Friday, July 21, 2023

タフツ大学3年終了:長女の最近の様子

長女はタフツ大学の学部3年生が終了しました。国際関係を専攻しています。

Alliance Linking Leaders in Education and the Services (ALLIES)という、民間関係者と軍関係者が共同で教育、調査、訓練をすることにより、民間と軍の関係を向上することを目的とした組織のプログラム部長を勤めています。この組織は、タフツ大学のグローバルリーダーシップ研究所(The Institute for Global Leadership)という研究機関傘下にあり、大学から潤沢な財政支援を受けているため、毎週のように外部から超有名人を呼んだイベントや、南米に軍関係者と一緒に訪問して調査研究などを続けています。

また、同じ研究所傘下の「国際関係における女性(Women in IR)」という組織で共同議長を務めています。キャロライン・ケネディ元駐日大使(現駐豪州大使)など国際関係や政治の世界で活躍する著名な女性を招待し、シンポジウムなどを開催しています。

日本関連のクラブにも入っています。

余談ですが、タフツ大学には、名前は出せませんが、かなり有名な芸能人のお子さんも何人かいます。

長女は、そろそろ将来何をしたいのか真剣に考えているようです。3年生を終えた現在、首都ワシントンDCに一軒家の一室を借り、2年前と同じジョーンズ・ホプキンス大学の高等国際問題研究大学院(SAIS)にあるライシャワー・センターで、インターンシップを行なっています。今回も、研究員として参加しているようです。

長女も次女と同様、日米の国籍を持っていますが、日本の教育を受けたことがないため、日本企業で働くことは考えていません。3年生が終わったこの夏の期間に、大学卒業後の就職先を決めることが理想ですが、長女はどうしたいのでしょうか。

将来、アメリカ国務省に外交官として働くことも考えているようです。そのためには、いずれアメリカで大学院に行くでしょう。

長女は、アメリカの民主党に党員登録しています。大学一年時の秋、民主党員として、中間選挙でメイン州の連邦上院議員選挙で民主党候補のために選挙運動に携わりました。現在では、ホワイトハウス関係者とやりとりをして、将来について相談しているようです。

親としては、将来やりたい仕事が、社会に何らかの貢献があり、生きていける最低限の収入を得られることができれば、何でも良いと思っています。

ただ祈るのみです。



次女の高校の卒業式(6月3日)

2023年6月3日に、次女の高校の卒業式がありました。

アメリカのボーディングスクールに通っているため、私は日本から、アメリカで永住者となり、現在大学院生の妻は、アメリカで居住するある州から、タフツ大学に通っている長女はボストンから、それぞれ次女の高校のある都市に駆けつけました。

この都市はとても暖かく、服装も軽そうで良いので、荷物も少なく移動は楽でした。

次女の高校は、1863年創立の歴史ある名門私立高校。幼稚園から12年生までの1800人の生徒がいる私立の男女共学校で、米国聖公会に加入しており、理事会によって管理されています。

卒業する女子生徒は、全員が卒業式用の純白のドレスをオーダーメードで作りました。ドレス自体は数百ドルですが、全員がこのドレスと頭にはティアラをつけ、生花もかざします。男性の卒業式用の服は白シャツと黒色のズボンとガウンでした。

卒業式当日は晴天。非常に暖かく、屋外のフットボールスタジアムで卒業式が執り行われました。

カソリック系の私立高校であるため、冒頭、神父が何度も祈りを捧げました。

理事長や校長の挨拶のあと、成績優秀者(Cum Laude)の表彰がありました。

この「Cum Laude」というのは、ラテン語で、「優秀な」という意味です。アメリカでは、大学や高校で、GPAや取得単位によって「優秀賞」の基準が決められており、ラテン語の場合、成績の良い順に、「Summa Cum Laude」、「Magna Cum Laude」、「Cum Laude」となっていることが多いです。次女の高校では、「Cum Laude」しかなく、GPAの成績が、上位20%の人に与えられる称号のようです。

