Friday, September 25, 2020

次女のボーディング・スクール、いよいよ対面授業へ

 次女がボーディング・スクールに行ってはや1ヶ月。8月の下旬からG10としての新学期が始まりましたが、完全オンラインでの授業でした。でも広大なキャンパスは、通いの学生が入れないので、キャンパス内にある寮は完全隔離状態でとても安全です。この1ヶ月の間、50人くらいの寮生は仲良くなり、バーベキューや水泳、バレーボールなどをしていたそうです。

次女の学校は、ボーディングはありますが、実は、通いの学生の方が多い学校です。1950年代まで寮があったそうですが、それ以降廃止され、完全に通いの高校となっていました。ところが昨2019年から寮が復活しました。寮の建物は築2年ですから、とても綺麗で清潔です。コロナの影響により寮生も少なくなったので、ルームメートはおらず、部屋を広々と使っているようです。

学校がある都市の感染が拡大したため、対面授業は2度延期になりましたが、その後、感染が収まり、いよいよ今日(9月25日)から対面授業が始まります。通いの学生の方が多い学校なので、学校側も相当厳しい安全対策を取ることになっています。9月21日(月)から4日間、通いの学生を少しずつ集めて、対面授業の安全対策のオリエンテーションをしています。

通いの学生は、毎朝自宅で検温してポータル上で親が署名する必要があります。寮生は、寮にある自動検温機で確認するだけですので非常に楽です。学生全員は、マスクだけでなく、フェースシールドの着用も義務付けられます。フェースシールドは、サンバイザーのように頭にはめて、透明なシールドで顔を守るようになっています。

寮生の次女は、8月下旬から、寮の外で皆で遊ぶ時はフェースシールドをしていたのでもう慣れているようです。寮生はPCR検査を受けているので、寮内の自分の階にいる時は、マスクすら不要ですが、違う階に行く時はマスクをしなければなりません。

今週金曜(9月25日)から、いよいよ対面授業が始まります。次女は、通いの学生と初めて出会うので楽しみにしているようです。友達の輪が広がれば良いですが。

Saturday, September 12, 2020

Empty Nest v.s. 空の巣症候群

長女は大学に入り、次女はボーディング・スクールに行ったため、いわゆる子供が巣立ち、我が家が空になった状態です。夫婦2人の生活となり、なんだか寂しさを感じています。英語では、Empty Nest Syndromeという言葉があり、日本語でも「空の巣症候群」という医学用語となっています。英語のEmpty Nest Syndromeは、一般的に、子供たちが大学進学等により初めて家を離れたことにより、親が感じる孤独感をさし、医学的にはそれほど重い症状であると捉えられていないのに対し、日本語の「空の巣症候群」は、子どもが家を出たり結婚したりしたときに、多くの女性が感じる憂うつで不安になる苦しみの一般的な信念を表す言葉とされています。


アメリカでは、子供が家族の家から出ることは、一般的に普通で健全なイベントです。したがって、Empty Nest Syndromeの症状は出ないことが多いとされています。もちろん、寂しさを感じたり、親としての目的感喪失につながることもあり、子供が巣から出ることにより、親はその現実を受け入れる必要があります。この症状は専業主婦に最もよくあらわれる症状と言われています。


日本では、完全に「母親にでる症状」と見られています。子供が自立し、夫は仕事で忙しく構ってくれず、夫婦生活もないに等しくなり、涙もろくなり、夫の定年が近いというと、退職、即離婚といった方に展開していくこともあるそうです。


今の時代は、FaceTimeなどがあり、大学や高校の授業が実際に始まるまでは、寮に入った長女や次女とはほぼ毎日やりとりしていました。テキストでのやりとりは更に多いです。勉強のためのアプリやネット上での生活必需品の買物のお金を、親が負担するのか、子供のお小遣いから負担するのかを確認することも多いです。子供としては、お小遣いを減らしたくないので、あれこれ理由をつけて親に払わせようとします。親としては、目の中の入れても痛くない子供が一人で頑張っているし、こうして連絡をくれているので、その対応はかなり甘くなり、なんでも負担してあげたくなります。子供はそのことを知っており、うまく甘えながらお願いしてきます。親は、その子供の魂胆を十分に知っているのですが、子供の戦術にわざと嵌ってあげて、負担してあげます。このようなやりとりが、Empty Nestの寂しさを紛らしているのかもしれませんね。


