Monday, May 30, 2022

日本、6月10日より外国人観光客の入国再開へ(当面添乗員付きに限定)

現在日本は、コロナウィルス感染症対策として外国人の入国制限をしているため、査証取得者しか入国できません。このため私の周りの多くのアメリカ人から、早く観光で日本に行きたいので外国人観光客にも入国を認めてほしいとの声をたくさん聞いてきました。円安の影響もありインバウンドの熱は相当高くなっています。


日本政府はこの度、新型コロナの水際対策で止めていた外国人観光客の入国を6月10日から再開することを決めました。アメリカを含む98の国と地域を対象とし、まずは、添乗員付きのツアー客に限定することにしています。


日本政府は、6月1日から一日当たりの入国者数の上限を、今の1万人から2万人に引き上げることにしていて、観光目的の入国もこの枠の中に含まれます。


外国人観光客の受け入れ再開は、新型コロナで大きな打撃を受けた観光業や地域経済の回復につながることも期待されますが、年間3000万人を超えていたコロナ前に戻るには、まだまだ時間がかかる見通しです。


ともあれ、外国人観光客の入国の再開は朗報ですね。円安も重なり訪日需要はますます高まっています。G7各国並みに水際対策の緩和や撤廃がさらに進むことを切望する声は大きいです。


日本政府は、新型コロナウイルスの水際対策が6月1日から緩和されるのを前に、入国時の検査や待機措置を免除する国や地域のリストを公表しました。アメリカや韓国など98の国と地域から入国する場合はワクチンを接種していなくても検査などを免除するとしています。


インドやベトナムなど合わせて99の国や地域については3回のワクチン接種を受けていれば検査や待機措置を免除するとしています。3回接種していない場合は検査を行ったうえで最短でも3日間の自宅などでの待機を求める方針です。


パキスタン、フィジー、アルバニア、シエラレオネの4か国についてはこれまでどおり検査を継続し、3回の接種を受けている場合は自宅で、受けていない場合は国が指定する宿泊施設で最短でも3日間の待機を求めるとしています。


日本政府は、今後の水際対策の在り方について「段階的に平時と同様の受け入れを目指していく。入国者総数の管理を含め、検疫体制や防疫措置の実施状況を勘案し、新型コロナの国内外の感染状況や主要国の水際対策の状況などを踏まえながら適切に判断していく」としています。


コロナ感染症対策は、社会経済活動との両立を徐々に図る局面に至っているということだと思います。

Friday, May 6, 2022

ポップコーンの素:トウモロコシの穀粒(コーン・カーネル(corn kernel))

1985年にスタンフォード大学に留学した時、ルームメートが簡易な「ポップコーン製造機」を持っていました。

これに似たポップコーン製造機でした。

トウモロコシの穀粒を入れてスイッチを入れると、穀粒が入った底から熱風が出ます。この熱風で穀粒が次から次へとはじけてポップコーンになると、ポップコーンは軽いので熱風で押し出されて、製造機の前に置いたボウルに自動的に入ります。トウモロコシの穀粒は、はじけるまでは時間がかかりますが、一つの穀粒がはじけ始めると、次から次へとはじけて、あっという間に穀粒分のポップコーンが出来上がります。


その後、1989年にロサンゼルスで1人で住むようになり、ジャンクフードは体に悪いしお金もないので、「ポップコーン製造機」を20ドル程度で購入しました。今でも20、30ドルで購入できると思います。日本のアマゾンでも、上記写真の製造機は2400円で購入で来ます。


ポップコーン製造機を購入後、すぐにトウモロコシの穀粒を買いに「ラルフス」という大型スーパーに行きました。


そこではたと気づきました。トウモロコシの穀粒を英語でなんというのかわからなかったのです。店員を見つけてポップコーンを作りたいと言ったら、電子レンジでチンしたらすぐにできるタイプの紙袋に入ったポップコーンの素を出してきた。


自分は、「corn seedsが欲しいんだよ」と言いましたが、店員はよくわからない反応でした。「ポップコーン製造機で作リたいんだよ」と言ったら、店員は、「ああ、君が欲しいものは、corn kernelsだね」と言いながら、corn kernelsが並んでいる棚を示してくれました。


私はそこで初めてポップコーンの素はcorn kernels(コーン・カーネル)と呼ぶことを知ったのです。「corn seedsじゃないんだ」と思ったわけです。



では「kernel」とはどういう意味でしょうか。それは、植物の堅果の仁や、外皮の中の実のことをkernelとも呼びます。そして、小麦やトウモロコシの穀粒のこともkernelと呼ぶそうです。したがって、トウモロコシの穀粒は「種」ではないんですね。


トウモロコシには、さまざまな種類があ利ます。例えば、デントコーン、フリントコーン、スイートコーン、フラワーコーン、ワキシーコーン等です。


ポップコーンを作れる種類は、実は一種類しかありません。普段私たちが食べているトウモロコシの穀粒では、ポップコーンは作れないんです。熱で温めても「ポップ」しないそうです。


ポップコーンが作れるトウモロコシの種類を「Zea Mays Everta」と呼びます。この種の穀粒のみが、乾燥した熱にさらされると穀粒の水分が膨張して爆裂(ポップ)してポップコーンになります。

唯一ポップコーンを作れるトウモロコシ、Zea Mays Everta



自家製で作るポップコーンは、原材料がトウモロコシの穀粒だけですから、他のスナック菓子と比べて健康への害がほとんどないと言えるでしょう。もちろん、塩やバターをかけすぎると体によくないと思いますが。


