当に活躍しました。小さな駐車スペースでも問題なく、Uターンもハンドルを切ることなくできるので大好きでした。シビックに変えて今回買ったのはレクサスIS250C。排気量1.8L・140馬力のシビックと比べ、大きさは同じくらいですが排気量2.5L・204馬力もあり、運転していて本当に快適です。


早速、ボルチモのマクヘンリー要塞や、アナポリスの海軍兵学校の視察のために夫婦でレクサスIS250Cに乗ってドライブしました。マクヘンリー要塞は、米英戦争中の1814年9月13日、チェサピーク湾に侵入したイギリス海軍の艦隊がボルティモア港を攻撃して来たときに、防衛に成功したこと知られた有名な場所です。先月行われた共和党全国大会3日目に、ペンス副大統領がこの要塞から演説したしました。フランシス・スコット・キーが詩「星の煌く旗」(The Star-Spangled Banner)を作ったのがこの砦に対する艦砲射撃の時のことであり、イギリスの歌「天国のアナクレオンへ」のメロディを付けられて、アメリカの国歌になったことは有名です。ここは「アメリカ国歌の生誕の地」というわけです。


アナポリスでは美味しいシーフードを食べました。蟹やエビを堪能したわけですが、その時の写真を娘たちにテキストで送ったら、ホノルルの次女から、日本語で「なんで?」という面白い返答が来ました。私からは、「お父さんとお母さんは旅行中!」と応えておきました。次女からすれば、お父さん・お母さんが仲良く旅行していることにびっくりしたようです。笑


Friday, September 11, 2020

メリーランド州に引っ越し!?

 7月上旬、ニューヨーク州ライ市の4年1ヶ月にわたる生活を終え、メリーランド州ベセスダ市に自家用車で引っ越しました。転勤を知らされたのは5月中旬。引っ越しまで時間がないのでひっくり返りそうになりました。

2度目のニューヨーク勤務は、娘2人の学校生活を中心に回った感じです。到着して1年後の2017年6月にライ市内で引っ越しをしました。引っ越しの決め手は家の大きさです。5つの寝室と3つのバス・トイレ、食堂やファミリールームがありました。娘らが大きくなると、家の空間は非常に重要で、勉強などで行き詰まったり、親子や姉妹で喧嘩をした時に、逃げられる部屋がいくつもあるというのは、精神的に助かったようです。

ライで引っ越した新しい家はライ・ミドル/ハイ・スクールまで歩いて7分くらいのところにあったのですが、娘たちは若干lazyで、私が毎朝、学校まで送っていました。車で所要5分ですが、雨の日も雪の日も、親子喧嘩した翌朝も、送り続けました。車の中で喧嘩をしたこともあります。しかし、継続は力なりで、長女の高校4年間、次女の中学3年間と高校1年間、毎朝学校に送り届けたことは、親としてとても達成感があり、娘二人とのつながりという意味で、忘れられない思い出となっています。これは親の一方的な思い出で小さな思い出ですが、私にとってはとても大切なものです。

本年7月上旬からメリーランド州のベセスダ市に移ったわけですが、非常にライ市に似たような静かな街並みで安心しています。家もライの家より少し大きく、寝室の数は一緒ですが、一階の部屋が少し多いです。

今回の引越しで、アメリカは5回目の勤務となります。その前に留学していますので、今日までに14年9ヶ月の間、米国に住んでいることになります。米国内で住んだ都市は、ロス市、インディアナ州ブルーミントン市、バージニア州アーリントン市、ワシントンDC、NY市、NY州ライ市、メリーランド州ベセスダ市となります。米国内の引っ越しは計12回です。

メリーランド州ベセスダ市に引っ越したため、このブログの表題「アメリカ・ニューヨークでの生活・子育て」は、実態を正確には反映しないことになります。しかし、表題は変えることができないので、このまま続けます。次女が大学を卒業するまでは。。。

Thursday, September 10, 2020

長女、大学に入寮

長女の大学はマサチューセッツ州にあります。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学が早々と100%オンライン授業を決めましたが、長女の大学は、学生に2つの選択肢を与えました。一つは、寮に住んで対面授業とオンライン授業のハイブリッド型の授業を受けるというもの。もう一つは、自宅で100%オンライン授業を受けるというオプションです。

