Saturday, July 23, 2022

コロナの影響:東京のレストラン

家の中を整理していたら、2014年〜15年頃によくお世話になった東京のレストランの名刺が出てきました。これらのレストランは、現在どうなっているのかと思い、調べてみました。コロナの影響もありますし、結構閉店しているお店が多く、ショックでした。傾向的に銀座のレストランはまだ残っているお店が多く、渋谷区は閉業したお店が多いですね。港区は頑張っている店もありますが、閉店した店が意外に多くショックでした。まあ、残っていた名刺の範囲内のことですので、実際の傾向性は分かりませんが。6年間日本に帰っていませんから、今度帰国したら、久しぶりに行ってみようと思います。


◯千代田区

Heinz Beck (ハインツ ベック)

→ 昔、日本生命丸の内ガーデンタワーM2階にありましたが、今ではないようです。


◯港区

1)営業中

Restorante il desiderio (レストランテ イル デシデリオ)(南青山2丁目)

Terres de Truffes, Tokyo (南青山2丁目)

Wine House minami-aoyama(ワインハウス南青山)(南青山3丁目)

Ristorante Pegaso(リストランテ ペガソ)(南青山7丁目)

松栄(六本木6丁目)


2)閉店または休業中のレストラン

Felicita (フェリチタ)(南青山3丁目)

Hatake Aoyama(南青山5丁目)

L’Embellir (ランベリー)(南青山5丁目)

Aquavit(北青山2丁目)

彩季(西麻布2丁目)

The Crescent(レストラン クレセント)(芝公園1丁目)

→ 20年10月に残念ながら閉店したようです。

restaurant Celly with Sky Bar(高輪3丁目)


◯中央区

1)営業中

Dominique Bouchet Tokyo(ドミニク・ブシェ トーキョー)(銀座1丁目)

Restaurant Dazzle(レストラン ダズル)(銀座2丁目)

Beige Alain Ducasse Tokyo(ベージュ アラン・デュカス東京)(銀座3丁目)

Argento Tatsuji Aso(アルジェント)(銀座3丁目)

Armani/ Ristorante(アルマーニ リストランテ)(銀座5丁目)

Esquisse (エスキス)(銀座5丁目)

Amoureuses(アムルーズ)(銀座6丁目)

L’enfant coeur et coeur (ランファン クーエ クー)(銀座7丁目)

Mandarin Oriental Tokyo 37th floor(日本橋室町2丁目)


2)閉店または休業中のレストラン

Ristorante HiRosofi Ginza(リストランテ ヒロソフィー銀座)(銀座6丁目)

The Suite Ginza(銀座7丁目)


◯渋谷区

1)営業中

The Legian Tokyo(ザ・レギャン・トーキョー)(渋谷1丁目)

Restaurant Casita(神宮前5丁目)


2)閉店又は休業中のレストラン

Carta bianca(カルタ ビアンカ)(代々木2丁目)

La Jeunesse Daikanyama(ラ ジュネス代官山)(猿楽町11)

Keisuke Matsushima(神宮前1丁目)

→何度もお世話になりましたが残念ながら20年5月に閉店したようです。

copon norp(コポン ノープ)(神宮前3丁目)

Acquolina(アクオリーナ)(桜ヶ丘27)

Bistro Inconnue(ビストロ アンコニュ)(恵比寿西2丁目)


◯新宿区

1)営業中

Cuisine (s) michel troisgros (キュイジーヌ(s) ミッシェル・トロワグロ)(西新宿2丁目)

Paul Bassette Shinjuku(ポール・バセット新宿)(西新宿1丁目)


2)閉店又は休業中のレストラン

Hi’s GINTO (新宿3丁目)


Sunday, July 17, 2022

アメリカの私立大学は高い!(その3:大学3年)

6月28日、長女の大学から大学3年生になる来年の奨学金の連絡が来ました。以下、したためます。

(大学3年:2022ー23学期)

大学関係経費と生活費の合計:8万5216ドル

大学関係経費:6万9266ドル
(内訳)
秋学期と春学期の授業料の合計:6万3804ドル
健康保険代:4044ドル
大学のヘルスサービス費:1022ドル
活動費:396ドル