ということで、大昔から私のおやつは、自家製ポップコーンなのです。




Sunday, May 1, 2022

2回目の帯状疱疹 (Shingles) のワクチン接種

昨日、コロナウィルス感染症ワクチンの2回目のブースター接種を終えましたが、本日(5月1日)、帯状疱疹(Shingles)のワクチン接種を受けてきました。


場所は、前回(2021年12月30日)と同じ、そして昨日のブースター接種の場所と同じ「SAFEWAY」の薬局です。


予約は、今朝、携帯のサイトから取りました。簡単に予約が取れたのは、需要が多くないのでしょうかね。「SAFEWAY」の薬局に行き、前回と同じ174ドルを払って、待合室で10分くらい待ちました。昨日のブースター接種は左腕にしたので、帯状疱疹のワクチン接種は右腕にしました。量はブースター・ワクチンの方が少ないためか、今日の帯状疱疹のワクチン接種の方が痛みが大きかったです。


前回の様子は、このサイトで報告しました。

https://lifeinwestchesternyusa.blogspot.com/2021/12/shingles.html


帯状疱疹は、水ぼうそうと同じウイルスで起こる皮膚の病気です。体の左右どちらかの神経に沿って、痛みを伴う赤い斑点と水ぶくれが多数集まって帯状に生じます。症状の多くは上半身に現れ、顔面、特に目の周りにも現れることがあります。

 

通常、皮膚症状に先行して痛みが生じます。その後皮膚症状が現れると、ピリピリと刺すような痛みとなり、夜も眠れないほど激しい場合があります。多くの場合、皮膚症状が治ると痛みも消えますが、神経の損傷によってその後も痛みが続くことがあり、これは「帯状疱疹後神経痛(PHN)ピーエイチエヌ」と呼ばれ、最も頻度の高い合併症です。また、帯状疱疹が現れる部位によって、角膜炎、顔面神経麻痺、難聴などの合併症を引き起こすことがあります。


帯状疱疹は、多くの人が子どものときに感染する水ぼうそうのウイルスが原因で起こります。


水ぼうそうが治った後も、ウイルスは体内(神経節)に潜伏していて、過労やストレスなどで免疫力が低下すると、ウイルスが再び活性化して、帯状疱疹を発症します。発症すると、皮膚の症状だけでなく、神経にも炎症を起こし、痛みが現れます。神経の損傷がひどいと、皮膚の症状が治った後も、痛みが続くことがあります。


神経が損傷されることで、皮膚の症状が治った後も痛みが残ることがあり、3か月以上痛みが続くものを帯状疱疹後神経痛(PHN)ピーエイチエヌとよびます。PHNは、「焼けるような」「締め付けるような」持続性の痛みや、「ズキンズキンとする」痛みが特徴です。


PHNになりやすい因子として、年齢(高齢者に多い)、痛みが強い、皮膚症状が重症である、などがあります。50歳以上で帯状疱疹を発症した人のうち、約2割がPHNになるといわれています。


帯状疱疹は頭部から顔面に症状が現れることもあり、目の症状として角膜炎や結膜炎、ぶどう膜炎などの合併症を引き起こすことがあります。重症化すると視力低下や失明に至ることがあります。


その他の合併症として、顔面神経麻痺や耳介の帯状疱疹を特徴とする「ラムゼイ・ハント症候群」とよばれるものがあります。耳の神経への影響から、耳鳴り、難聴、めまいなどを生じます。


帯状疱疹は、ワクチンで予防できます。ワクチンには、感染症の原因となる細菌やウイルスの病原性を弱くしたものや、成分の一部を取り出したもの、また病原性を全くなくしたものがあります。ワクチンを体内に接種すると、そのワクチンの成分(細菌やウイルス)に対しての免疫力を高め、病気の発症や重症化を抑えることができます。


帯状疱疹の予防には、50歳以上の方を対象としたワクチンがあります。水ぼうそうにかかったことがある人は、すでに水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスに対する免疫を獲得していますが、年齢とともに弱まってしまうため、改めてワクチン接種を行い、免疫を強化することで帯状疱疹を予防します。予防接種は帯状疱疹を完全に防ぐものではありませんが、たとえ発症しても症状が軽くすむという報告があります。


帯状疱疹の発症率は50歳以上で増加し、50代、60代、70代と加齢に伴ってさらに増加します。また、帯状疱疹後神経痛(PHN)への移行リスクも加齢とともに高くなるといわれています。なお、帯状疱疹のワクチン接種の対象は、50歳以上の方です。


ワクチン接種により、水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスに対する免疫力を高めて、帯状疱疹の発症を予防することができます。また帯状疱疹を発症したとしても軽症ですみ、帯状疱疹後神経痛(PHN)などの後遺症の予防にもつながるとのデータもあります。


2回目の帯状疱疹のワクチン接種が終わり、これで当分安心です。



Saturday, April 30, 2022

2回目のブースター接種

今日(4月30日(土))に2回目のブースター接種を受けました。これでコロナワクチンを4回接種したことになります。

場所は前回と同じ近所の大型スーパー「SAFEWAY」の薬局。

2週間前に予約を取り、少し遅れて行きましたが、待ち時間3分、所要時間1分で終わりました。

痛みもなく、現在も副反応は出ていません。前回も出なかったので気にもしていませんが。


今回も過去3回と同じファイザーを接種しました。モデル名を接種しようかどうか迷いましたが、結局同じものを選びました


今日の接種で当面は安心でしょうか。


の数週間、昼夜と毎日のように仕事でいろんな方と食事をしていますが、ワシントンDCのレストランは完全に復活している感じです。食事中は当然ですが、レストランに入る時もワクチン証明書やマスク着用は求められません。