次女は幸い、「Cum Laude」として表彰されました。表彰といっても、生徒の名前と進学する大学名がアナウンスされると同時に、スタジアムに設置された二つの巨大スクリーンに、生徒の大きな顔写真と名前、そして大学名が映し出されるだけです。それでも親としては、ビデオを撮りながら、内心大喜びしていました。「Cum Laude」のメダルは、卒業証書を手渡される時に一緒にもらいました。

その後、卒業証書授与式が行われました。手渡すのは高校の理事会の理事長です。卒業生全員に手渡されるのですが、この時も、卒業生の名前が呼ばれたら、巨大スクリーンに生徒の顔と名前が映し出されました。生徒の名前が呼ばれるたびに、生徒の家族・親戚や友人が大声や奇声をあげて祝福していました。

次女の場合、長女と次女の後輩がしっかり祝福の奇声をあげていました。

理事長から卒業証書を受け取ると、同じステージ上で近くに立っている校長先生とのツーショットの記念撮影がありました。

アメリカの高校の卒業式で、卒業生による卒業証書の受け取り方にはびっくりです。日本の場合、校長先生からきちんと両手で受け取り、首を垂れるのが礼儀とされます。アメリカの高校では、卒業生の卒業証書の受け取り方はまちまちです。多くの場合、片手で受け取る人が多く、中には、片手で「もぎ取る」卒業生もいるようです。次女の高校の卒業式でもそうでした。しかし、文化が違うのか、理事長もニコニコしているだけです。日本のように、「(偉い)理事長や校長先生から、(低い立場の)卒業生が卒業証書を授かる」という発想や考えではないのでしょうね。

アメリカ人にとり、高校卒業は、ある意味、大人への階段に登るための関門であり、卒業証書は自身が勝ち取った人生の一つのachievement(功績/成果)である、という発想なのでしょうか。

卒業式のあとは、隣接するもう一つのフットボールスタジアムで、卒業生が家族・親戚・友人と合流し、祝福されるイベントがありました。

その後、夜8時から翌朝8時まで、高校の中で、映画鑑賞とパーティがあったそうです。これは次女のボーディングスクールの伝統行事のようです。

高校の卒業式といえば、長女の場合、コロナウィルス感染症が世界的に広まった2020年6月であったので、卒業式はありませんでした。プロムも中止。本当にかわいそうでした。その代わりに、6月のある日、ライにあるPlayland Parkという有名な遊園地の駐車場に卒業生と家族が車で集合し、何組かに分かれて、パトカーの先導で、ライの街の中を車でパレードしました。街中の住民が子供から大人まで、プラカードを掲げて拍手をしたり、笛を吹いたり、声をかけ、卒業生を祝福してくれました。4年間ライに住んで、初めてコミュニティのあたたかさを実感しました。長女は、コロナが少しずつ収束してきたタフツ大学2年生の時に、タフツ大学の配慮で、高校時代、コロナの影響でプロムが中止になった学生を対象に、タフツ大学主催のプロムが行われ、そのプロムに参加しました。タフツ大学も粋なことをするものだな、と感心したことを覚えています。

話は戻りますが、次女は、無事に高校を卒業しました。思えば、次女がニューヨーク州ライ市のミドルスクールを卒業する前に、「高校はボーディングスクールに行きたい」と言い始めた時、親として最初は本気で受け取らなかったのですが、次第に次女が本気であることがわかったため、ライ・ハイ1年生時になって、急遽転入できるボーディンングスクールを探しまくり、面接にいきました。しかし、受験した全てのボーディングスクール(全米上位4校)に補欠合格となりました。焦っていたところ、運よく、今のボーディングスクールに破格な奨学金付きで合格して、めでたく転向できたことは、つい最近のことのようです。

転入したのは高校2年時ですが、アメリカの高校は4年間ありますから、日本でいう高校1年の時です。次女は、若干15歳でした。コロナ禍で厳格な隔離政策の中で、一人で飛行機を乗り継いでボーディングスクールに引っ越しました。寮生活は楽しいこと嫌なこと、色々あったようですが、それも今となっては、大人への道で避けられない経験であったと思います。

この3年間はあっという間でした。あっという間に、長女も次女も、私の知らないところで、いろんな経験を積んだと思います。彼女たちの人生の次の章が楽しみです。