長女は、当然ハイブリッド型を選択しました。その理由は、対面授業の方が良いというだけでなく、教授や図書館へのアクセスや、寮に入って他の学生との交流があってこそ、キャンパス・ライフが充実すると考えたからです。自宅にいたままオンライン授業を受けても、新しい友達の範囲は限定されますし、また、安定的な生活のリズムを保つことも難しいでしょう。寮に入れば、寮内の学生とも交流をし、1日3食、誰かと一緒に食べたり、夜はルームメートと夜な夜な話し込んだり、週末は仲間と一緒にいろんなことをするでしょう。自宅でオンライン授業を受ける場合は、それらのことが一切できないことになります。

親としても、今年の夏、毎日お昼くらいまで寝ている長女の姿を見て、少しイライラしていました。大学のオンライン授業は録画でも見れますので、何時に起きても、その後に勉強さえすれば大丈夫なのですが、長女のタイム・マネジメント能力を少し心配していました。寮に入れば、ルームメートもいますし、対面授業もあるため、最低限の生活のリズムを保てると期待しています。

ということで、長女は8月28日に入寮することになりました。15歳の次女は一人でボーディングスクールに行きましたが、長女の場合は私が同行しました。同行者の私は、フライトに乗る72時間前までに行ったPCR検査の結果が陰性である必要があります。私は、次女が使ったPM PediatricでPCR検査を行い、出発の日に陰性の検査結果を受けました。

飛行機はやはりデルタ航空を使いました。乗継地のニューヨークのラガーディア空港のターミナルは、新設されたようで、全てが新しく清潔感溢れるものでとてもよかったです。トレイの手洗いエリアは全てTOTO製品が使われており、日本人としては少し嬉しくなりました。

到着したボストン国際空港のデルタ航空のターミナルもトイレはTOTOでした。ボストン国際空港では、UberやLiftなどは、タクシーや出迎え者の車両が入る到着レーンへの出入りが禁止されており、少し離れた立体駐車場の指定されたエリアでしか乗り降りができないことになっていました。

無事、Uberに乗り、長女の大学へ。大学到着後、まず、長女のPCR検査場に行きました。これが1回目の検査です。長女は入寮後、更に3回PCR検査を受けることになります。

検査後、長女の寮に到着。古い歴史のある大学ですが、長女の寮は、最近リノベーションが行われ、1階の共有エリアや各階のトイレ・シャワー室などは全て新しくなっており、とても綺麗でした。長女の部屋は、ペンシルベニア州から来た学生と相部屋ですが、ベッド2つと机2つが並列して置かれ、電子レンジと小さな冷蔵庫も部屋の中にセットされていました。あとはクロゼットが2つ、タンスが2つあり、17歳が生活するのに十分な広さです。長女の階は、男女混合階ですが、男子学生全員が、大学のアメリカン・フットボール・チームの選手でした。皆、1.9M〜2Mあるので、彼らの大きさに圧倒されました。

大学のカフェテリアについては、長女は、何度入って何を食べても良いというカードを購入しました。キャンパス外のお店とも提携し、それらのお店でも食べられるようです。

私は、2時間程度の滞在で、長女に別れを告げました。アメリカ社会では、子供の大学の入寮を親が手伝うことは、子供にとっても、親にとっても、それぞれの人生の一つの区切りになるため、実は一大イベントのようです。私も、とうとう長女が自宅から出て、カレッジに入って1人暮らしをすると考えると(実際にはルームメートはいますが)、とても寂しくなりました。ハグを滅多にしない長女は、この大学に合格した時と同様、別れ際にハグしてくれました。

私はその後、ボストン国際空港に向かい、その日はラガーディア空港近くで一泊しました。
長女が、充実した大学生活を送ることを願いながら、ホテルの部屋で一人でビールで乾杯しました。

Sunday, September 6, 2020

次女、ボーディング・スクール到着

次女は、無事、ボーディング・スクールがある空港に到着。乗継ぎ空港では必ず連絡をくれました。デルタの職員もきちんと付き添ってくれたようです。2回の乗継ぎ空港でも目的地の空港でも、到着すると、デルタ職員が最初に次女を引き取るので、次女は飛行機の扉が開いたら直ぐに降機できたようです。