最近、バウザー・ワシントンDC市長、レイモンド商務長官、ガーランド司法長官、ペロシ連邦下院議長、ライス副大統領、サキ・ホワイトハウス報道官、ベディングフィールド大統領広報局長などが次々と感染していますが、世の中は全く気にしていないようです。


これもコロナウィルス感染症による重篤者や死者が増えていないからでしょうか。日本でも毎日感染者数が8千人が続いていましたが、社会は平然としていましたね。同じ理由でしょうね。


最近、多くのアメリカ人の友人から「日本は外国からの観光客を受け入れるよう規制を緩和してほしい」と言われます。私もそうなるよう祈るばかりです。


次女の高校卒業生の進学先

次女はある州にある私立高校に通っています。現在の学年はG11で、日本で言えば高校2年生です。


1863年に創立したキリスト教系の私立学校であり、KからG12までのクラスがあります。幼稚園、小学校、中学校、高校が全て広大な同じ敷地の中にあるわけです。キャンパスの広さは何と25エーカー。即ち、10万1171平方メートルもあるんですね。でも全米のボーディングスクールのキャンパスの平均規模は125エーカーと言われていますので、次女の学校のキャンパスはボーディングスクールの中では小規模です。これは、多くのボーディングスクールがどちらかというと山間部などの田舎にあるのに対し、次女の高校は50万人弱の都会にあるからです。


KからG12までの生徒数は2000人ちょっと。先生と生徒の割合は1対16です。寮生は99人しかいません。寮生の8割近くは外国人の留学生と言われています。次女を含むアメリカ人の寮生のほとんどはカリフォルニア州出身です。そういう意味では次女は東海岸出身なので珍しい寮生ということになります。寮に住んでいる留学生の出身国の割合は不明ですが、中国人や韓国人、インド人が多いそうです。中にはメキシコ人もいます。


次女の高校の卒業生はいかなる大学に進学するのでしょうか。過去4年間で4人以上合格者を出した(即ち、毎年1人以上合格者がいる)大学で昨年も合格者を出した大学を一部列挙します。

◯アイビーリーグ(8校中)

 ①ハーバード大学

 ②プリンストン大学

 ③ブラウン大学

 ④コーネル大学

◯タフツ大学

◯ボストン・カレッジ

◯ボストン大学

◯ニューヨーク大学

◯ジョージタウン大学

◯ノートルダム大学

◯スタンフォード大学

◯カリフォルニア州立大学(UCスクール10校中)

 ❶バークレー校

 ❷ロサンゼルス校(UC LA)

 ❸サンディエゴ校

 ❹アーバイン校

◯サンフランシスコ大学

◯サンディエゴ大学

◯南カリフォルニア大学(USC)

◯ユタ大学

◯ワシントン州立大学


過去4年間に4人以上の合格者は出していないが、昨年合格者を出した大学を一部列挙します。

◯マサチューセッツ工科大学(MIT)

◯カリフォルニア工科大学(Caltech)

◯❺カリフォルニア州立大学デービス校

◯ベイラー大学

◯ブランダイズ大学

◯デューク大学

◯ジョージワシントン大学

◯パーソンズ美術大学

◯ポモナ大学

◯アメリカ空軍士官学校

◯アメリカ海軍士官学校

◯アリゾナ大学

◯デンバー大学

◯ミシガン大学

◯ネブラスカ大学

◯ペース大学

◯⑤ペンシルベニア大学(アイビーリーグ)

◯ライス大学

◯ピッツバーグ大学

◯サラローレンス大学

◯テネシー大学

◯テキサス大学

◯テキサスA&M大学

◯バッサー大学


昨年は合格者を出していないが、過去4年間に1人でも合格者を出した大学を一部列挙します。

◯アイビーリーグ(残り3校)

 ⑥コロンビア大学

 ⑦イェール大学

◯ボードイン大学

◯❻カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校

◯カールトン大学

◯オハイオ州立大学

◯スワスモア大学

◯アメリカ陸軍士官学校

◯メリーランド大学

◯バンダービルト大学

◯ウィリアムズ大学


以上、次女の高校が過去4年間に進学した大学の一部です。諸先輩方は、比較的良い大学に言ってますね。


次女はどうなるのでしょうか。プレッシャーを与えないようにしつつ、親として情報提供や助言はできますが、最後は祈るのみです。

Wednesday, April 27, 2022

大学からの勧誘資料

現在高校生でG11の次女は、ある州のボーディングスクールに通っています。昨年12月30日にお伝えしたように、我が家には毎日のように次女宛てにアメリカの大学から勧誘の資料が届いています。(https://lifeinwestchesternyusa.blogspot.com/2021/12/blog-post_59.html


その後もいろんな大学から資料が届いていますが、昨日、ハーバード大学とシカゴ大学からも資料が届きました。


調べてみると、多くの有名大学は、SATとACTテストの結果のリストを有料で購入しているそうです。その結果をもとに大学によっては1万人から10万人の全米の生徒に、このような勧誘の資料を送っているとのこと。


勧誘の資料が届いたからと言って喜んではいけません。なぜなら、それによりその大学への入学が保証されているわけでは全くないからです。


子供がSATやACTのテストである程度良い点をとったという程度のことです。


ではなぜ大学は勧誘の資料を送るのかというと、一つは、何万人の学生の中から原石を見つけたいということもあるでしょうが、最大の理由は、大学への合格率を下げるためです。合格率が低いとその大学のレベルは高いと見られるからです。何万人の学生に資料を送付した結果、勘違いしてアプリケーションを送る学生が多くなればなるほど、合格者の数は変わらないため、合格率は下がるというわけです。