生活費:1万5950ドル
(内訳)
家賃:月975ドル、年1万1700ドル
食費:月300ドル、年3600ドル
光熱費:年650ドル
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返済不要な連邦政府及び大学からの奨学金:3万5700ドル
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大学からの長女のローン
 Subsidized Direct Loan: 5442ドル
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親と長女の大学への支払い:2万7262ドル
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大学への支払い+生活費=4万3212ドル

長女の大学3年の奨学金は、昨年(3万5400ドル)より300ドル上がり、3万5700ドルもいただきました。これは本当にありがたいことです。私のが年収が低いこともありますが、長女の大学2年生の成績が良かったこともあります。

一方で、授業料は、昨年の6万1646ドルから2158ドルも上がり6万3804ドルとなりました。健康保険代は、昨年の3755ドルから289ドル上がり4044ドルに、大学のヘルスサービス代は、昨年の958ドルから64ドル上がり1022ドルとなりました。活動費は396ドルのままです。

昨年と異なるのは、長女は今年の6月から友達3人で一軒家を借りて来年(2023年)5月31日まで一緒に住むことになったことです。長女が住まない今年の寮費(寮活動費も含む)は9142ドルと昨年の8832ドルから310値上がっています。長女の一軒家の負担は、年に1万1700ドルですので、寮に住んだ方が安かったということです。

これに大学からのSubsidized Direct Loan 5442ドルを加えると、親と長女の負担は、大学への支払い+家賃を含む生活費=44万3212ドルと見込まれます。そのうち、長女には夏にインターンシップを行ってもらって2600ドル程度の負担を期待しています。

高校最終学年となる次女も十分な奨学金をいただいたので、長女の大学3年と次女の高校最終学年は、財政的になんとかやっていけそうです。

Wednesday, July 6, 2022

アメリカのボーディング・スクールの授業料・寮費は高い!(G12)

次女は、高校のジュニア・イヤーを終了し、今は夏休みですが、一旦、ACTテストを受けるために自宅(メリーランド州ベセスダ)に1週間帰宅した後、再び、高校の地域に戻りました。そこでは、ホストファミリーにお世話になりながら、高校で給料をもらいながらインターンシップをするとともに、自分の環境系の調査研究を行なっています。


5月12日、次女の私立高校から、来学年(G12)の財政援助(Financial Aid)の結果の通知が来ました。高校の財政援助委員会の検討の結果、次女の最終学年は、「3万7200ドル」の援助を受けられることになりました。2022–23年のシニア・イヤーの授業料と寮費の合計は、6万4795ドルと見積もられています。したがって、自己負担は2万7595ドルとなります。

結構な負担です。長女の大学のスカラーシップは昨年と同じ程度と見込んでいますが、妻が8月から大学院に行く予定で、その授業料が5万ドル、アパート代を入れた年間生活費は3万6000ドル、計8万6000ドルと見積もっています。

したがって、取れるところからは数百ドルでも多めに取りたいと思い、7月4日、次女の高校に連絡し、家族の財政状況を伝え、昨年並み(4万ドル)のスカラーシップをお願いしたいとのメールを出しました。

なんと翌7月5日、次女の高校から連絡が来ました。メールには、我々の要望を検討した結果、財政援助委員会として、次女の2022–23年(G12(最終学年))の(返済不要の)スカラーシップを昨年と同様の「4万ドル」とする、とありました。


私としては、7月4日というアメリカで最も重要な祭日の夜に出したメールに対し、翌5日の午前には、スカラーシップの値上げを即答してくれた事実に、少し???と思いましたが、スカラーシップを2800ドルも値上げしてくれて、計4万ドルもいただけれるのですから、家族全員が大喜びです。


このスカラーシップのおかげで、次女は高校最終学年を何ら心配することなく過ごせることになります。


以下、授業料や諸経費、親の負担額の詳細を記します。


(G12(シニア・イヤー/高校最終学年)

総計 6万4795ドル

(内訳)