娘二人が我が家から巣立ってから、気づいたことがあります。「家の食材が減らない」ことです。食事を作る量も、洗濯の量も半分以下になります。子供との喧嘩や言い争いもなくなり、夫婦で喧嘩することも少なくなりました。今から思えば、夫婦間の喧嘩は、子供に関することが多かったのかもしれません。


子供も巣立ち、気分転換に、自家用車を2台とも買い換えました。毎朝、高校に送くる時に使っていたトヨタ・シエナという大きなバンは、レクサスRX350に買い換えました。シエナは、本当によく頑張ったと思います。家族でメイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州、ペンシルベニア州、ニュージャージー州、デラウエア州、メリーランド州などをこの車を使って旅をしました。娘2人のバレーボールのバーシティ・チームや、クラブ・チームの練習や試合のために娘だけでなく、娘のチームメートも一緒に送り迎えしてあげたことは良い思い出です。


レクサスRX350は、シエナより少し小さめで軽く、排気量はシエナと同じ3.5Lですが、馬力はシエナの266馬力と比べ295馬力もあるのでパワーが違います。2台目は、もともともフォルクスワーゲンのジェッタという車でしたが、購入2年後にホンダ・シビックに買い換えました。このシビックは、小さなライ市では小回りに長けているので、買い物の際に本当に活躍しました。小さな駐車スペースでも問題なく、Uターンもハンドルを切ることなくできるので大好きでした。シビックに変えて今回買ったのはレクサスIS250C。排気量1.8L・140馬力のシビックと比べ、大きさは同じくらいですが排気量2.5L・204馬力もあり、運転していて本当に快適です。


早速、ボルチモのマクヘンリー要塞や、アナポリスの海軍兵学校の視察のために夫婦でレクサスIS250Cに乗ってドライブしました。マクヘンリー要塞は、米英戦争中の1814年9月13日、チェサピーク湾に侵入したイギリス海軍の艦隊がボルティモア港を攻撃して来たときに、防衛に成功したこと知られた有名な場所です。先月行われた共和党全国大会3日目に、ペンス副大統領がこの要塞から演説したしました。フランシス・スコット・キーが詩「星の煌く旗」(The Star-Spangled Banner)を作ったのがこの砦に対する艦砲射撃の時のことであり、イギリスの歌「天国のアナクレオンへ」のメロディを付けられて、アメリカの国歌になったことは有名です。ここは「アメリカ国歌の生誕の地」というわけです。


アナポリスでは美味しいシーフードを食べました。蟹やエビを堪能したわけですが、その時の写真を娘たちにテキストで送ったら、ホノルルの次女から、日本語で「なんで?」という面白い返答が来ました。私からは、「お父さんとお母さんは旅行中!」と応えておきました。次女からすれば、お父さん・お母さんが仲良く旅行していることにびっくりしたようです。笑


Friday, September 11, 2020

メリーランド州に引っ越し!?

 7月上旬、ニューヨーク州ライ市の4年1ヶ月にわたる生活を終え、メリーランド州ベセスダ市に自家用車で引っ越しました。転勤を知らされたのは5月中旬。引っ越しまで時間がないのでひっくり返りそうになりました。

2度目のニューヨーク勤務は、娘2人の学校生活を中心に回った感じです。到着して1年後の2017年6月にライ市内で引っ越しをしました。引っ越しの決め手は家の大きさです。5つの寝室と3つのバス・トイレ、食堂やファミリールームがありました。娘らが大きくなると、家の空間は非常に重要で、勉強などで行き詰まったり、親子や姉妹で喧嘩をした時に、逃げられる部屋がいくつもあるというのは、精神的に助かったようです。