ハーバード大学の合格率は4%です。ハーバード大学は、昨年新一年生を2320人取りました。アプリケーションを送った全米の学生数は5万7786人です。


2320人の合格者中、中部大西洋岸(Mid-Atlantic)からの合格者が20.7%と最も多いようです。中部大西洋岸の州は、ニューヨーク州、ニュージャージー州、ペンシルベニア州、デラウェア州、メリーランド州、ワシントンDC、バージニア州、ウェストバージニア州の7州及び1特別地区です。外国人留学生は15.6%もいるとのこと。


次女は、Early Decision、そしてEarly Decision II、最後にRegularの枠を使ってアプリケーションを提出することになりますが、そろそろアプリケーションを提出する大学を15から20程度に絞る作業に取り掛かる時期です。UC Schoolにもアプリケーションを出すのであれば、全く別のアプリケーションですので、作業はさらに増えます。


長女が2019年夏から冬にかけて経験したあの大学のアプリケーション・プロセスを次女が行うのかと思うと、親としても心が重くなります。でも頑張って手伝うしかないですね。


Saturday, April 23, 2022

長女の今年の夏のインターンシップ先が決まる

アメリカの大学生は、夏休みはインターンとして様々な場所で働きます。働く先は、企業、大学、シンクタンク、研究機関、メディア、コンサルタント会社、ロビイング会社、連邦・州・市議会議員事務所など無数にあります。


長女は昨年、大学1年生が終わった夏休みは、ジョーンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)の「高等国際問題研究大学院(School of Advanced International Studies (SAIS))にある「エドウィン・ライシャワー東アジア研究所(The Edwin O. Reischauer Center for East Asian Studies)」でインターンとして、リサーチ・ペーパーを毎日のように書いていました。


長女は、どうやら今年の夏休みのインターン先が決まったようです。首都ワシントンDCに本部がある研究機関で6月から働くことが決まりました。大学は5月中旬に終わりますが、5月後半から大学の公式プログラムでチリに2週間留学するので、留学先から帰国してからとなります。


アメリカの大学生は、年が明けるとすぐに、その年の夏休みのインターンシップ先を見つけるために動きだします。常日頃から様々なイベントに参加して人脈を作るのもそれが理由です。


アメリカはコネ社会と言われています。インターンシップも、ある企業がホームページで募集をかけたとしても、多くがコネで採用が決まると言われています。インターンシップ先が決まった大学生がインターンとして働き始めてから1週間後に、その企業の人事部から初めて略歴を提出するように言われた、という冗談のような本当の話があります。


長女は、大学でグローバル・リーダーシップ関連の組織の幹部をしており、アメリカの行政府や議会、民間企業の著名人を呼んでオンラインで講演をしてもらうイベントに携わっています。そのため、講演者とは常に連絡をとっており、イベント後もやりとりをしているようです。これが長女の人脈形成に繋がっています。このため、インターンシップ先も一度のオンライン面接で決まったそうです。長女がインターン先のホームページから正式に応募せずインターン先が決まったことからも、アメリカのコネ社会の一部を少し垣間見れたような気がします。


今回の長女のインターンシップのお給料は、時給16ドルとのこと。日給128ドル、週640ドル、月2560ドルとなります。親としては、高額な大学授業料の支払いに少しでも貢献してもらいたいと思います。


とにもかくにも、今年も長女に夏のインターンシップ先が見つかって良かったと思います。

次女の環境科学への興味と研究(全米大会で3位に!)

高校生11年生の次女は、長女と異なり理科系です。高校10年生からある州のボーディングスクールに通い始めましたが、私立高校の良いところ、ありとあらゆる学校の施設が非常に充実していることです。理科系の実験室・研究棟があるんです。また、屋内外のプールだけでなく、飛び込み専用プール、水球専用プール、野球場、サッカー場、アメフト競技場、陸上競技場、室内外のバスケットコートからテニスコートまでなんでもあります。なぜなら、私立高校はお金持ちだからです。その分、授業料も高額です。


次女は、高校10年生からこの私立高校の転入したわけですが、その時からはまっていることは、環境科学の研究です。2019年にたまたまキャロライン・ケネディ次期駐オーストラリア米国大使(元駐日本米国大使)の次女タチアナ・シュロスバーグ(Tatiana Schlossberg)さんが書いた書籍「Inconspicuos Consumption: The Environmental Impact You Don’t know You have」という本を読み、環境科学に興味を持ったようです。


高校生の次女の環境化学の研究は、難しい過ぎて詳細はよくわかりませんが、どうやら衣類の染色についての研究のようです。衣類を染色する際、重金属や環境ホルモンなどの化学物質を出すため、それが川や海を汚染し、環境を破壊しているため、環境に優しい衣類の染色についての研究のようです。


この研究で、次女はすでに州のシンポジウムで優勝し、州を代表して、4月に行われる全米大会、5月に行われる国際大会に出席することになりました。4月の全米大会と5月の国際大会は、主催者が異なる全く別の大会です。


4月の大会は、昨日(4月22日(金))にニューメキシコ州アルバカーキーで行われました。「The 2022 National JSHS(Junior Science and Humanities Symposium)」という大会でした。


本日(4月23日(土))に結果発表があったと、先程、次女から連絡がありました。


次女は、どうやら、8つある部門のうち、ある部門で全米3位になったとのことでした。賞金4000ドルを獲得。私と妻は、大歓喜してお祝いのメッセージを次女に伝えました。

