私たち家族について、簡単に整理してしたためます。
2001年に東京で結婚、2002年と2004年にロサンゼルスで娘2人が生まれました。したがって、娘2人は日米の二重国籍保持者です。その後、他の国に引っ越し2年ちょっと生活。それからニューヨーク市に戻ってきて3年半生活。2011年7月に9年ぶりに帰国しました。
帰国後、子供の教育についていろいろ悩みましたが、将来のことを考えて娘2人をアメリカ人として育てることにしました。
2011年1月から2016年7月までの5年半の東京生活では、娘2人は調布市にあるアメリカン・スクール・イン・ジャパンに通いました。長女と次女の歳の差は2歳なのですが、アメリカン・スクールの基準にしたがって、長女は小学3年生、次女は幼稚園に編入。次女は、ニューヨーク市で2010年の秋学期は小学1年生を経験していただけに、申し訳なかったです。しかし、この長女と次女の学年が3年違うことが、後々良かったと思えるようになります。
2016年6月からまたアメリカに戻りました。今度はニューヨーク州ウェストチェスター郡のライという場所に居を構えました。理由は、その地域の学校区のレベルが高いからです。親としては、良い公立学校(=無料)がある地域に家を借りることは鉄則です。しかし、学校区のレベルが高ければ、その分、家賃も高額です。私たちの5ベッドルームの家の家賃は月6800ドルもしました。
結局、ライには2016年6月から2020年7月まで4年1ヶ月間、住みました。ちょど長女が高校4年間をライ・ハイスクールにフルに通って卒業できたので、良かったと思います。
次女はライ・ミドルスクールに3年間とライ・ハイスクールの1年間を通いました。2020年7月からメリーランド州ベセスダに引っ越したのですが、次女は、父親である私がベセスダに3年間住める保証はない、したがって、ベセスダの公立高校を卒業できる保証はない、と考えたため、どうしてもボーディングスクールにG10から編入したいと言い出しました。次女の気持ちもわかるので、2019年秋頃からボーディングスクール探しを始めました。ボーディングスクールに通った経験がない私たち夫婦は、浅はかにも全米トップ5のボーディングスクールを次女に受験させましたが、コロナもあり編入枠も少ないとのことで、あえなくずべて補欠合格となりました。その時点で2020年2月であったので、焦った我々は、その時点で受け入れ可能なボーディングスクールを探しまくりました。ある日、妻が比較的温かい州にある全米でトップ25に入るくらいのボーディングスクールを探しだし、連絡を取ったらまだ入学願書を受け付けているとのこと。早速オンラインで面接を行ったら見事に合格。次女は2020年8月、ダレス空港から1人で飛行機に乗って出発しました。次女の年齢はまだ15歳でしたので、若干可哀想な気もしましたが、次女が選んだ道ですので、親としてはしっかり応援するしかないと思っています。
妻は、結局、2021年11月23日に永住者としてアメリカに入国しました。2019年10月に「移民多様化ビザ抽選プログラム」に応募して2020年6月6日に当選、2021年9月27日に東京のアメリカ大使館で面接、翌9月28日に妻の「移民ビザ」発行、翌9月29日に妻は発行された「移民ビザ」が貼られた日本のパスポートを入手しました。その経緯は追って書こうと思います。
ということで私たち家族は、私が生粋の日本人、妻はアメリカでの永住者、娘2人はアメリカ人、という奇妙な組み合わせとなりました。