ライで引っ越した新しい家はライ・ミドル/ハイ・スクールまで歩いて7分くらいのところにあったのですが、娘たちは若干lazyで、私が毎朝、学校まで送っていました。車で所要5分ですが、雨の日も雪の日も、親子喧嘩した翌朝も、送り続けました。車の中で喧嘩をしたこともあります。しかし、継続は力なりで、長女の高校4年間、次女の中学3年間と高校1年間、毎朝学校に送り届けたことは、親としてとても達成感があり、娘二人とのつながりという意味で、忘れられない思い出となっています。これは親の一方的な思い出で小さな思い出ですが、私にとってはとても大切なものです。

本年7月上旬からメリーランド州のベセスダ市に移ったわけですが、非常にライ市に似たような静かな街並みで安心しています。家もライの家より少し大きく、寝室の数は一緒ですが、一階の部屋が少し多いです。

今回の引越しで、アメリカは5回目の勤務となります。その前に留学していますので、今日までに14年9ヶ月の間、米国に住んでいることになります。米国内で住んだ都市は、ロス市、インディアナ州ブルーミントン市、バージニア州アーリントン市、ワシントンDC、NY市、NY州ライ市、メリーランド州ベセスダ市となります。米国内の引っ越しは計12回です。

メリーランド州ベセスダ市に引っ越したため、このブログの表題「アメリカ・ニューヨークでの生活・子育て」は、実態を正確には反映しないことになります。しかし、表題は変えることができないので、このまま続けます。次女が大学を卒業するまでは。。。

Thursday, September 10, 2020

長女、大学に入寮

長女の大学はマサチューセッツ州にあります。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学が早々と100%オンライン授業を決めましたが、長女の大学は、学生に2つの選択肢を与えました。一つは、寮に住んで対面授業とオンライン授業のハイブリッド型の授業を受けるというもの。もう一つは、自宅で100%オンライン授業を受けるというオプションです。

長女は、当然ハイブリッド型を選択しました。その理由は、対面授業の方が良いというだけでなく、教授や図書館へのアクセスや、寮に入って他の学生との交流があってこそ、キャンパス・ライフが充実すると考えたからです。自宅にいたままオンライン授業を受けても、新しい友達の範囲は限定されますし、また、安定的な生活のリズムを保つことも難しいでしょう。寮に入れば、寮内の学生とも交流をし、1日3食、誰かと一緒に食べたり、夜はルームメートと夜な夜な話し込んだり、週末は仲間と一緒にいろんなことをするでしょう。自宅でオンライン授業を受ける場合は、それらのことが一切できないことになります。

親としても、今年の夏、毎日お昼くらいまで寝ている長女の姿を見て、少しイライラしていました。大学のオンライン授業は録画でも見れますので、何時に起きても、その後に勉強さえすれば大丈夫なのですが、長女のタイム・マネジメント能力を少し心配していました。寮に入れば、ルームメートもいますし、対面授業もあるため、最低限の生活のリズムを保てると期待しています。

ということで、長女は8月28日に入寮することになりました。15歳の次女は一人でボーディングスクールに行きましたが、長女の場合は私が同行しました。同行者の私は、フライトに乗る72時間前までに行ったPCR検査の結果が陰性である必要があります。私は、次女が使ったPM PediatricでPCR検査を行い、出発の日に陰性の検査結果を受けました。

飛行機はやはりデルタ航空を使いました。乗継地のニューヨークのラガーディア空港のターミナルは、新設されたようで、全てが新しく清潔感溢れるものでとてもよかったです。トレイの手洗いエリアは全てTOTO製品が使われており、日本人としては少し嬉しくなりました。

到着したボストン国際空港のデルタ航空のターミナルもトイレはTOTOでした。ボストン国際空港では、UberやLiftなどは、タクシーや出迎え者の車両が入る到着レーンへの出入りが禁止されており、少し離れた立体駐車場の指定されたエリアでしか乗り降りができないことになっていました。

無事、Uberに乗り、長女の大学へ。大学到着後、まず、長女のPCR検査場に行きました。これが1回目の検査です。長女は入寮後、更に3回PCR検査を受けることになります。