最初の空港を出発する際に、リストバンドが提供され、乗継ぎ空港では、搭乗の際にリストバンドについているコードを読み取っていたとのこと。

デルタ航空の「unaccompanied minor program」では、目的地の空港での出迎者を登録する必要があり、出迎者がいない限り、そもそもこのプログラムに登録することはできません。延べ15年も米国に住んでいますと、主要都市には誰かしたら知り合いがいるもので、今回も29年前に米国のある都市で一緒に働いたことがある旧友に次女の空港出迎え・引き取りをお願いしました。ありがたくも旧友は快く引き受けてくれて、次女を空港で出迎え、ホテルまで自家用車で送ってくれました。

ボーディング・スクールの要請で、出発地で搭乗する72時間以内にPCR検査を受ける必要があり、右検査が陰性である必要があります。搭乗するまでに結果は分からなくてもよく、目的地に到着後、ホテルで5日間自主隔離をして、再度PCR検査を受けるので、2回目のPCR検査を受けるまでに、陰性がわかれば良いということでした。

出発地、つまり我々の自宅がある地域で、PCR検査の結果が最も早くわかる施設は、メリーランド州ロックビル市にあるPM Pediatricという小児専門のクリニックでした。次女は出発するちょど3日前にPCR検査をしましたが、出発して最初の乗継ぎ空港に着くまでに、陰性の結果が判明しました。陰性だと思っていましたが、正式に陰性結果を知ると、家族全員が安堵しました。

次女が滞在したホテルは、次女が通うことになるボーディング・スクールの生徒が多く滞在していたようです。学校の関係者が出迎えてくれて、チェックイン支援をしてくれました。次女のホテルの部屋は、幸いコネクティングルームで、お隣さんは、カリフォルニア州から来た同じG10の学生でした。5日間の自主隔離中には、コネクティングルームのドアを開けて、social distanceを保ちながら一緒にNetflixで映画を見たそうです。

ホテルで一番苦労してしたのは、食事です。ホテルはルームサービスをしないので、UberEatsやその他の関連サービスを使って1日3食、配達してもらう必要があります。次女が出発する前に私のバンク・オブ・アメリカの口座に次女の口座を作り、次女のiPhoneのWalletにデビットカード情報を登録しました。これでiPhoneで何でも買い物ができるわけです。口座には次女の祖母からもらった結構な額のお小遣いが入っているので、1年間はしのげるでしょう。

次女は、ホテルに入って5日後に再度PCR検査を受け、無事、陰性でした。この時点でようやくキャンパス内の寮に入れることになりました。

寮は、2年前にできたばかりの5階建てで、共有スペースなどの設備は本当に充実しています。次女の部屋自体はそれほど広くはありませんが、コロナのために入寮者が少なく、ルームメートはいないそうです。

外国人留学生は、特に中国人学生が少なからずいたそうですが、秋セメスターでは誰もいなくなったそうです。これは、現在、中国から米国には直接入国できないことが主な原因のようです。中国からは、例えば日本など第3国で2週間以上過ごさないと、米国に入国できません。日本で2週間ホテルで過ごし、その後米国に入ってホテルで5日間過ごし、PCR検査を受けて陰性なら入寮できるという長いプロセスとなります。問題は、日本で2週間滞在している間は自主隔離なので外に出ることはできないし、日本を出発する72時間前に受ける必要のあるPCR検査も、そもそも予約が取れないそうなので、中国人学生は、秋セメスターの入寮は諦め、オンライン授業のオプションを取るか、転校を余儀なくされているそうです。

次女に話は戻りますが、寮から見える市内の景色があまりにも綺麗なため、キャンパスを出られないことにフラストレーションを感じているようです。しかし、ベセスダの自宅に戻っても、授業中はオンラインで自室に篭り、ジョギングや買い物などのために外には出られますが、同級生とin-personで直接話をすることはできないため、寮と自宅を比較すれば、親の目からすると、寮の方が健康的な環境ではないかと思うのですが、こればかりは本人がいかに感じるかなので何とも言えません。