賞金4000ドルは、本人に現金が支給されるわけではなく、将来に通う大学の奨学金として支給されるようです。


次女は、純粋に好きでこの研究をしてきたと思いますが、結果を聞いた瞬間、親としては非常に現金なもので、今年の秋に行う次女の大学受験のことがすぐに頭に浮かびました。「全米大会で3位となれば、行きたい大学にアピールできることになる!」と。5月のジョージア州アトランタで開催される国際大会「The 2022 Regeneron International Science and Engineering Fair(ISEF)」にも州を代表して参加することが決まっていますので、ISEFで入賞でもしたら、更に行きたい大学への道が開けてくるのでは?、と大いに期待しています。


次女は、アートにも興味があり、小さい頃から絵画教室に通い絵を書いてきました。昨年、あるポスター展で州で優勝しています。このようなことも大学進学に有利に働くと良いのですが。


親の思いとは裏腹に、次女は、環境問題に関心があり、世の中をよくしようという純粋な思いで研究に没頭しているようです。将来、科学者にでもなるのでしょうか。次女の無限の可能性に親の夢は膨らむばかりです。

Wednesday, April 20, 2022

永住者としての「ソーシャル・セキュリティ・カード」取得の苦労(その2)

妻は、就労制限のないソーシャル・セキュリティ・カードを入手するために、まず、手続きを調べました。

社会保障局のウェブサイト (https://www.ssa.gov/)で調べると、手続きを意外と簡単でした。

「ソーシャル・セキュリティ・カード申請書」、「古いソーシャル・セキュリティ・カード」、そして「グリーン・カード」を持って、近くの「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」で申請すれば良いことがわかりました。


問題は、シルバースプリングにある「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」に予約を取ろうとしても、電話が全くつながらないことでした。


2022年1月終わりに、2時間くらい何度も電話をかけたらやっと繋がったため、3月31日(木)に予約を取ることができました。


3月31日(木)の朝一で、シルバースプリングのオフィスに行ってみたら、予約が取れていないことが判明。ショックでした。コロナ禍で予約が取れた者以外は取り扱わないそうで、冷たく追い返されました。その際、現場にいた警備員から、「必要な書類が揃っているのであれば、「ドロップ・オフ」もできるんだよ。」と言われました。申し込み用紙と関連書類を封筒に入れて、シルバースプリングの「オフィス内」にある「ドロップ・オフ・ボックス」に入れれば、その後、当局が審査して、「新たなソーシャル・セキュリティ・カード」を自宅に送付する、ということでした。


問題は、この「ドロップ・オフ」を行う場合、封筒に申請書類に加え、実物の「グリーン・カード」を同封するため、紛失する可能性があるかもしれないということです。


悩んだ妻は、結局、2022年4月4日(月)にシルバースプリングの「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」に行き、「ソーシャル・セキュリティ・カード申請書」と「古いソーシャル・セキュリティ・カード」、そして「グリーン・カード」を封筒に入れて、「ドロップ・オフ」をしました。


あとは、「就労制限事項の記載のない新たなソーシャル・セキュリティ・カード」と「グリーン・カード」が届くのを待つのみとなりました。


予想に反し、1週間後の4月11日(月)に妻の「ソーシャル・セキュリティ・カード」が自宅に郵送されました。妻は、あまりにも早い取得に驚いていました。

2022年4月11日に届いた妻のソーシャル・セキュリティ・カード
ソーシャル・セキュリティ番号の上に就労制限事項の記載がない。
以前のカードと異なり、カードの中央最下部に「USA」の記載と
その右側にに発行日(2022年4月7日)の記載がある。


就労制限事項の記載のない「ソーシャル・セキュリティ・カード」を手にした妻は、喜びもひとしおだったようです。ところが、すぐに新たな懸念が浮上しました。

妻の「グリーン・カード」が同封されていなかったのです。

新たな「ソーシャル・セキュリティ・カード」は、どうやら社会保障局から直接送付されたようなので、妻の「グリーン・カード」が同封されることはないとは思いましたが、それでは一体、どこにあるのか?

「グリーン・カード」がなければ、妻が緊急の用事で急遽日本に帰国した場合、その後、再びアメリカに戻ったら、空港での入国ができないことになります。

焦っ私は、翌4月12日(火)に、シルバースプリングの「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」に電話で確認することにしました。しかし、これまた電話をかけまくるのですが、なかなかつながりませんでした。何十回目の電話でやっとつながり、事情を話しました。オフィスの担当者は、このようなことはよくあることで、「グリーン・カード」は非常に重要なのでUPSで送付するが、自宅に誰もいなければ、「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」に送り返されるのだと。担当者は、妻の個人情報を確認したうえで、「上司にメールで事情を説明し、あなたの配偶者の「グリーン・カード」がオフィスに戻ってきたら、再送するよう手配しておく。」と言われました。

半信半疑でしたが、担当者の言葉を信じで、翌週まで様子を見ることにしました。

翌週の4月18日(月)になっても妻の「グリーンカード」は届きませんでした。

翌4月19日(火)午前に、もう一度シルバースプリングの「ソーシャル・セキュリティ・オフィス」に電話をして、同じことを伝えました。担当者はまた同じことを繰り返すのみ。