学費・寮費:6万1200ドル

テクノロジー費:525ドル

教材費関連:25ドル

生徒活動費:20ドル

洗濯サービス:800ドル

健康保険料:2225ドル

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返金しなくても良い奨学金:4万ドル

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親の出費:2万4795ドル


親としては2万4795ドルの出費はきついです。これに加えて、自宅に戻るための航空運賃などの出費があります。

それでも、子供にできるだけ良い教育を受けさせたという親バカの思いがあるので、我慢するしかありませんね。



(以下参考)

(G10とG11のスカラーシップ)

https://lifeinwestchesternyusa.blogspot.com/2021/12/g10g-11.html



Tuesday, July 5, 2022

アメリカの独立記念日:7月4日

昨日、米国内では25回目となる独立記念日をワシントンDCで祝いました。アメリカ国民は、どんな思いで花火を見てたのでしょうか。


毎年7月4日は米国民の休日です。仕事や学校を休んで、地域の人たちや家族と共に1日中ピクニックを楽しみ、ホットドッグ、ハンバーガー、ベークドビーンズ、パイ、スイカなどを食べます。「建国の父」や初期の入植者に扮した人たちが、高校の楽団の演奏でパレードをする町もあります。夕暮れには、市が主催する花火大会に人々が集まります。


アメリカが独立するまでには長い年月を要しました。そもそもアメリカは、3万年くらい前にアジア系のモンゴロイドが、凍結したベーリング海などを渡ってシベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していったと言われています。所謂ネイティブ・アメリカンです。


その後、ルネサンスの時代、ポルトガルとスペインがいち早く遠洋航海技術を身に付け、大航海時代に入りました。イタリア(ジェノヴァ)人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志しましたが、1492年に西インド諸島に到達しました。1498年には、英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有(ニューイングランド植民地)、1534年フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、ネイティブ・アメリカンに対する領土略奪などがはじまりました。


1700年代半ばまでには、大英帝国の一部であった13の植民地の人々は、英国の税金を課されることに不満を抱いていました。多くの入植者は自治を望み、英国による統治から解放されたいと思うようになりました。


最終的には、2つの大きな出来事が、英国に反抗する入植者たちを統一させました。一つは、1770年3月5日の「ボストン虐殺事件」であり、もう一つが、1773年12月16日の「ボストン茶会事件」でした。


バージニア州の代議員たちは、各植民地を代表する大陸会議という委員会を設立することを票決して、独立への最初の1歩を踏み出しました。第1回大陸会議は1774年9月に開催され、12の植民地から代表者が出席しました。彼らは、王権に対する苦情の一覧を作成し、これが独立宣言の原案となりました。


1775年4月19日、英国軍がマサチューセッツ州の民兵軍を襲撃しようとしたことから、独立戦争が始まりました。入植者たちは直ちに戦闘部隊を組織し、英国軍に対抗した。

1775年5月には第2回大陸会議が開かれ、バージニア州の代議員ジョージ・ワシントンが大陸軍の総司令官に選出されました。ワシントンは、独立戦争中を通じてアメリカ軍を率い、英軍に対抗しました。入植者たちはそれから8年間にもわたり、独立を求めて必死に戦いました。

ペンシルベニア州フィラデルフィアでは、1776年7月2日、大陸会議は苦情の一覧の第2稿を作成し、大陸会議の議長ジョン・ハンコックがこれに真っ先に署名をしました王権はこの文書、すなわち独立宣言を反逆とみなし、これに署名した56人は処刑される恐れがありました。それでも大陸会議は、1776年7月4日に独立宣言を承認し、英国とのつながりを正式に断ち切って、新たな独立国家、アメリカ合衆国を形成しました。

独立記念日を7月4日に祝うのは、その日に英国からの独立が正式に宣言されたからです。1776年7月8日には、独立宣言が初めて公に読み上げられ、市民はこれを祝いました。鐘が鳴り、楽団が音楽を奏で、船は祝砲を撃ち、人々はろうそくをともし、花火を上げました。

独立戦争はその間も続き、最終的に独立が勝ち取られたのは1783年のことでした。その年、13の新しい州で独立記念日が祝日に指定されました。

独立記念日が正式に連邦政府の法定休日とされたのは1941年のことでした。