寮の部屋にはルームメートがいないので少し寂しいかもしれませんが、同じ階や異なる階には寮生がいますし、食事はカフェテリアで一緒に取りますし、何しろ、広大なキャンパスにあるフィールド・トラックやジムなどを自由に使えます。学校側も、寮生の精神衛生を考えて、週に何度か、キャンパス内ですが、寮の外でバーベキューなど様々なイベントを企画しているようです。

今後、次女の学校の州・郡のコロナの状況が良くなることを祈るばかりです。






Saturday, September 5, 2020

次女はボーディングスクールへ出発

 次女はとある州のボーディングスクールに行くことにしました。G10から編入ということになります。このボーディングスクールは、全米トップ5には入っていませんが、全米トップ25くらいの学校です。1950年代途中まであったボーディングを止め、長年、いわゆる普通の「通い」のプライベートの高校だったようですが、昨年からボーディングを久方ぶりに復活させました。

気候も施設も素晴らしく、次女も納得して8月上旬に1人で出発しました。飛行機は対コロナの厳しい安全対策を遵守しているデルタ航空にこだわったため、2回乗り継ぎをする必要がありました。デルタ航空には「unaccompanied minor program」というプログラムがあり、150ドル支払えば、乗継ぎする空港でデルタの職員が乗継ぎをアテンドしてくれます。次の便に搭乗するまで傍にいてくれるので安心です。次女は15歳ということもあり、フライトは全てファーストクラスにしました。

次女のボーディングスクールはコロナ禍のため、通いの学生は100%オンライン学習です。キャンパスに来ることは認められていません。次女などの寮生も100%オンラインですが、寮は広いですし、キャンパスを自由に使うことができます。次女は毎日キャンパスでジョギングをしたり、屋外の寮生のイベントに参加したりしているようで、精神的には良いと思います。ただし、寮生は、逆に、キャンパスの外に出ることはできません。まあ、その分、キャンパス内で完全隔離されているということで、100名もいない寮生たちは安心して広大なキャンパスを占有しているわけです。

長女のことは次回に書きますが、長女も大学の寮に入ったので、家はとても寂しい空間となっています。



Sunday, July 5, 2020

次女のボーディングスクール

次女は、全米でトップ10と言われる「テン・スクール」のうち4校を受験。1月15日までがアプリケーションの締め切りで、3月上旬に結果発表。次女は、3校はWaitlistに入りました。いわゆる補欠です。最後の1校は残念ながら合格できませんでした。次女はG10からの転校ですので、そもそも採用数が少ないため競争が相当激しかったようです。
次女は、Waitlistに待っている間、追加の推薦状をもらって提出したり、追加のエッセイを書いたり最新の学校の成績表を提出したりしていました。

その後、合格通知が来ないので、だんだん焦るようになり、他のボーディングスクールも探しました。4月に入ってもアプリケーションを受け付けているボーディングスクールはほとんどなかったのですが、全米でトップ25に入るボーディングスクールのうち一校だけ受け付けており、急遽受験。無事合格しました。授業料と寮費合わせて6万ドルを超えますが、なんと奨学金を4万ドルもいただくことができました。残り2万ドルちょっとが自腹となります。

Waitlistに入っている3校の最終結果はまだですが、もうそろそろ通う学校を決めなければなりません。最後に受験したボーディングスクールは、気候もよく、施設も素晴らしく、調べれば調べるほど素晴らしい学校のように思えてきました。でも最後は次女次第ですので、Waitlistの最終結果を待つのみです。いずれにせよ、少なくとも通えるボーディングスクールが一つ決まっていることは、少し安心です。

Saturday, July 4, 2020

コロナ禍の顛末

大学進学が無事決まり、最後の高校生活を楽しもうとしていた長女は、COVID-19の流行により、卒業までの予定が全く変わりました。NY州は、3月1日に最初の感染者が出て以来、7月4日時点で感染者は39万6598名、死者は2万4896名とありました。クオモ州知事の強い指導力による強力な措置により、日々の感染者も死者もようやく収束し、今では他の州の方が感染が爆発しています。