その週に届かなかったら、4月25日(月)に、オフィスを訪れて確認をするつもりでした。

ところが同日(4月19日(火))の夕方、とうとう妻の「グリーン・カード」は、無事UPSで配送されたのでした。

これにはオチがあります。あれだけ「グリーン・カード」は大事なので、不在の場合は「ソーシャル・セキュリティ・オフィスに戻されると言っていたのに、妻がアマゾンで注文した商品が届いたので玄関を開けてみたら、その商品の上に、妻の「グリーン・カード」が入ったUPSの封筒がそっと置かれていたのでした。

あなおそろし。

ともあれ、妻はこれで、

①グリーンカード


②就労制限事項の記載のないソーシャル・セキュリティカード


③メリーランド州の運転免許証(リアルID)


④メリーランド州のナンバープレート(と自分名義の自家用車)

を取得。

これらに加え、⑤自分名義のクレジットカード、⑥自分名義の銀行口座と小切手を持っているので、アメリカで永住者として生きていく準備はほぼ整ったと言って良いでしょう。

Tuesday, April 19, 2022

永住者としての「ソーシャル・セキュリティ・カード」取得の苦労(その1)

妻は、2019年10月14日にアメリカ国務省が主管する「移民多様化ビザ抽選プログラム(Diversity Immigrant Visa Program)(俗称「DV抽選永住権プログラム」)」に応募。2020年6月6日に当選。同年10月11日に帰国。2021年9月27日に駐日アメリカ大使館で面接。9月28日にはアメリカの移民ビザが発行され、9月29日にこの移民ビザが貼られた妻のパスポートが手元に届きました。(移民ビザの取得)


そして、2021年11月23日に米国ハワイ州ホノルルに永住者として入国し、2021年12月23日にメリーランド州ベセスダの自宅に戻りました。(永住者としてアメリカに入国)


2022年1月13日には、メリーランド州の運転免許証を申請し、1月19日に取得できました。(アメリカの運転免許証の取得)


その後、すったもんだの末、2022年2月24日、妻が実物の「グリーンカード」を取得できたことは、以前説明した通りです。(グリーンカードの取得)


アメリカで永住者として生きていくためには、①グリーンカード、②運転免許証があればなんとかなります。しかし、もう一つ大事なものがあります。それは、③ソーシャル・セキュリティ番号(SSN)です。

妻は幸い、2002年に私の配偶者として、ロサンゼルスで自身のSSNは取得していました。(ソーシャル・セキュリティ・ナンバー(SSN)カードの取得)


ソーシャル・セキュリティとは、米国政府が行っている社会保障制度です。日本の年金制度のように、各個人の給与所得からソーシャル・セキュリティ税が毎月差し引かれます。アメリカで就労する人は必ず加入しなくてはなりません。このソーシャル・セキュリティ税を通算10年間支払うと、65歳になった時から支払った金額に応じて年金がおりる仕組みになっています。


SSNカードに記載されている番号は、社会保障局が個人に発行する9桁の社会保障番号です。戸籍制度のないアメリカでは、SNNは個々の住民を認識するためのIDとして重要な役割を果たします。


アメリカで就労する際には、必ずSSNが必要です。また、年金の受給、納税の申告、運転免許取得、銀行口座等の手続き、賃貸物件、電話、電気、ガス、ケーブルの契約、クレジットカードの申し込みなど、身元確認が必要になる時にもSSNが必要になります。

ただし、2003年以降は学生ビザで滞在している留学生がSSNを入手することは困難になり、それに伴って、今ではこの番号がなくても運転免許の取得、銀行口座の開設、アパートの賃貸などは可能になっています。


妻は、2002年にSSNカードを取得できたおかげで、同年、妻名義のクレジットカード(アメリカン・エキスプレス・カード)を取得し、過去20年間使用し、きちんと支払ってきたので、妻のアメリカにおけるクレジット・ヒストリーはかなり評価が高いです。 


ところで、SSNカードは、実はビザの種類によって異なり、就労に関する制限事項が記載されます。


昔のF1ビザの学生さんのSSNカードには、「NOT VALID FOR EMPLOYMENT」と書かれています。私は1989年にロサンゼルスに留学中にSS番号を取得しましたが、取得したSSNカードには、そう書かかれていました。

1989年にF1ビザを保有していた際に取得した私のSSNカード
「NOT VALID FOR EMPLOYMENT」と書かれている。
                 
次に、就労可能なビザ、たとえば、H-1BやL1ビザ又はEビザを保有してる方のSSNカードには、「VALID FOR WORK ONLY WITHIN INS AUTHORIZATION」と書かれています。

2002年に取得した妻のSSNカード
「VALID FOR WORK ONLY WITH INS AUTHORIZATION」
と記載されている。

最後に、アメリカ市民及び永住者は、SSNカードに制約事項が書かれていません。


上述の通り、2002年に妻が取得したSSNカードには、アメリカにおける就労の制限事項が書かれています。しかし、妻は今や永住者なので、カード上の就労制限事項を落としてもらう必要があります。すなわち、就労の制約事項がないようにSSNカードを訂正してもらう必要があります。

妻は、このSSNカードの訂正に、相当手こずりましたので、次回以降に報告します。


ちなみにアメリカ市民権を持っている娘2人は、ロサンゼルスで生まれた時に、出生証明書(Birth Certificate)と就労制約事項が記載されていないSSNカードを入手しています。