検査後、長女の寮に到着。古い歴史のある大学ですが、長女の寮は、最近リノベーションが行われ、1階の共有エリアや各階のトイレ・シャワー室などは全て新しくなっており、とても綺麗でした。長女の部屋は、ペンシルベニア州から来た学生と相部屋ですが、ベッド2つと机2つが並列して置かれ、電子レンジと小さな冷蔵庫も部屋の中にセットされていました。あとはクロゼットが2つ、タンスが2つあり、17歳が生活するのに十分な広さです。長女の階は、男女混合階ですが、男子学生全員が、大学のアメリカン・フットボール・チームの選手でした。皆、1.9M〜2Mあるので、彼らの大きさに圧倒されました。

大学のカフェテリアについては、長女は、何度入って何を食べても良いというカードを購入しました。キャンパス外のお店とも提携し、それらのお店でも食べられるようです。

私は、2時間程度の滞在で、長女に別れを告げました。アメリカ社会では、子供の大学の入寮を親が手伝うことは、子供にとっても、親にとっても、それぞれの人生の一つの区切りになるため、実は一大イベントのようです。私も、とうとう長女が自宅から出て、カレッジに入って1人暮らしをすると考えると(実際にはルームメートはいますが)、とても寂しくなりました。ハグを滅多にしない長女は、この大学に合格した時と同様、別れ際にハグしてくれました。

私はその後、ボストン国際空港に向かい、その日はラガーディア空港近くで一泊しました。
長女が、充実した大学生活を送ることを願いながら、ホテルの部屋で一人でビールで乾杯しました。

Sunday, September 6, 2020

次女、ボーディング・スクール到着

次女は、無事、ボーディング・スクールがある空港に到着。乗継ぎ空港では必ず連絡をくれました。デルタの職員もきちんと付き添ってくれたようです。2回の乗継ぎ空港でも目的地の空港でも、到着すると、デルタ職員が最初に次女を引き取るので、次女は飛行機の扉が開いたら直ぐに降機できたようです。

最初の空港を出発する際に、リストバンドが提供され、乗継ぎ空港では、搭乗の際にリストバンドについているコードを読み取っていたとのこと。

デルタ航空の「unaccompanied minor program」では、目的地の空港での出迎者を登録する必要があり、出迎者がいない限り、そもそもこのプログラムに登録することはできません。延べ15年も米国に住んでいますと、主要都市には誰かしたら知り合いがいるもので、今回も29年前に米国のある都市で一緒に働いたことがある旧友に次女の空港出迎え・引き取りをお願いしました。ありがたくも旧友は快く引き受けてくれて、次女を空港で出迎え、ホテルまで自家用車で送ってくれました。

ボーディング・スクールの要請で、出発地で搭乗する72時間以内にPCR検査を受ける必要があり、右検査が陰性である必要があります。搭乗するまでに結果は分からなくてもよく、目的地に到着後、ホテルで5日間自主隔離をして、再度PCR検査を受けるので、2回目のPCR検査を受けるまでに、陰性がわかれば良いということでした。

出発地、つまり我々の自宅がある地域で、PCR検査の結果が最も早くわかる施設は、メリーランド州ロックビル市にあるPM Pediatricという小児専門のクリニックでした。次女は出発するちょど3日前にPCR検査をしましたが、出発して最初の乗継ぎ空港に着くまでに、陰性の結果が判明しました。陰性だと思っていましたが、正式に陰性結果を知ると、家族全員が安堵しました。

次女が滞在したホテルは、次女が通うことになるボーディング・スクールの生徒が多く滞在していたようです。学校の関係者が出迎えてくれて、チェックイン支援をしてくれました。次女のホテルの部屋は、幸いコネクティングルームで、お隣さんは、カリフォルニア州から来た同じG10の学生でした。5日間の自主隔離中には、コネクティングルームのドアを開けて、social distanceを保ちながら一緒にNetflixで映画を見たそうです。