長女の高校のプロムは中止、卒業式は7月下旬に延期されました。
その代わりに、6月のある日、ライにあるPlayland Parkという有名な遊園地の駐車場に卒業生と家族が車で集合し、何組かに分かれて、パトカーの先導で、ライの街の中を車でパレードしました。街中の住民が子供から大人まで、プラカードを掲げて拍手をしたり、笛を吹いたり、声をかけてくれて、卒業生を祝福してくれました。4年間ライに住んで、初めてコミュニティのあたたかさを実感しました。

6月下旬、長女は、入学する大学から3つのオプションを提示されました。
①オプション1:キャンパスに住みながら、一部は授業を直接を受け、一部はオンラインのハイブリッド型の学生生活を送る。
②オプション2:すべての授業をオンラインで受ける。どこに住んでいても良い。
③オプション3:今年の入学の権利を保持したまま、今年は入学せず、来年9月に入学する。
長女はオプション1を選択しました。

大学の授業料は6万ドルちょっと。寮費は1万5千ドルちょっとかかります。それに保険料4000ドル弱、寮の食費3000ドルちょっと。出費は8万ドルを優に超えます。
大学から返金しなくても良い奨学金は1万5400ドル貰えました。ライ警察から500ドルの奨学金ももらいました。
ローンは1万1500ドル程度借りられることになりました。
そのため毎年現金では5万ドルちょっと用意しなければなりません。
かなりきついですが、教育はお金には変えられないのでしょうがないと思っています。
その分、長女が大学でしっかり勉強して、人生の基礎を築いて欲しいと願うばかりです。

Thursday, February 6, 2020

急転直下! 長女の大学進学決まる!

長女は、19校の大学にアプリケーションを出しました。滑り止めの大学3校には既に合格通知がきました。2校の大学から合否の判断を3月に延期され、うち1校は更なるエッセイを求められたので書いて送付しました。いずれにせよ、残り全ての大学の合否の結果は3月に通知されるはずでした。


長女は、実は、昨年12月、ある大学に「Early Decision II」というカテゴリーでアプリケーションを出していました。この大学は、東海岸にある比較的小規模の歴史のある私立大学で、国際関係の分野で名が知れており、合格率は15%前後の超難関校です。「Early Decision」というからには合格した場合、必ず入学する義務があります。


今晩(2月5日)、なんと、その大学から合格通知が来ました!


「Early Decision 」枠での受験ですから、当然、来年9月からこの大学に通うことになります。

そう、つまり長女は残り14校の合否が分からないまま、来年から4年間通う大学が決まったのです。なんだかあっという間の出来事で、親としては狐に包まれた気分です。


通常の「Early Decision」枠の大学のアプリケーション送付期限は11月1日で、合格発表は12月中旬にあります。今回、長女がアプリケーションを送付したのは「Early Decision II」という枠であり、送付期限は12月下旬でした。「Early Decision II」枠を持っている大学は少なく合格率も低いのですが、長女が本当に行きたい大学であったため、この大学を2度も訪問し、12月にこの枠でアプリケーションを送付しました。


長女のプライベートの受験カウンセラーからは、「この大学の「Early Decision II」枠の合格率はかなり低いので、合格はちょっと難しいのでは?」という評価するもらっていました。なぜ「Early Decision II」枠では合格率が低いかと言うと、11月1日がアプリケーション送付期限であった「Early Decision I 」枠の合格者が既に決まった後でのアプリケーションの送付(受験)であるからです。この大学の学部生は約5000人しかいない小規模の総合大学のため、新入生は1300人程度しか取りません。1300人の新入生の枠の中で、「Early Decision I」, /「Early Decision II」/「Regular」の受験者がいますが、長女が使った「Early Decision II」枠の合格者が最も少ないそうです。「Regular」枠でさえ合格率は15%しかないのですが、「Early Decision II」枠の合格率は10%以下なのだそうです。


ともあれ、長女は自分の行きたかった大学に合格したわけですから、今晩、本人も家族も大喜びです。アメリカの大学の長い受験プロセスが、突然終わったので、なんだか拍子抜けするような感じです。


明日、長女は、高校のカウンセラーに報告し、既にアプリケーションを送付した残りの14校の受験取りやめの手続きを行うことになります。


今後は、奨学金獲得のプロセスに入りますが、とにかく、めでたしめでたし。