Monday, April 4, 2022

ワシントンDCの桜と歴代アメリカ大統領夫人

日本から贈られた3020本の桜は、シアトル経由で1912年3月26日に無事ワシントンDCにつきました。

1912年3月27日に、ポトマック河畔でタフト大統領夫人と珍田いわ駐米大使夫人が、2本の桜を植樹しました。この植樹式にはシドモア女史も陪席しています。

その後、日本から送られたワシントンDCの桜は、歴代大統領夫人と深い関わりを持つことになります。

1914年5月7日、ウッドロウ・ウィルソン大統領の三女エレノアとウィリアム・マカドゥー財務長官がホワイトハウスの「ブルールーム」で結婚式を挙げました。その際、エレン・ウイルソン大統領夫人は、ポトマック河畔の桜の花と白色のリリー、そしてドッグウッドの花でブルールームを飾りました。


フローレンス・ハーディング大統領夫人は、ホワイトハスの庭に桜の木を植えるよう庭師に指示しました。春には、桜の花でホワイトハウスの部屋を装飾したようです。

その40年後、ジャクリーン・ケネディ大統領夫人は、よく、その桜の木からとった桜の花でブーケを作らせたそうです。



1934年、DC市が3日間の桜祭りを主催しました。この桜祭りは、エレノア・ルーズベルト大統領夫人が積極的に関与したそうです。1934年4月19日午前6時、1912年にタフト大統領夫人と珍田大使夫人が植樹した最初の2本の桜の木の間で、ルーズベルト大統領夫人は、日本大使館関係者、桜の女王、ヘンリー・ルーズベルト海軍次官補の娘とともに「日の出式 (a 6:00am sunrise ceremony)」を開いたそうです。「日の出式」には、米海兵隊楽団の演奏、ダンスのパフォーマンスが行われました。また、3日間続いた桜祭りでは、航空ショー、パレードがあり、ワシントン・モニュメントにおいて花火が打ち上げられました。桜祭りのある夜には、ルーズベルト大統領夫人は、メイフラワーホテルで開催されたCherry Blossom Ballに出席し、桜の女王たちのダンスを観賞しました。


なお、1938年には、ジェファーソン・メモリアル建設に際して取り除かれる桜に女性団体が桜の木に体を縛り付けて抵抗するという出来事もありました。




エリザベス・トルーマン大統領夫人は、ホワイトハウスの庭に新しく植樹された桜の木の観賞を楽しみました。



マミー・アイゼンハワー大統領夫人は、1953年4月10日に行われた桜プリンセス・コンテストで全米のプリンセスに選ばれたオハイオ州出身で18歳のジャネット・ベイリーさんの載冠式に参加しました。

1953年4月10日、全米の桜クイーンに選ばれたベイリーさんに戴冠する
マミー・アイゼンハワー大統領夫人


クローディア・ジョンソン大統領夫人は、特に桜を愛した方だったようです。大統領夫人は「より美しい首都(a More Beautiful Capital)委員会」を創設し、ナショナル・モールに多くの桜を植えることにしました。ジョンソン大統領夫人は、1965年4月6日の全米桜祭りの開会式に出席し、「1912年のタフト大統領夫人と珍田大使の植樹式」を再現すべく、武内駐米大使夫人とともに桜の木を植樹しました。その植樹式の場で武内大使夫人は、佐藤栄作首相が3800本の桜の木をワシントンDCに寄贈することを発表しました。

 1965年4月4日、ポトマック河畔で植樹をするジョンソン大統領夫人


パトリシア・ニクソン大統領夫人も桜が大好きでした。1969年4月14日、ニクソン大統領夫妻は、ポトマック河畔を散歩し、日本からの贈り物である美しい桜の満開を堪能しました。

1969年4月14日、ポトマック河畔を散策しながら桜を堪能するニクソン大統領夫妻

全米各州の桜プリンセスたちをホワイトハウスに最初に招待したのはニクソン大統領夫人です。1970年4月9日、全米各州の桜プリンセスたちは、ホワイトハウスでニクソン大統領の長女トリシア・ニクソン嬢と記念撮影におさまりました。

1970年4月9日パトリシア・ニクソン嬢と各州の桜プリンセスたち@ホワイトハウス


ベティ・フォード大統領夫人も同様に桜を愛した方でした。1976年4月7日、48人の桜プリンセスたちがローズガーデンに集まり、ベティ・フォード大統領夫人の誕生日をお祝いしました。


1976年4月7日、ホワイトハウスのローズガーデンで桜プリンセスたちを歓迎するベティー・フォード大統領夫人


ロザリン・カーター大統領夫人は、1979年4月5日、全米の桜プリンセスたちをホワイトハウスのローズガーデンに招待し、ジミー・カーター大統領が彼女たちを歓迎しました。

1979年4月5日、カーター大統領と全米各州の桜プリンセス@ホワイトハウス


1981年1月、ナンシー・レーガン大統領夫人は、大河原駐米大使に3フィートの桜の木を贈呈しました。その桜の木は、アメリカ国立樹木園が、1912年に日本がワシントンDCに贈呈した桜の木から挿木で増やした木でした。


1981年2月24日、大河原駐米大使に桜の木を贈呈するナンシー・レーガン大統領夫人

レーガン大統領夫人から贈られた桜の木は、「里帰り桜」として日本に送られ、足立区皿沼にある舎人公園に「レーガン桜」として植樹され、今でも綺麗な桜の花を咲かせています。

足立区舎人公園の「レーガン桜」

レーガン大統領夫人は、全米桜祭りの名誉会長を務めるようになりました。


1984年4月2日、レーガン大統領は、ホワイトハウスのローズガーデンで全米各州の桜プリンセスたちを歓迎しました。

     President Ronald Reagan Greeting the 1984 Cherry Blossom Princesses in the White House Rose Garden

     President Ronald Reagan Greeting the 1984 Cherry Blossom Princesses in the White House Rose Garden