ホテルで一番苦労してしたのは、食事です。ホテルはルームサービスをしないので、UberEatsやその他の関連サービスを使って1日3食、配達してもらう必要があります。次女が出発する前に私のバンク・オブ・アメリカの口座に次女の口座を作り、次女のiPhoneのWalletにデビットカード情報を登録しました。これでiPhoneで何でも買い物ができるわけです。口座には次女の祖母からもらった結構な額のお小遣いが入っているので、1年間はしのげるでしょう。

次女は、ホテルに入って5日後に再度PCR検査を受け、無事、陰性でした。この時点でようやくキャンパス内の寮に入れることになりました。

寮は、2年前にできたばかりの5階建てで、共有スペースなどの設備は本当に充実しています。次女の部屋自体はそれほど広くはありませんが、コロナのために入寮者が少なく、ルームメートはいないそうです。

外国人留学生は、特に中国人学生が少なからずいたそうですが、秋セメスターでは誰もいなくなったそうです。これは、現在、中国から米国には直接入国できないことが主な原因のようです。中国からは、例えば日本など第3国で2週間以上過ごさないと、米国に入国できません。日本で2週間ホテルで過ごし、その後米国に入ってホテルで5日間過ごし、PCR検査を受けて陰性なら入寮できるという長いプロセスとなります。問題は、日本で2週間滞在している間は自主隔離なので外に出ることはできないし、日本を出発する72時間前に受ける必要のあるPCR検査も、そもそも予約が取れないそうなので、中国人学生は、秋セメスターの入寮は諦め、オンライン授業のオプションを取るか、転校を余儀なくされているそうです。

次女に話は戻りますが、寮から見える市内の景色があまりにも綺麗なため、キャンパスを出られないことにフラストレーションを感じているようです。しかし、ベセスダの自宅に戻っても、授業中はオンラインで自室に篭り、ジョギングや買い物などのために外には出られますが、同級生とin-personで直接話をすることはできないため、寮と自宅を比較すれば、親の目からすると、寮の方が健康的な環境ではないかと思うのですが、こればかりは本人がいかに感じるかなので何とも言えません。

寮の部屋にはルームメートがいないので少し寂しいかもしれませんが、同じ階や異なる階には寮生がいますし、食事はカフェテリアで一緒に取りますし、何しろ、広大なキャンパスにあるフィールド・トラックやジムなどを自由に使えます。学校側も、寮生の精神衛生を考えて、週に何度か、キャンパス内ですが、寮の外でバーベキューなど様々なイベントを企画しているようです。

今後、次女の学校の州・郡のコロナの状況が良くなることを祈るばかりです。






Saturday, September 5, 2020

次女はボーディングスクールへ出発

 次女はとある州のボーディングスクールに行くことにしました。G10から編入ということになります。このボーディングスクールは、全米トップ5には入っていませんが、全米トップ25くらいの学校です。1950年代途中まであったボーディングを止め、長年、いわゆる普通の「通い」のプライベートの高校だったようですが、昨年からボーディングを久方ぶりに復活させました。

気候も施設も素晴らしく、次女も納得して8月上旬に1人で出発しました。飛行機は対コロナの厳しい安全対策を遵守しているデルタ航空にこだわったため、2回乗り継ぎをする必要がありました。デルタ航空には「unaccompanied minor program」というプログラムがあり、150ドル支払えば、乗継ぎする空港でデルタの職員が乗継ぎをアテンドしてくれます。次の便に搭乗するまで傍にいてくれるので安心です。次女は15歳ということもあり、フライトは全てファーストクラスにしました。

次女のボーディングスクールはコロナ禍のため、通いの学生は100%オンライン学習です。キャンパスに来ることは認められていません。次女などの寮生も100%オンラインですが、寮は広いですし、キャンパスを自由に使うことができます。次女は毎日キャンパスでジョギングをしたり、屋外の寮生のイベントに参加したりしているようで、精神的には良いと思います。ただし、寮生は、逆に、キャンパスの外に出ることはできません。まあ、その分、キャンパス内で完全隔離されているということで、100名もいない寮生たちは安心して広大なキャンパスを占有しているわけです。

長女のことは次回に書きますが、長女も大学の寮に入ったので、家はとても寂しい空間となっています。