     1984年4月2日、桜プリンセスたちをホワイトハウスで歓迎するレーガン大統領


1992年4月8日夕方、第41代ブッシュ大統領夫妻は、ポトマック河畔を散策しながら桜の花を鑑賞しました。


1992年4月8日夕方、タイダル・ベイスンをジョージ・ブッシュ 第41代大統領と散策するバーバラ・ブッシュ大統領夫人


1993年4月13日、クリントン大統領は桜の季節にホワイトハウスの周りをジョギングしました。



1997年と1999年には、ヒラリー・クリントン大統領夫人がポトマック河畔での桜の木の植樹式に参加しました。

1997年4月10日、桜祭り開会式で挨拶をするヒラリー・クリントン大統領夫人

1997年4月10日、桜の木を植樹するヒラリー・クリントン大統領夫人


2001年3月25日、ローラ・ブッシュ大統領夫人は、ケネディ・センターにおける大規模な全米桜まつり開会式に出席しました。

2001年3月25日、全米桜祭り開会式に出席して柳井駐米大使と一緒に鏡開きに参加するローラ・ブッシュ大統領夫人


2004年3月31日には、ローラ・ブッシュ大統領夫人は、各州の桜プリンセスたちをホワイトハウスに招待し、イーストルームで一緒に記念写真におさまりました。

2004年3月31日、 桜プリンセスをホワイトハウスのイーストルームで歓迎する
ローラ・ブッシュ大統領夫人

2012年3月27日、日本からの桜の木の贈呈100周年を記念して、ミッシェル・オバマ大統領夫人は、ポトマック河畔にて、「1912年のタフト大統領夫人と珍田大使の植樹式」を再現すべく、タフト大統領のひ孫であるウィリアム・タフト四世夫妻と藤崎駐米日本大使夫人と一緒に新たな桜の木を植樹しました。


2012年3月27日、桜の木を植樹するミッシェル・オバマ大統領夫人


このように、日本から贈られた110年の歴史を刻むポトマック河畔の桜の木は、歴代アメリカ大統領夫人(そして大統領)ととても深い繋がりがあります。

日本がワシントンDCに桜の寄贈が実現できた理由

 1912年の日本からワシントンDCへの3020本の桜の寄贈は、紀行作家シドモア女史、タフト大統領夫人、高峰譲吉博士、当時は衆議院議員で東京市長も兼務していた尾崎行雄氏をはじめとする多くの方々の尽力なしでは実現できませんでした。そもそもタフト大統領夫人は、ポトマック河畔を美したいと考えており、そこに日本の桜に魅せられていたシドモア女史がポトマック河畔を日本の桜を進めたら、タフト大統領夫人は同意して桜を集めるように指示をしたのがきっかけです。

なお、シドモア女史は、お兄さんがアメリカの外交官で、日本のアメリカ領事館に長年勤務していたこともあり、シドモア女史は何度も日本に滞在したことがあったようです。

シドモア女史

また、タフト大統領夫人も、1900年に日本を旅行で訪れたことがあり、その時に、日本の桜の美しさを知ったようです。

ヘレン・タフト大統領夫人

その後、シドモア女史と旧知の仲であったニューヨークの水野総領事と高峰博士が関与します。話はとんとん拍子に進み、1910年に2000本の桜の苗木が最初に寄贈されました。横浜からシアトルまでは、日本郵船が輸送費用を負担し、シアトルからワシントンDCまでの陸送費はアメリカ側が負担したようです。しかし、ワシントンに届いたものの、害虫被害により全て焼却処分になりました。

高峰譲吉博士

そこで尾崎東京市長は、特別に栽培した桜を作ることにしました。1910年4月21日、改めて東京市参事会決議で輸送費用を含め予め予算を措置しました。桜の権威、船津静作翁、三好学東大教授などの指導を得て、農商務省の古在由直(こざい・よしなお)農学博士に害虫に強い桜の苗木の調達を依頼しました。苦労を重ね、兵庫県伊丹の東野で育成されたヤマザクラの台木と、東京の荒川堤の五色桜から採った枝(穂木(ほぎ))を静岡県の興津(おきつ)園芸試験場で接木し育て、青酸ガスを用いた燻蒸処理などを施された桜が贈られたそうです。

珍田駐米大使夫妻


このように、日本からワシントンDCへの桜の寄贈には多くの人が関わっていますが、なんといってもタフト大統領夫人、シドモア女史、高峰博士、尾崎東京市長が立役者でしょう。タフト大統領夫人がシドモア女史が親密な関係であったこと、シドモア女史と高峰博士は親交があったこと、高峰博士が寄贈のイニシアティブをとったこと、尾崎東京市長は衆議院議員も兼務しており国際派であったことが重要な要素だったと思います。

尾崎行雄東京市長 兼 衆議院議員

個人の強い思いと人と人とのつながりがあり、いろんな偶然も重なって東京からワシントンDCへの桜の寄贈が実現できたのだと思います。

なお、尾崎行雄さんは、1890年から1953年まで衆議院議員を勤められ、憲政史上最多の25回も当選されております。議員勤続年数も最多で、「憲政の神様/議会政治の父」と呼ばれています。

その後、尾崎衆議院議員(当時91歳)は、まだ占領下の1950年にアメリカの連邦議会に招待され、桜の寄贈について感謝を示す連邦議会の決議を受けています。尾崎さんは、ポトマック河畔を訪れ、自身が寄贈した桜の木を見て、歌を詠まれています。

「ポトマクの 桜をながめ 月に酔い 雪をめでつつ 我が身終へなむ」